第77話悪魔編その4

 不気味な声の男は確実に俺に敵意を向けている。その冷たい視線からそう判断できる。

 しかしここで逃げたらどうなる? 助かるかも知れない。なぜなら俺は無関係だからだ。たまたま通りすがっただけの普通の一般人なんだ。

 俺がこいつを助ける義理なんてない。


「で? なぜそこをどかない?」


「さあな……でも、ここでどいたら本当に俺は人として終わっちまう気がしてならないんだ」


 なに、やってるんだ。バカか。逃げろよ。俺に何ができる。出来ることなんて何もないだろ。


「はぁ……まあいいだろう。ならジワジワ苦しんで死んでもらおう」


 俺は初めて男の姿をはっきり確認した。黒いコートを着た中年の男だった。髪は白髪が混じっており、顔つきもかなり悪かった。姿勢も悪く、第1印象は全く良くなかった。見ているだけで不快感を抱いてしまうほどに。


「……ッ!」


 しかしどうする? 男は彼女をこんな姿にした張本人かも知れないのだ。一体どんな武器を使ってこんなことを? そして俺はどうやって対抗する?

 男がコートのポケットに手を突っ込んだ。仕掛けてくる!! とにかく、攻撃をかわして拳で黙らせる! それしかない。そう考えていた。

 男は、ポケットから1枚の紙を取り出しただけだった。なんだ、あれは? しかし考える間もなかった。男はすぐに行動に移った。



 意味不明な言葉を発した瞬間、俺は身体に妙な違和感を覚えた。


「うっ……! う、あ……ああ!」


 説明できない苦しみが俺を襲い、そのまま地面に倒れこんでしまった。

 なんだ、これ。まるで、


「あまり一般人は巻き込みたくないんだがな。世界の命運と比べれば大したものじゃないだろう」


 ダメだ。身体が思うように動かない。


「少年。君に取り憑けたのはそこの踏切で死んだ地縛霊だよ。そこの踏切にはかなり執着していてね。もう悪霊になってしまったんだ。そんな悪霊に取り憑かれて無事でいられると思っているのかい?」


 何を言っているんだ? 地縛霊? 悪霊? こいつが言っていることが本当なら俺は幽霊に取り憑かれたっていうのか? そんなバカなことがあるか。幽霊なんているわけない。そう思いたかった。


「まあもって数分、かな。最後に遺言があれば聞くけど?」


 だけどこの体験したことのない不思議な感覚。認めざるを得なかった。じわじわと力が抜けていき、死ぬ。このままだと本当に死ぬ。

 終わるのか? 俺の人生は。ろくに楽しまずに、こんなつまならい生活を送って。最後はこんなにもみっともなく死んでいくのか?

 別にいいんじゃないか? どうせ生きていてもやることなんてない。だったらいっそのことここで死んでしまった方が楽なんじゃないか?

