・第228話:「和解」
まだ息があったとはいえ、リディアは、瀕死(ひんし)の状態だった。
聖女として与えられた力が彼女をどうにか生かしていたが、その効果も、あとほんのわずかな時間で意味をなくすだろう。
この世界には、死者を復活させるような魔法や手段が、確かに存在している。
それはたとえば、エリックに施された黒魔術だ。
また、聖母たちも、なんらかの形で死者を復活させる手段を持っているかもしれなかった。
聖母自身が不老不死の方法を持っているというだけではなく、ヘルマンや聖騎士のような異形のバケモノを生み出す力があるのだから、死者さえ復活させる技術を持っていたとしてもおかしくはない。
しかし、そのどの手段も、今のエリックには実施できないものだった。
黒魔術についてはまだ解明ができていないし、聖母たちが持っているノウハウのことなど、エリックたちは誰も知らない。
だから、リディアがここで死んでしまえば、それで終わりだった。
「リディア!
すぐに、助けるからなッ! 」
エリックはそう言うと、リディアを抱きかかえたまま、空中に飛翔した。
まだ息があるなら、きっと、なんとかなる。
クラリッサが、なんとかしてくれる。
エリックは、そう信じていた。
いや、そうであって欲しいと、心の底から強く願っていた。
リディアは、必死の形相で空からクラリッサたちの姿を探すエリックのことを、虚ろな瞳で見上げていた。
おそらく、意識が朦朧(もうろう)としていて、エリックの顔を見ているようでも、実際にはほとんどなにも見えていないような状態なのだろう。
それでもリディアは、かすかに、エリックに向かってなにかを言った。
その言葉はあまりにも小さく、かすれていて、エリックには聞き取れない。
しかし、エリックにはリディアが、「ありがとう」と、そ言ったように思えた。
リディアは、わかっているのだ。
エリックがヘルマンへの復讐(ふくしゅう)ではなく、リディアを救うことを選んでくれたことを。
それは、単純に、エリックがリディアを救おうとしてくれた、というだけではない。
エリックがリディアへの憎しみや恨みを消せずにいても、なんとか、リディアのことを許そうと、必死に努力している証なのだ。
それはきっと、リディアにとって、なによりも嬉しいことだっただろう。
彼女は、エリック以外にも、たくさんの勇者たちを裏切り、彼らの背中を襲い、始末して来た。
その、贖(あがな)いきることのできない罪の1つが、エリックの許しによって、救われるのだ。
そしてそれは、リディアがいつか、すべての罪を贖(あがな)って、真の意味で自由に生きていくことができるかもしれないという、その希望を示すことだった。
たとえ、ここで命を失うことになったとしても。
その希望を、わずかにでもエリックが見せてくれたことに、リディアは心からの感謝の言葉を伝えたかったのだろう。
「死ぬな、リディア!
死んだら、ダメだッ! 」
そんなリディアをこの世界にとどめようと、エリックは必死に呼びかけながら、クラリッサの姿を探し続けた。
エリックはもう、リディアのことを許すことができている自分に、気づいていた。
ヘルマンへの復讐(ふくしゅう)ではなく、リディアを救うことを選んだその瞬間に、エリックはもう、リディアを許していたのだ。
彼女は、本当に、エリックに贖罪(しょくざい)したいと願っていた。
だからこそ、エリックがヘルマンの毒を受けて危機に陥った時、自身も毒を浴びることになるにもかかわらず、ヘルマンに向かって行ってくれたのだ。
エリックに対する罪を贖(あがな)うために。
リディアは、本心からそう願っていなければとてもできないような行動を示してくれた。
エリックに、許された。
和解することができた。
そのことを、朦朧(もうろう)として生死の境をさまよいながらも知ることのできたリディアは、安らかに微笑んでいた。
エリックも、リディアを許すことのができた自分が、嬉しかった。
自分自身の幸せをあきらめてはいけない。
デューク伯爵が最後にそう言った通りに、エリックにも、この復讐(ふくしゅう)を終えた後に、自分自身のために生きることのできる、自由な未来が待っているかもしれないと、そう思うことができたからだ。
そしてエリックは、できれば、その世界にリディアもいて欲しかった。
エリックもリディアも2人ともが、無理だと思っていた和解を成し遂げることができたのだ。
エリックが、知りたいと思っていた、本当のリディアの姿。
仲間として、友人としての、真のリディア。
そのリディアを知らないまま、別れたのでは、後悔してもしきれないだろう。
やがてエリックは、クラリッサの姿を見つけ出すことができた。
彼女はデューク伯爵の城下町にまでもうたどり着いていて、そこで、負傷した人々を治療するため、他の魔術師や医師たちとともに懸命(けんめい)に働いているようだった。
「クラリッサ!
リディアを!
リディアを、助けてくれっ! 」
エリックは、安らかな微笑みを浮かべながら、今にも消えて行ってしまいそうなリディアを抱きかかえたまま、クラリッサに向かって必死にそう叫びながら降下していった。
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