:第1章 「その後の始まり」
・第15話:「リーチ」
ずる……、ずる……。
なにかが、引きずられていく音。
わずかに覚醒したエリックの精神は、ぼんやりとした思考の中で、その音の主が自分であるということに気がついていた。
うっすらと、目を開く。
すると、意外なことに、エリックの目にはまだ、世界が見えていた。
見えるのは、幾筋も立ち上る黒煙と、その煙でかすんでいる空。
ずる……、ずる……、という音と、エリックの身体が地面の上を引きずられる感覚と共に、その景色が下から上へと移動していく。
どうやらエリックは、まだ魔王城の中にいるようだった。
空が見えるから、城館からは出ているのだろうと思うが、人類軍による殲滅戦(せんめつせん)によって生じた火災がまだ盛んに燃えていることから、時間もそれほど経ってはいない様子だった。
どうやら、自分は、両足首を何者かに持たれて、地面を引きずられながら運ばれているらしい。
なんとか眼球を動かして自身の足の方を見ると、エリックを引きずっているのは見知った人物だった。
「リー……チ? 」
エリックは、かすれた声で、その、エリックにとって大切で、心の底から信頼していた仲間の1人の名を呼ぶ。
リーチは、その両脇にエリックの足首を抱え込み、前かがみになってエリックを引きずっているところだった。
エリックの声はか細いものだったが、感覚の鋭いリーチはすぐにそれに気がついた様子だった。
不思議そうな表情で振り返ると、リーチはエリックが薄く目を開いていることに気がつき、「どっへェっ!? 」と奇妙な悲鳴を上げて驚いた。
「ゆ、勇者様!? い、生きておいでだったんですかい!? 」
「そ……う、みたい……だ」
エリックは、驚いたまま問いかけてくるリーチに、か細い声で答えて見せる。
同時に、自身がどんな目に遭ったのかを、鮮明に思い出していた。
自身の胸甲を背後から貫いた、鋭い剣の切っ先。
全身を襲った激痛。
徐々に冷たく、命を失っていく身体。
エリックは間違いなく致命傷を受け、瀕死だった。
それでも、また意識を取り戻すことができたのは、聖母から与えられた、勇者としての加護と、背後から突き刺された凶刃が、かろうじてエリックの心臓を外れ、エリックの心臓がまだ動いているおかげであるようだった。
「リー……チ……、いった……い、な……に……が……? 」
混濁(こんだく)した意識で必死に考えながら、エリックはリーチになにが起こったのかをたずねる。
自分が何者かによって背後から刺された。
そのことは、エリックもすでに理解している。
それがどんなに受け入れがたいことであっても、エリックは自身を貫いた刃の感触も、痛みもしっかりと思い出せた。
そしてなにより、自分が今、瀕死(ひんし)であることが、それが現実であったことの確かな証拠だった。
「ぅひっ……! いひひひひっ! 」
驚いた顔のままエリックのことを見つめていたリーチだったが、やがて、エリックの問いかけには答えないまま、肩を震わせ、心底嬉しそうに奇妙な笑い声を漏(も)らす。
それからリーチは、振り返ってエリックに背中を向けると、エリックの足首を両脇に抱え直し、エリックを引きずるのを再開する。
エリックを粗雑に引きずって行く間も、リーチは肩を震わせながら、奇妙な声で笑い続けていた。
勇者が生きていたのが、嬉しくてしかたがない。
そんな笑い声だ。
だが、それは、エリックに対する善意や、好意からによるものではなさそうだった。
それは、リーチが、エリックを手当てしようとするのでもなく、乱暴に、まるで物をあつかうかのように引きずっていることからもわかる。
もし、彼が勇者・エリックのことを心から心配し、助けようとしているのであれば、エリックになにか治療をしようとするはずだったし、盗賊として、一匹狼として長く生きてきたリーチには、それなりに治療の知識や技術があることをエリックは知っている。
「リー……チ……」
エリックは、助けを請うような声でその名を呼んだ。
だが、リーチは、まるでそれに気づいていないように無視し、エリックを引きずり続けている。
エリックは、そのリーチの態度が信じられなかった。
リーチはかつて、エリックによって命を救われている。
盗賊として多くの罪を犯し、そしてエリックたちによって捕らわれの身となり、処罰として処刑が決まろうとしていた時、リーチは「改心するから、生かしてくれ」と、エリックたちに懇願した。
エリックは、そんなリーチのことを救ってやった。
盗賊としての経験が役に立つと、そう理由をつけ、魔王を倒すための旅の役に立ってもらうという名目で、リーチの処刑を取りやめとしたのだ。
甘いのではないか。
そう仲間たちから言われもしたし、エリックもそう思わないでもなかった。
だが、リーチは旅の間中ずっと、そして魔王を倒すその瞬間まで、エリックを裏切りはしなかった。
それなのに。
エリックは、リーチのことを、本気で信じていたのに。
リーチがエリックを引きずって来たのは、魔王城を南北に割いている谷の縁だった。
そこは、人類軍が魔王軍からの奪取に失敗し、破壊されてしまった橋の跡地。
魔法と火薬の力によって破壊された橋の残骸が周囲に飛び散って積み上がり、犠牲者たちの遺体が生々しく積み上げられ、くすぶる炎によって焦がされている、そんな場所だった。
「よっこい……、せっと! 」
リーチはそこにエリックを連れてくると、エリックを壊れた橋の上におろした。
そして、まるでエリックを谷底に蹴り落そうとするかのように、エリックの身体にリーチは足をかける。
「やめ……ろ……」
エリックは、リーチがなにをしようとしているのか、わかっていた。
だが、まだ、信じられなかった。
自分は、リーチの、命の恩人なのだ。
それなのに、こんなことが、あり得るのだろうか。
あっても、良いことなのだろうか。
「すみません……、すみませんです、勇者様ぁ……」
エリックに足をかけたままのリーチは、そう言いながら涙ぐみ、顔をくしゃくしゃにして鼻水まで垂らす。
だが、それは、悲しみの表情ではなかった。
愉悦(ゆえつ)と、快感と。
まるで、長い時間その胸の中に抱いて来た鬱屈(うっくつ)から解放される、まさにその瞬間にあるかのような、歓喜の表情だった。
「でも……、こうしないと……。ご褒美が、いただけないんでさぁ! 」
そしてリーチは、唐突にそう叫ぶと、くわっと双眸(そうぼう)を見開き、心底嬉しそうにエリックを蹴りつけた。
(どうし……て……? )
エリックのその疑問は、もう、声にならない。
彼は、もはやなにもなすすべはなく、ただ、無様に、谷底へと落ちていくことしかできなかった。
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