・第263話:「気持ち:2」

 エリックは、セリスに見守られながら、泣いた。


 ただ、嗚咽(おえつ)を漏(も)らし、外聞もなにもなく。


 そんなエリックのことを、セリスは黙ったまま見つめ、そして、よりそってくれた。


「……ありがとう、セリス」


 それで、エリックがこれまで抱え込んできた心の痛みがすべて、消えてなくなったわけではない。

 しかし、以前よりもずっと気持ちが楽になったように感じていたエリックは、ようやく泣き止むと、そう言ってセリスに礼を言っていた。


 エリックは、こんな風に弱さを見せてもいい相手は、誰も残ってはいないのだと考えていた。


 父親であるデューク伯爵は失われてしまったし、妹のエミリアはヘルマンにさらわれたまま、未だにその行方さえ分からない。

 そしてエリックは、親友であったバーナードを、自ら手にかけなければならなかったのだ。


 聖母を倒し、この世界を救うのだという使命。

 それを背負うと、そうすることができるのは自分だけだと考えていたエリックは、決して他の人々に弱さを見せてはいけないのだと思っていた。


 なぜなら、多くの人々にとっては、エリックこそが希望だったからだ。

 エリックがいるからこそ、人々は聖母と戦うのだという意思を持つことができている。


 そんなエリックが、もしも弱音を吐いているところを見られてしまったら。

 人々は動揺し、せっかく大きくなり始めている反乱軍は、消え去ってしまうだろう。


 反乱軍の中核として、リーダーとしての役割を果たせるのは、自分しかいない。

 そう考えたエリックは、決して自身の弱さを見せることはできないと思っていた。


 だが、そうではないのだと、セリスは言ってくれた。

 自分の前ではそういう弱さを見せてもいいのだと、セリスはそう、本心から思ってくれていたのだ。


 もう、この世界に、そんなことを許してくれる者は誰もいないと、そう思っていたエリックにとって、これほどに嬉しいことはなにもなかった。


「後で、クラリッサにもお礼を言わないとだな」


 それからエリックは、窓の外を見て辺りがすっかり暗くなっており、それほどの長時間、セリスによりそわれながら泣いていたのだと気づいて、慌てて気恥ずかしそうにそう言いながら、セリスから離れていた。


「そうね。

 きっと、クラリッサがくれたお薬も、効いてくれたのよ」


 まだとても完全とは言えなかったが、以前よりも明らかに調子がよくなっているエリックの様子にセリスも安心したような笑みを浮かべながら、そう言ってうなずいてみせる。


(迷惑、かけたはずなのに……)


 エリックはそんなセリスの姿に、申し訳なさと嬉しさとを感じていた。


 エリックが泣き始めた時、辺りはまだ明るかった。

 しかし、今はすっかり日が暮れて、部屋の中は以前、魔術師たちが用意してくれた魔法のランプの明かりで淡く照らされているだけで、薄暗い。

 きっと、数時間も経っているはずだった。


 普通、そんなに長い時間エリックの側にいてくれるなど、迷惑なことであるはずだった。

 セリスだって偵察兵(スカウト)としての仕事があるはずだったし、なにより、エリックが泣いている間、セリスはエリックの側にいてくれる以外のことを、仕事だけではなくなにもできなかったはずだ。


 それなのにセリスは、そのことを少しも怒ってはいない。

 それどころか、ただ、安心した、という様子でエリックのことを見てくれているのだ。


(感謝しても、しきれないな……)


 エリックは、自身の心の中が暖かくなるのを感じていた。


 そんな感覚を覚えるのは、ずいぶん、久しぶりのことだ。

 それは、聖母から勇者として選ばれ、魔王・サウラを倒すための旅に出て以来、感じたことのないものだった。


 自分は、ここにいてもいいのだ。

 無理をして強がらなくても、ありのままの姿でいていいのだ。


 セリスはそんなふうに、エリックのことをただ、肯定してくれたのだ。


エリックはセリスがこんな風に自分のことを真剣に思いやってくれるなど、考えたこともなかった。

 最初に出会った頃のセリスはエリックに対して敵愾心(てきがいしん)むき出しだったし、その後も、「必要だから一緒にいるだけ」という態度を少しも崩さなかった。


 だが、誰よりも近くでエリックの戦いを目にしてきたセリスは、いつの間にか、エリックの最大の理解者になっていたようだった。


 セリスは今、あまり多くの言葉は言わずに、エリックのことを暖かなまなざしで見つめている。

 それは、エリックがセリスに心を開き、弱さを見せてくれたことや、そのことで少しは元気を取り戻したエリックの様子を、心から喜んでくれているようだった。


 エリックはそんなセリスの視線に気恥ずかしさを覚えながらも、同時に、自身の手を力強く握りしめていた。


 エリックの手には、今でも、バーナードを手にかけた時の感触が、はっきりと残っている。


 この手で親友を殺したのだ。

 その実感は、今もエリックの中に強くあり続け、そしてこれから先、どれほどエリックが長く生きることになろうとも、消えることはないだろう。


 そしてその感触は、エリックの心に強い痛みを感じさせ続けている。


 だが、エリックはその痛みを、乗り越えなければならなかった。


 ここにこうして、セリスという、エリックのことを本心から心配し、受け入れてくれる人がいる。

 それだけではなく、エリックにはクラリッサをはじめ、何人もの仲間たちがいる。


 そして、エリックのことを信じ、聖母に対して戦おうと立ち上がった人々。

 その人々のために、エリックはここで決して、折れるわけにはいかなかった。


 そうして決してあきらめることなく戦い続け、聖母を倒す。

それこそが、自身の手で殺めてしまったバーナードに対する、最大限の弔いでもあるのだ。

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