・第11話:「魔王軍包囲殲滅戦:8」

 一呼吸ごとに、むせかえるような死の臭いが嗅覚を襲う。

 濃密な血の臭いに、人間ではない、魔物たちの体臭が入り混じっている。

 魔物と亜人種の身体から流れ出した体液が床を覆い、混ざり合って、静まり返った生き地獄に彩を添えていた。


 エリックたちの前には、魔王の玉座の間へと通じる門扉がそびえたっている。

 魔物や亜人種の非戦闘員たちが殺戮(さつりく)されていく間にも開かれることがなかったその扉は、今も固く閉ざされたままだった。


 その門扉の前に、人類軍は、うずたかく火薬を積み上げていた。

 屋内に持ち込める、斧や棍棒(こんぼう)などで散々叩いてみたものの、それだけではとても門を破壊できそうになかったからだった。


 そこで、あの自爆兵を参考にした。

 城館の中に折り重なった遺体の中から、魔王軍が防衛のために使おうとしていたのか、あるいは必要であればこの場で自爆するために用意していたのかはわからなかったが、大量の火薬が見つかり、それを有効活用することにしたのだ。


 ありったけの火薬をしかけ終えると、人類軍は次に、その上に城館の中にあった家具や、魔物や亜人種の遺体を積み重ねていく。

 これは、爆発の威力がなるべく扉の方へと向かうように、重しとフタをする意図があった。


 あまりにもむごいのではないか。

 エリックはそう感じていたが、しかし、なにも言わなかった。


 もう、エリックの感覚は、すっかり麻痺(まひ)してきてしまっているのかもしれなかった。


 やがて、すべての準備が整い、安全と思われる場所まで人類軍は後退した。


 そして、導火線に火が灯される。

 シュー、っと音を立てながら導火線は燃えていき、やがて、魔王の玉座の間へと続く扉の前に積み上げられた火薬へと引火する。


 大量の火薬が一気に爆ぜ、魔王の城館全体に轟音(ごうおん)が鳴り響き、衝撃が辺りを揺さぶった。


 人類軍の意図は、成功した。

 爆発の力によって玉座の間の門扉はうまく破壊され、魔王へと続く最後の障壁が取り払われたのだ。


 エリックたちは、すぐには突撃をしなかった。

 城館へと進入するための門を破壊した際、魔王軍の自爆兵が飛び出してきたことを教訓に、また同じことをされても対処できるように、ゆっくりと、防御を固めながら、玉座の間へと近づいて行く。


 だが、玉座の間からは、物音一つしなかった。

 予想していた、そこに籠もっているはずの魔王軍の兵士たちの反撃もない。


 まるで、無人であるかのように思えるほど、玉座の間は静まり返っている。

 その静けさが、人類軍を不安にさせる。


 罠が、待ち受けているのではないだろうか。

 これまで、狂信的に、熱狂的に戦い続けた魔王軍なのだから、どんな手を用いて来てもおかしくはないと、そう思える。


「あっしが、見て来ましょう」


 その時、[ここが役どころ]とばかりに、元盗賊のリーチが自ら名乗り出た。


 危険な役どころだったが、適任でもあった。

 リーチは盗賊としての経験から罠に詳しく、五感も研ぎ澄まされており、身のこなしも素早い。

 玉座の間の内部を探り、危険がないかを探るのには、うってつけの存在だった。


 エリックが「頼む」と言ってリーチの提案に同意すると、リーチは心得た様子でうなずき、1人で静かに走って行って、開いた門扉から玉座の間の内部をうかがう。


 リーチは、慎重に、念入りに探りを入れていた。

 だが、やがて彼はエリックたちの方を振り返ると、「大丈夫だ」とでも言うようにうなずいてみせる。


「行こう」


 リーチに向かってうなずいてみせた後、エリックは、仲間たちと共に魔王の玉座の間へと向かった。


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 玉座の間が静まり返っていた理由は、すぐに判明した。

 そこにはすでに、動くものが魔王以外、なにもなかったからだ。


 どうやら、魔王城の中でももっとも安全な魔王の城館、その最奥である魔王の玉座の間は、負傷者、その中でも特に重傷な者たちを集め、治療を行うための場所とされていたようだった。


 玉座の間の床には、整然と、かつて重傷者であった、遺体が並んでいた。

 人類軍の総攻撃の間、次々と運び込まれて来た負傷者たちは、おそらくはそこで治療を受けていたのだろうが、エリックたちが城館の内部にまで突入してきたことで治療どころではなくなり、手当てを受けることができなくなって、次々と死んでいったのだろう。


 その、自ら以外には動く者がいなくなった玉座の間で、魔王はただ1人、息を引き取った遺体のかたわらにしゃがみこみ、少し前まで生きていたのであろう部下を労わるように、その身体を優しくなでるようにしていた。


 その光景に、エリックは、衝撃を受けていた。


 魔王・サウラの姿を見るのは、これが初めてではなかった。

 甲虫を思わせるような、鎧のように発達した強固な外皮を持つ魔王とは、これまでにも何度か戦う機会があった。


 その強さ、恐ろしさは、よく理解している。

 だが、今、エリックの全身を襲った震えは、恐怖からではなかった。


 エリックが知っている魔王・サウラは、残忍で、冷酷な王だった。

 サウラは自らの支配下となった人間を弾圧し、処刑し、搾取(さくしゅ)した。

 その一方で、自身に従っているはずの魔物や亜人種たちに進んで犠牲となるように命令し、時には、冷酷に見捨てさえした。


 だが、今、この瞬間、エリックの目の前にいるサウラは、違っていた。


 死者を、悼(いた)んでいるのだ。


 サウラは当然、エリックたちが玉座の間へと突入してきたことに気がついているはずだった。

 だが、サウラは、死者を悼(いた)む手を止めず、自身の手についた死者の血を、まるで愛おしむようなまなざしで見おろしていた。

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