・第302話:「卑怯者のやり方:1」

 聖母のために、ここで死ね。

 そのエミリアの言葉を聞いた瞬間、エリックは、自身が感じた違和感の正体を確信していた。


 エミリアは、エリックの助けを待つ間、辛くて、苦しくて、怖くて、寂しかったと、そう言っていた。

 それはおそらく、聖母によって聖女へと作り変えられる間に、公にされることが決してないような、おぞましい方法がとられたからなのだろう。


 だから、その辛かったことをエミリアが口にしたとしても、不自然なところはなにもない。

 だが、その言葉には、大きな矛盾が含まれている。


 エミリア自身は決してそうなることを望んでいなかったはずなのに。

 辛く、苦しい思いをさせられたはずなのに。

 エミリアは聖母に[様]をつけ、聖女に[していただいた]と言った。


(サウラっ! )

(ああ。

 エリックよ、汝の直感は、正しい)


 動揺から抜け出したエリックが自身の内側にいる魔王・サウラにも確認すると、サウラはエリックの考えを肯定する。


 エミリアは、あやつられている。

 自分の意志ではなく、誰かにあやつられて、エリックを責める言葉を言わされているのだ。


(おそらく、近くにいる)


 エリックはサウラのその指摘にうなずくと、素早く、周囲を見渡していた。


 誰かがエミリアをあやつって、エリックを動揺させ、戦う意思を失わせて、死を受け入れるように仕向けようとしている。

 そしてエリックは、そんな、卑怯なやり方をする相手に心当たりがあった。


 ヘルマンだ。


 ヘルマンは、聖母にもっとも忠実な腹心として、聖母から永遠に近い不老の命と、キメラの姿に変異する力を与えられただけでなく、それ以外にもいくつもの特殊能力が与えられている。


 その中には、相手をあやつるという力もある。

 そのヘルマンの力によって、エリックの父親、デューク伯爵は暴走する馬車から脱出できずに命を落とし、エミリアもまた、連れ去られることとなった。


 ヘルマンなら、エミリアをあやつり、思うままにしゃべらせることができる。

 それだけではなく、自分を選ばれた特権的な存在と考え、自分以外のすべてを見下していたヘルマンならば、エリックの運命をもてあそび、嘲笑するために、どんな卑劣なことだってするのに違いない。


 加えて、ヘルマンにはそうする動機がある。

 なぜならヘルマンは、その自尊心をエリックによって徹底的にへし折られているからだ。


 エリックに対して報復し、傷つけられた自尊心を修復する。

 そのためならヘルマンは、エリックがもっとも苦しむであろう方法で攻撃して来るはずだった。


「どうしたの? 兄さん。


 黙ってないで、なにか、私に言い訳をしてみたらどうなの?


 そうすることもできなくて、私の言うとおりだって認めるのなら、今すぐ死んで? 」


 エリックに向けられる、残酷なエミリアの言葉。

 しかしエリックの心はもう、その言葉でも揺らぐことはない。


(どこだ……、どこに、隠れている? )


 エリックは必死に、周囲の気配を探っていた。

 エミリアがヘルマンにあやつられているというのなら、ヘルマンを倒せば、エミリアを救うことができるかもしれないからだ。


 あのヘルマンが、エリックを苦しめるためならどんなことでもしようと考えているはずのヘルマンが、どこにいるのか。


 ここは、見晴らしの良い、塔の上だ。

 だから状況を監視するだけなら、遠く離れた安全な場所からでもできてしまう。

 エリックが探すべき範囲は、大きく、広い。


 だが、ヘルマンの性格を考えれば、必ず、近くにいる。

 エリックによって破壊された自身の自尊心を修復し、再び、聖母と自分以外の、この世界のすべてを嘲笑するためには、ヘルマンはもっとも近いところで、[実の妹に責められて絶望し、無残に殺されるエリック]の姿を見たいと考えるはずだった。


 だが、当然ヘルマンは、自らの安全を確保しようとするだろう。

 正面から1対1で戦ってはエリックに勝ち目がないと思い知らされているからこそ、ヘルマンはエミリアを使っているのだ。


 この場で、エリックが苦しむ様子をもっとも近くで観察することができ、かつ、安全な場所。


「……そこかっ! 」


 エリックは素早く背後を振り向くと、躊躇(ちゅうちょ)なく聖剣を振るっていた。


 そこにあったのは、ついさっき塔の屋上に駆けのぼるのに使った、階段の出口だ。

 屋内に雨水などが侵入しないようにきちんと壁と屋根が取りつけられたその階段の出口の周辺は、エミリアを追いかけることに集中し、エミリアと対峙しているエリックの背後となり、ちょうど、エリックの意識の死角ともなる。


 ヘルマンなら、自身の危険を避けながら、エリックのことを見下し、嘲笑しようとする卑怯者が隠れる場所として選ぶのなら、その、エリックの死角となる、リックの背後であるのに違いなかった。


 エリックが振るった聖剣は、苦も無く、階段の出口に作られた壁を両断した。

 防御塔と同じ石造りの頑丈な壁だったが、しかし、勇者と魔王の力を合わせ持ったエリックが振るう聖剣は、簡単に斬り裂くことができる。


 エリックの手に、確かな手ごたえがある。

 そしてその中には、石以外のもの、肉と骨を斬る感触もあった。


「うぎゃああああああああああああっ!? 」


 激痛にうめくヘルマンの悲鳴が響き渡る。

 そして、聖剣に切断された壁が崩れ落ちるように倒れると、二の腕の真ん中あたりで片腕を切断され、鮮血をほとばしらせながら、痛みに叫び、驚愕しているヘルマンの姿があらわれた。

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