 だけど。そんな俺の目には、血まみれのあいつが映った。


「まだ……」


「ん?」


 力尽きそうな身体を無理矢理に動かす。


「まだ、死ぬわけにはいかないんだよ!!」


 俺はまだ、こんなところで終わるわけにはいかないんだ。まだ、聞きたいことが山ほどある。

 どうすれば、こんなつまならい生活から抜け出せるのか。それを俺は知らなければならないんだ。


「以外にしぶといんだな……はぁ……怨霊を使ってもよかったんだがな、さすがにそれは俺の良心がやめておけって言うからな。まあ大人しくしておけ。どうせすぐに死ぬ」


 ふざけるな。死んでたまるか。なんとしてでも。俺は。


「俺はまだ知らなきゃいけないことが山ほどあるんだよ!!」


 ただただ叫んだ。その次の瞬間、俺は確かに感じ取った。取り憑いていたものが消え去ったのを。


「……え? なんだ、身体が……」


 動く。体が自由に動く! さっきのような違和感は全くない。


「なんだと? バカな……貴様一体どうやって……!」


 男は困惑してる。何が起きたのかはわからないがこれはチャンスだ。

 俺は全力で男の懐に潜り込むと、勢いつけて拳を向けた。


「お返しだ!!」


 男の顔面を思いっきり殴った。男は衝撃に耐えきれず、地面に倒れこんだ。

 しかしわからない。なぜ急に動けるようになった? そんな疑問を抱いたが、それよりも先に気にするべきことがあるだろう。


「おい!! しっかりしろ!!」


 俺は血まみれで倒れている銀髪の女に声をかける。


「今救急車を呼ぶから……!」


 俺は再び携帯を取り出して番号を打ち込む。しかしそれは途中で遮られた。

 遮ったのは、銀髪の女だった。


「お、おい! なにすん……」


 言いかけて気づいた。女はその場にぺたりと座り込んで俺の携帯を抑えていた。

 いや、おかしい。彼女は先程まで倒れていたはずだ。なんで座っている? どうやって起き上がった? そしてなにより、俺は幻覚を見ていたのかと疑う光景を目の当たりにした。

 

 銀髪の女は俺を見て何か言おうとした。


「貴様……やはりもうか?」


 不気味な声の男は再び立ち上がっていた。殴った場所が腫れている。

 それよりも今この男が放った言葉。契約済み? なんのことだ?


「除霊師でもない貴様が取り憑いた霊を祓えるわけがない! 貴様はただの一般人だろう!! だとすれば答えは1つ!! 契約以外ありえない!! この、人類の敵め!!」


 なんだ? こいつは何を言っている?? 困惑してる中、銀髪の女は立ち上がり俺の前に立った。まるで、俺を守ろうとしているかのように。


「アンタはさっさとここから消えろ。そしていつもの生活に戻れ。これはただの夢だ。いいな?」


 銀髪の女は不気味な声の男を睨みつける。


「は、ははははははははははは!!!! やはりそうか!! 貴様のその行動で確定だ!! やはり契約済みか!」


「お前は勘違いしてる。アタシは契約なんかしない。そもそもそんなつもり、はなからないからな」


 なにを……なにがどうなっている。目の前で繰り広げられる状況に全く着いていけない。

 しかしそれよりも、俺の目には再び衝撃的なものが映った。よく見ると、銀髪の女の傷はみるみる回復していた。絶対に普通じゃない。考えたくもないが、1つの答えしか思い浮かばない。もしかして、こいつは。

 


「チッ……!」


 次の瞬間、銀髪の女は不気味な声の男に攻撃を仕掛けるかと思いきや、回転してそのまま俺を思いっきり蹴り飛ばした。


「ガハッ!!」


 そのまま俺はトンネルの外まで吹っ飛ばされた。普通に考えてありえない。人が思いっきり蹴り飛ばしたとしても、こんなに飛ばない。


「あいつ……俺を逃がすために……」


 蹴られた腹がかなり痛む。当然だ。蹴り飛ばされたのもあるが、アスファルトに激突しているのだ。身体中の至る所から悲鳴が聞こえる。


「逃がすと思うかぁぁぁぁぁぁ!!」


 男は再び小さな1枚の紙を取り出して叫んだ。


「ばい・ばい・よう・ばい・ばい!!」


 今度ははっきりと見えた。男が叫んだ瞬間に霊のような存在が現れ、俺に向かって来た。また俺の体に何かが取り憑くのか?? そう思って身構えた。

 しかし、霊が取り憑くことはなかった。


「え……?」


 無意識に右腕を前に出していたが、その時に不思議な感覚があった。

 俺の目には霊と思われる存在が、俺の腕に吸い込まれているように見えた。


「貴様……その力、まさか……!?」


 確かに感じた。幽霊と思われる存在を。そしてそれを俺は無意識のうちに吸収したのか?


「さっさと逃げろ!!」


 銀髪の女が大声で叫んだ。だが俺は男を見据えた。


「逃げるかよ!! お前はどうすんだよ!!」


 銀髪の女はやむを得ないといったような顔をした。


 次の瞬間、銀髪の女は不気味な声の男に一瞬で詰め寄り、首を締めた。そして男を連れてトンネルの奥へと消えていった。


「……! 待てよ!!」


 俺も後を追うように走った。しかしトンネルの闇に消えた2人の姿はもう無かった。


「なんだよ」


 ふと、俺は言葉をこぼしていた。


「何がどうなってんだよ……!」


 俺はただ、目の前で起きた状況が理解できずにしばらく立ち尽くしていた。

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