・第227話:「選択:2」

 エリックが振り下ろした聖剣は、なんの手ごたえもエリックの腕に伝えないまま、ヘルマンの身体から生えた蛇の頭を持つ尻尾を斬り飛ばしていた。


 再び猛毒の霧を吐き出そうと、半ば口を開いたままの蛇の頭は切断面から噴出されることのなかった毒の一部と鮮血をほとばしらせながら、床に叩きつけられ、そして痛みに苦しんでのたうち回った。


「ギャアアアァアアァァァアァアアッ!!! 」


 そして、痛みにのたうち回ったのは、ヘルマンも一緒だった。


 ヘルマンには、自身の毒に対する耐性があった。

 しかし、尻尾を斬り飛ばされ、直接、身体の内側と毒とが触れたために、その耐性も効果を発揮できなかった様子だった。


 ヘルマンの毒は、それを吸い込んだ者の弱い粘膜を溶かし、身体を内部から破壊する、恐ろしいものだった。

 それをヘルマンは自身の傷口に直接、それも蛇の頭から噴出される前の、もっとも濃い状態のものを浴びてしまったのだ。


 ヘルマンの尾の切断面からは、じゅうじゅうと音を立てながら、煙が立ち上っている。

 ヘルマンは自身の毒によって、自分自身の身体を焼かれ、溶かされていた。


「キサマッ! エリックゥゥゥゥゥゥッ!!!


 よくもっ!

 よくも、この俺をォォォオ! 」


 ヘルマンは、おそらくは彼がこれまで経験したことのない苦痛で悶絶し、床の上を転がり、手足を振り回してのたうち回りながら、エリックに対する憎しみの言葉を吐いた。


 それは、エリックにとって、絶好のチャンスだった。

 半ば錯乱した状態で闇雲にエリックに向かって手足を振るっているヘルマンに、再び聖剣を振り上げると、エリックは思いきり振り下ろしていた。


 エリックは、頭を狙ったつもりだった。

 この苦しみの絶頂にある瞬間こそ、卑劣(ひれつ)なヘルマンにもっともふさわしい最後だと、そう思ったからだ。


 しかし、ヘルマンはしぶとかった。

 自身の毒に焼かれる痛みに悶絶しながらも、エリックが聖剣を振るおうとする気配を察すると、咄嗟(とっさ)に自身の背中から生えた翼で、頭部をかばったのだ。


 聖剣の威力と、魔王と融合したことで得た膂力(りょりょく)を用いれば、ヘルマンを翼ごと切断するのは難しいことではなかった。

 しかし、ヘルマンが自身の頭をかばうために大きく翼を広げたために、エリックの視界は妨げられ、最後の瞬間にわずかに狙いがズレることとなった。


 それでも、エリックが振るった聖剣は、ヘルマンの翼を切断し、そして、その頭部から生えていたケモノの耳を斬り飛ばしていた。

 聖剣の先端はわずかにヘルマンの頭部をもとらえてはいたが、人外の存在として強化されていたヘルマンの頭蓋(ずがい)がギリギリその切っ先を滑らせてそらし、致命傷とはならなかった。


「死ねェ、ヘルマン! 」


 まだ、ヘルマンを殺せていない。

 そう察したエリックは、叫びながら自身の力を振り絞って、ヘルマンにトドメを刺そうと試みる。


 ヘルマンは、逃げた。

 死の恐怖におびえながら、なりふりかまわず、必死に、逃げ出した。


 それは、哀れな逃走劇だった。

 エリックが振り下ろす聖剣を避けるために、自身がまき散らした様々なモノの破片が身体にまとわりついたり食い込んだりするのにもかまわず必死に床の上を転がり、這いずって、エリックが振るう聖剣をかわす。


 そしてヘルマンは、窓を突き破って、外へと逃げ出した。


 おそらくは、翼があるから、飛んで逃げるつもりだったのだろう。

 だが、翼を広げようとした瞬間、ヘルマンはバランスを崩して落下した。


 エリックがヘルマンの翼を片方、断ち切っていたからだ。

 ヘルマンは戸惑うような悲鳴をあげながら落下して、そして、思い切り地面へと叩きつけられた。


 エリックは、逃げたヘルマンを追いかけた。

 まだ毒の影響があるためにあまり言うことを聞いてくれない身体を引きずるようにしてヘルマンが落ちて行った窓へと向かい、そして、そこから身を乗り出して、ヘルマンの姿を探す。


 ヘルマンは、自身が落下した場所で、よろよろと起き上がろうとしているところだった。


 その姿にはもはや、エリックのことを煽(あお)り散らし、バカにし、愉悦(ゆえつ)していたヘルマンの姿はなかった。

 そこにあるのは、瀕死(ひんし)の傷を負い、どんな惨めな姿をさらしてでも生き延びようとする、哀れな敗者の姿だった。


 その惨めな姿をさらしているヘルマンに、今なら、トドメを刺すことができる。


 エリックはそう思って窓から飛び出そうとする自身の身体を、グッと、強く窓枠を握りしめて制止した。


 このまま追いかければ、確かに、ヘルマンを始末することができる。

 聖母の最大の共犯者であり、エリックを利用して裏切った者の1人であり、エリックのことを見下し、散々、煽(あお)り散らして、どんな卑劣(ひれつ)なことでもしかけてきた、ある意味では最大の敵を、殺すことができるのだ。


 だが、もしそうしたら、エリックは、リディアを永遠に失ってしまうことになる。


 エリックの背後では、リディアが横たわっていた。

 彼女自身が吐き出した血だまりの中に横向きに倒れながら、まだ、かすかに息をしている。


 おそらくは、リディアもまた、聖女として通常の人間よりもずっと強化されているから、まだ生きていられるのだろう。

 しかし、それは同時に、死ぬような苦痛をずっと、長ったらしく味あわされているということでもあった。


 それが、どれほど辛いことであるのか。

 黒魔術によって死ぬことのできないエリックは、よく知っている。


 そしてなにより、エリックは、李出会いとなんらかの形で和解できないまま別れるのは、絶対に嫌だった。


 エリックの見おろしている先で、やっと起き上がったヘルマンが、一目散に逃げていく。

 翼を失って空を飛ぶことができないから、地面をドスンドスンと走って、少しでもエリックから遠くに逃れようと走っていく。


 エリックは、その後ろ姿を、自身の奥歯を噛みしめながら見送った。

 そして背後を振り返ると、ようやくまともに動くようになってきた身体でリディアに駆けより、彼女を抱きかかえるようにする。


 エリックは、ヘルマンへの復讐(ふくしゅう)ではなく、リディアを、仲間を救うことを選んだ。

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