・第226話:「選択:1」

 エリックの身体は、まだ、自由には動かなかった。

 ヘルマンが吐き出した毒の効果はまだ続いていて、[死ねない]エリックにとってそれは、なおさら苦痛だった。


 だが、ここで動かなければ、エリックはリディアを失ってしまうことになる。


 リディアは、エリックにとっては、自身を背中から突き刺した、裏切り者だった。

 ヘルマンと共に聖母の共犯者となり、リディアはエリックを騙(だま)していたのだ。


 それを、リディアは決して、自ら望んで行っていたわけではない。

 聖母たちによる支配下に置かれ、無理やり行わされてきたことだった。


 エリックは、そのことをすでに知っている。

 だが、だからと言って、簡単にリディアのことを許すことなどできなかった。


 エリックが聖母たちにとって用済みとなったら、使い捨てにする。

 そのことを知っていたのなら、どうして、リディアは教えてくれなかったのか。


 そして、どうして、リディアは2度も、エリックを背中から突き刺したのか。


 リディアは、最後には聖母やヘルマンたちに反抗し、彼女自身の意志によって、エリックと共に戦うことを選んでくれた。

 それは嬉しいことであるのと同時に、エリックにとっては、どうしてもっと早くそうしてくれなかったのだという気持ちがあるのだ。


 そんな複雑な感情があるから、エリックは、リディアが再び仲間となったのちも、あまり話すようなことがなかった。

 必要なことはもちろん話すのだが、できるだけ短い言葉にまとめて用件だけを伝え、それ以上のことはなにも言わずに、お互いにそそくさと離れていく。


 そんな、ギクシャクとした関係だった。


 エリックは、リディアへの気持ちを整理することができてはいない。

 彼女の事情を知ってしまった後となっては、リディアにもどうすることもできない事情があったのだと理解はすることができているのだが、かといって、納得できたわけではないのだ。


 そしてリディアの方でも、エリックに対する罪悪感を抱き続けている。

 そんなことはしたくない、嫌だ、と思いつつも、リディアは2回も、エリックを背後から突き刺している。


 彼女は2回、エリックを殺しているのだ。


 エリックは黒魔術によって蘇生するからまだ生きているが、もしそれがなかったら、エリックはリディアによってその命を絶たれていたはずだった。


 エリックの命を、奪う。

 それを実行に移したということは、リディアにとって、贖(あがな)いきれない罪となって、彼女の心を縛りつけていた。


 エリックとリディアの関係は、微妙なものだ。

 もはやかつて一緒に旅をしていた時のように、心から信じて背中をあずけることのできるような関係ではない。


 それでもエリックは、この時、リディアを救わなければならないと、そう思っていた。


 エリックは、リディアとの関係を、この、微妙で複雑な状態のまま、終わらせたくはなかった。


 リディアに対する復讐(ふくしゅう)心、恨み、憎しみの気持ちは、消えてはいない。

 だが、リディアにも事情があり、彼女もまた聖母に利用されるしかなかった存在であるのだと知った今は、できれば、その消せない感情を克服し、また、かつて一緒に旅をしていたころのような関係に戻りたいと願っていた。


 いや、それは、少し違う。

 旅の間中、リディアには、どこかエリックたちと距離を置くようなところがあった。


 それを、エリックは[聖母の修道院で育ったから、異性に慣れていないし、勇者を前に遠慮しているのだろう]と、そう考えていた。

 だが、リディアはきっと、いつか自分が殺さなければならないエリックと親しくなりすぎることを、避けようとしていたのだと、今ならそうわかる。


 エリックは、そんな関係に戻りたいわけではなかった。


 リディアが、本当はどんな存在なのか。

 エリックと同じものを見て、聞いて、感じた時に、本当はどんな感情をいだくのか。

 ともに旅をしている間、ずっと隠し続けていた本当のリディアの姿は、どんなものなのか。


 エリックは、叶うならそれを知りたいと思っていた。

 そして、リディアと和解し、本当の仲間に、友人になりたいと思っていた。


 だからエリックは、リディアを救うことを選んだ。


 あのまま、見捨てることだってできたのだ。

 ヘルマンがリディアの首を跳ね、その宣言通りに、彼女の臓物を食らう光景を、傍観(ぼうかん)していることだってできたのだ。


 だが、それでは、エリックはきっと、自分の行いを後悔する。

 そしてそれは、なによりも、これから聖母を倒し、世界を救おうという自分の決意に、まったく反することだった。


エリックは、聖母の支配下にある人間も、魔物も、亜人種たちも、そのすべてを救いたいのだ。

そこには復讐(ふくしゅう)を果たしたい、聖母たちのしてきたことに対する当然の報いを与えるべきだという気持ちもあるが、今のエリックにとって一番強い気持ちは、聖母による支配を終わらせ、この世界を解放するということだった。


 だからこそエリックは、復讐(ふくしゅう)心に支配され、冷静さを失ってしまう自分を、嫌悪し、情けないと思ったのだ。


 そして、その救うべき、解放するべき[世界]の中には、リディアも含めるべきだと、エリックはそう思っていた。


「なッ、なにッ!? 」


 エリックが突進していった時、ヘルマンは、すっかり油断していた。

 自分の毒の効果でエリックは動けない状態にあったし、彼と聖母にとっての裏切り者であるリディアに、惨たらしい死をもたらすことに、ヘルマンは快感を覚えていたところなのだ。


 そこに、エリックが、血反吐を吐きながら突っ込んできた。

 その動きを予想していなかったヘルマンは、その表情に驚愕(きょうがく)と怖れを浮かべ、そして咄嗟に、エリックの行動を阻止しようと、また自身の尻尾から毒の霧を吐き出そうとする。


 だが、エリックの突進の方が、速かった。

 エリックは肺の中の空気を出し切るまで叫び続け、そして、渾身の力で聖剣を振り下ろして、ヘルマンの尾を切断した。

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