・第9話:「魔王軍包囲殲滅戦:6」

 それは、おそらくは、魔王軍に残された最後の[精鋭]であったのだろう。


 たとえ、彼らがみな負傷し、弱り切っていようとも。

 その武器が刃こぼれをし、その鎧が切り裂かれ、傷の手当てもままならずに血潮にまみれたままであろうとも。


 それは、魔王と、魔王軍の勝利を信じ、その勝利のために自らを進んで犠牲とし、勇者であるエリックと、聖女であるリディアと刺し違える覚悟を固めた兵士たちで作られた、決死隊だった。


 自らの死を前提として突っ込んで来る死兵は、恐ろしい。

 彼らは、ありとあらゆる手段をつくしてその目標を達成しようとし、ただそのことだけを考え、祈り、どんなに傷つこうとも前へ、前へと出てくる。

 普通の兵士なら怯み、避けようとする状況であろうとも、彼らは躊躇(ちゅうちょ)することなくその目的を果たすために飛び込んで来る。


 エリックには、迷って、躊躇(ちゅうちょ)していられるような余裕など、一瞬たりともなかった。

 彼は聖剣を手に、よどみなく動き続け、一心にそれを振るい続けた。


 聖剣は、エリックの手によくなじんでいた。

 それは、エリックが、聖母によって選ばれ、聖剣を任されている勇者であるという理由だけではない。


 エリックはこれまで、何度も、何度も、聖剣を振るい続けてきたのだ。

 戦いがある日も、そうでない日も、聖剣を手にし、それを振るうための鍛錬を続け、手に豆ができ、それが破れて血まみれになろうとも、それをやめなかった。


 すべては、今日、この瞬間のために。

 魔王を倒し、人類に未来を、平和を取り戻すためだった。


 聖剣は、淡い輝きを放つ燐光を舞い散らしながら、エリックの手によって途切れることなく振るわれ続けた。


 その刃は、いともたやすく魔王軍の兵士たちの鎧を、外皮を、肉を、骨を断ち切り、文字通り勇者が前に進むための道を切り開いていく。

 その力は誰にも遮(さえぎ)ることなどできず、エリックは、自分をめがけて突っ込んで来る敵を次々と切り伏せていった。


 だが、1体の、ミノタウロスと呼ばれる牛頭の魔物をエリックが切り裂こうとした時、その手が突然、止まった。


 エリックが振るった聖剣をその身に受けながらも、ミノタウロスがその力を振り絞り、エリックが振るった聖剣を両手でつかみ、そして自身の筋肉で締めつけ、固定したからだった。


「トラエタ……ゾッ! 勇者……メッ! 」


 ミノタウロスは、息も絶え絶えになりながらも、そう言って不敵に笑って見せた。


 エリックは、ミノタウロスの身体から聖剣を引き抜こうとしたが、できない。

 聖剣はまるで固い岩石に突き刺さって完全に一体化してしまったかのように動かず、エリックもその場から動くことができなくなってしまった。


 エリックは、ミノタウロスが吐き出す湿り気を帯びた吐息を感じながら、強い焦燥感を抱いた。


 一斉に、魔王軍の兵士たちがエリックに群がる。

 その全員が、エリックと刺し違える覚悟であるようだった。


────────────────────────────────────────


 やられる。

 エリックがそう覚悟をした時、1人の少女が魔王軍の前に立ちはだかった。


 聖母に選ばれし聖女、リディアだ。


 リディアは、勇者であるエリックと並んで、魔王軍の兵士たちの目標とされていたはずだった。

 聖母に聖剣の持ち主として選ばれ、勇者と並んで魔王を倒す力を持つ聖女は、魔王にとっての脅威で、魔王軍にとってはなんとしてでも倒すべき敵であるはずだった。


 リディアにも多くの魔王軍の兵士たちが群がるように攻撃を加えていたが、しかし、彼女は自分の身を守ることだけでなく、エリックのことにも気を配っていたようだった。

 彼女はエリックのピンチに誰よりも早く気がつき、そして、エリックを守ることを、自分自身を守ることよりも優先していた。


 リディアが振るったもう1つの聖剣が、エリックに襲いかかろうとしていた魔物たちを一撃で切り伏せていく。

 華奢(きゃしゃ)に見えるリディアだったが、その外見よりも強い膂力(りょりょく)を持っているようで、エリックと同じようにこれまで積み重ねてきた鍛錬のおかげもあってか、その戦い方は吹き抜けていく風のようによどみなく、美しかった。


 だが、エリックを狙っていた魔王軍の兵士たちを倒すことを優先したために、リディア自身を狙いに来ていた魔王軍の兵士への対処が遅れた。


「ぅぐっ!? 」


 リディアは咄嗟(とっさ)に回避行動をとったが、捨て身で踏み込んで来る魔王軍の兵士が振るった刃をその肩の辺りに受け、小さく悲鳴を漏(も)らす。


 その瞬間、エリックは、雄叫びをあげていた。


 リディアは、エリックをかばって傷を負った。

 [自身のために仲間が傷ついた]というその事実が、エリックを突き動かしていた。


 エリックは、もう、ミノタウロスから聖剣を引き抜こうとはしなかった。

 代わりに、その全身全霊の力を刃に込め、より深く、ミノタウロスの身体へと食い込ませていく。


 やがて、聖剣の刃は、ミノタウロスの肩から下腹部を通り抜け、その身体を両断していた。


 再び行動の自由を得たエリックは、遺体となったミノタウロスの身体が地面へと崩れ落ちる横をすり抜け、傷ついたリディアへさらなる追撃を加えようとしている魔王軍の兵士へと向かって行った。


 魔王軍の兵士は背中を向けていて、エリックに気がついていない。


 その瞬間、エリックの脳裏に、幼いころから有力な貴族の長男として叩き込まれて来た、騎士道や道徳などの概念がよぎったが、エリックは躊躇(ためら)わずにその兵士を背中から切った。


 罪悪感は、あった。

 だが、そうする以外には、エリックは大切な仲間であり、命の恩人であるリディアを救えなかったし、エリックは自身の手を汚すことを、とっくの昔に受け入れている。


「無事かっ、リディア! 」


 エリックはリディアをかばうように魔王軍の前に立ちはだかりながらたずねる。


「はい! 勇者様! 」


 ようやく戻り始めた聴覚に、リディアがそう答える声が聞こえる。

 その言葉にエリックは心の底から安心しつつも、油断なく魔王軍の兵士たちを睨んだ。


 そんなエリックの背後で、体勢を立て直したリディアが聖剣をかまえ直す。


 勇者と聖女という2人は互いの背中を守り合い、その周囲を、残りわずかとなった魔王軍の精鋭たちが取り囲んだ。

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