・第301話:「エミリア」

 乱戦の中から抜け出したエミリアは、戦いが始まっても沈黙を続けている城門の防御塔に向かって駆けていった。


 一瞬だけ、エミリアが視線を向けていた防御塔。

 エミリアはその塔にたどり着くと、躊躇(ちゅうちょ)なく内部へと駆け込み、聖剣を手にしたまま階段を駆けのぼっていく。


 リディアたちに後の戦いのことを任せてエミリアを追いかけてきたエリックは、当然、エミリアに続いて塔の階段を駆けのぼって行った。


 聖堂を守る最後の防衛拠点として作られた城門と防御塔は、一般的な同種の構造物よりもずっと大きい。

 一般的な防御塔では、上下を移動するためにははしごを使ったり、角度が急で幅の狭い階段を使ったりするのだが、この防御塔の階段は大きな四角い吹き抜けの周りを周回するように作られている。


 上を見上げると、エミリアの金髪と聖衣のそでがなびいているのが見える。

 エミリアの駆ける速度は速く、エリックは二段飛ばしで急いで階段を駆けのぼった。


 エミリアを、失いたくない。

 その一心で、エリックは彼女の後に続いて、防御塔の屋上へとたどり着いた。


 もしかすると、罠があるのかもしれない。

 たとえば、防御塔の上にはヘルマンや聖騎士たちが待ち構えていて、襲いかかってくるかもしれない。


 エリックはそんな可能性を考慮し、警戒していたのだが、しかし、防御塔の屋上には、エミリア以外の誰もいなかった。


 広々とした塔の上。

 先にたどり着いたエミリアは、胸壁を背にして、エリックを待っていた。


「エミリア! 」


 エリックはそう呼びかけつつ、しかし、すぐにはエミリアに向かっていかなかった。

 エリックの姿を目にしたエミリアが、静かに聖剣をかまえ、臨戦態勢を取ったからだ。


 その瞳は、相変わらず、虚ろなものだ。

 エミリアは聖母たちによって聖女に仕立て上げられ、他の聖女たちと同じように洗脳され、あやつられている。


 だが、きっと、言葉が届くはずだ。

 そう信じて、いや、そうあって欲しいと願いながら、エリックはエミリアに語りかける。


「エミリア、もう、戦わなくていいんだ!


 兄さんが、オレが、迎えに来たんだから! 」


 たとえエミリアが反応示さなくとも、何度でも、語りかける。

 エリックはそのつもりだったが、しかし、意外なことにエミリアはエリックの言葉に、すぐに反応を示してくれた。


「……ずいぶん、時間がかかったのね? 兄さん」


 それは、抑揚のない、無感情な言葉。

 しかし、まぎれもなくエミリアの声だった。


「……すまない、エミリア。


 だけど、オレはエミリアを、やっと、迎えに来たんだ」


 時間がかかった。

 そのことについて、エミリアは責めているのか、ただその事実について言っているだけなのか、今の無感情な口調からは判別できない。


 だがエリックは、思わずエミリアから視線をそらしていた。


 エリックはいつだって、エミリアのことを気にかけてはいたのだ。

 彼女の行方をつかむためにセリスたち元魔王軍の偵察兵(スカウト)たちにも協力してもらい、可能な限り情報を集めていた。


 だが、ここにたどり着くまでに、あまりにも時間がかかり過ぎている。

 その間にいったい、エミリアがどのような体験をさせられたのか、想像するだけでも恐ろしく、悲しい。


 エミリアは、聖母たちによって聖女にされた。

 聖母の道具として、意志のない人形のように操られ、エリックと戦うように仕向けられた。


 そのことを考えると、エリックは、エミリアに対して顔向けできない気持ちだった。


「どうして、こんなに時間がかかったの? 」


 視線をそらしたエリックに、エミリアは間髪入れずに、そうたずねて来る。

 その言葉にエリックはビクリ、と肩を震わせていた。


「本当に、ごめん、エミリア。

 だけど、オレは、オレたちは、必死に、エミリアのことを探していたんだ」


 エリックの口から出てきたのは、エミリアへの言い訳であり、同時に、エリック自身への言い訳だった。


 エミリアの行方がわからない間、エリックはずっと彼女の身を案じ続けてはいた。

 しかし、そのことで本当に辛い思いをしていたのは、エリックではなく、エミリア自身であるはずだから。


 自分は、できるだけのことをしたのだ。

 そう思わなければ、エリックは自身の罪悪感に耐えられなかった。


「ウソばかりね? 兄さん」


 しかし、エミリアは短い言葉でそう断じると、聖剣をかまえたまま、1歩、エリックに向かって歩みよる。


「本当は、兄さん、私のことなんて、どうでもよかったのでしょう?


 行方がわからなかったって、私が聖都に連れ去られただろうなんて、簡単に推測できたはずなのに。


 けれど、兄さんは私を助けるために、いいえ、私が聖都にいるかいないかを確かめるために、聖都に来てはくれなかった。

 本当は私のことなんてどうでもよくて、兄さんは、兄さん自身の方が大切だったから。


 そうでしょう? 兄さん? 」


 エミリアはそれまでと変わらない、抑揚のない声でそうエリックを詰問しながら、1歩1歩、ゆっくりと近づいてくる。


 エリックは、自身の心がバラバラに引き裂かれるような痛みを感じながら、身動きが取れずにいた。

 自分はエミリアに責められて当然だと、なんの釈明(しゃくめい)もできないと、そう思ったからだ。


「私ね、兄さん。

 ずっと、待っていたんだよ?


 聖母様に、聖女に作り変えていただく間、ずっと。


 辛くて、苦しくて、怖くて、寂しくて。

 でも、兄さんが助けに来てくれるって、そう信じてたのに。


 結局、兄さんは私を救いに来てはくれなかった」


 そのエミリアの言葉に、エリックははっとしたように視線をエミリアへと向けていた。


 エミリアはそんなエリックへと聖剣の切っ先を向けると、淡々とした声で、言う。


「だから、ここで、聖母様のために死んで? 兄さん? 」

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