僕の憧れの人【漫画家篇】

 道を違えた人に魅力を感じます。それは私もまた道を間違え続けているからでしょうか。


 寺田ヒロオ。代表作は「背番号0」「スポーツマン金太郎」など。

 手塚治虫の直系の弟子とでも言うべきトキワ荘グループのリーダーとして知られています。

 藤子不二雄。石森正太郎(ノを小さくして入れろってさ)。赤塚不二夫。つのだじろう。彼らが世に出た功績のいくらかは寺田ヒロオによるものですし、寺田ヒロオ自身、彼らと同様に時代を先駆けていた漫画家の一人だったはずです。


 昭和28年、寺田ヒロオはトキワ荘に入居しました。隣の部屋は手塚治虫のものでした。

 しかし、薫陶などろくに受けないままに、手塚治虫は慌ただしく仕事場を引っ越します。ただ、置き土産はありました。敷金はそのままにし、藤子不二雄の二人にその住まいを譲ったのです。

 おそらく、この時に、寺田にトキワ荘を漫画家の集まる場所にしようというアイデアが浮かんだのでしょう。

 空き部屋が出ると、鈴木新一と守安なおや、石森正太郎と赤塚不二夫に住まわせるよう大家に掛け合いました。いつしか、トキワ荘は新人漫画家の集うアパートへと変貌するのですが、それは寺田がトキワ荘を出てからのことになるので、彼の預かり知らないところです。


 今なお漫画界の伝説と名を残す藤子、石森、赤塚ですが、その道は決して平坦ではありませんでした。

 藤子はデビュー直後に売れっ子になりますが、多数の仕事を残したまま帰郷、郷里で原稿を片付けるつもりが気が緩んで仕事に穴を開け、出版社から総スカンを喰らいます。一時は漫画家としての引退を決意するも、寺田の叱責により、道を戻すことになりました。


 この場面は、名作「まんが道」による再現が熱いです。

「君たちから漫画を取ったら何が残るんだ!?」

 寺田が熱く叱責するのでした。

 それに対して、藤子不二雄の二人もまた、

「僕たちには漫画しかない」

 と回答します。


 傍から見ればしょうもないとも取れる、しかし、実に熱い問答の果てに、藤子不二雄は出版社や師匠である手塚と対峙する覚悟を得、現実の戦いへと戻っていくのでありました。


 後に破壊的ギャグ漫画の元祖として知られる赤塚は、自身の意に反して少女漫画を描いていましたが、それすら上手くいきません。漫画家として引退を考えて、喫茶店に行き、終日ウェイターの所作を眺めていたといいます。曰く、ウェイターになら転職できるかもしれない、だとか。

 その相談を受けた寺田は、赤塚の詰め込み過ぎる癖を指摘し、同時に数か月分の家賃を渡しました。そのアドバイスと生活の余裕からか、赤塚はギャグ漫画の連載を取り付け、今なお、語られる名作を執筆するに至るのです。


 トキワ荘の面々から見れば、寺田ヒロオは理想の兄貴分でした。

 一番にトキワ荘に住み込み、唯一手塚治虫と暮らした一番弟子です。自分たちを集めたのも寺田ですし、漫画家として行き詰った時には道を正し、金銭的な援助まで惜しみません。

 しかし、この評価は寺田にとって重荷だったのです。


 寺田ヒロオと同格に付き合った人物に、つげ義春がいます。「無能の人」「ねじ式」などが有名でしょうか。

 寺田はつげには弱音を吐いたといいます。トキワ荘の面々に対して、理想の兄貴を演じなくてはならないのがつらいと。

 そして、後のインタビューでも、「自分はみんなを引っ張るリーダーではなかった」「才能溢れる彼らに劣等感を抱いていた」というようなことを語っています。


 市川崑監督の「トキワ荘の青春」ではその辺りの寺田ヒロオが語られていました。

 ヒロインである石森の姉は言います。「テラさんの漫画は優しい。けど、世界はテラさんの漫画ほど純粋じゃない」。

 寺田ヒロオは非業の芸術家でありました。


 しかし、別の側面もあるのです。

 さいとうたかをは寺田ヒロオから面識もないのに手紙を受け取ったといいます。それは自身の漫画への批判であり、さらに見本として寺田自身の漫画が送られてきたというのです。

 楳図かずおは新人時代に寺田の痛烈な批判を受けたといいます。それを恨みに思っていたのか、彼の代表作でもある「漂流教室」に登場する悪役、関谷(給食のおじさん。学校が未来に飛んでからは食料を一手に握り、独裁を行おうとする)は寺田ヒロオそっくりでした。


 トキワ荘を離れた寺田ヒロオは少年漫画の行く末に疑問を持ち、彼が不満に思う連載の打ち切りを持ち掛けました。すでに人気作であったその連載の打ち切りは拒否され、売り言葉に買い言葉で、寺田は自身の連載をやめました。やがて、筆を折るのです。


 寺田ヒロオの晩年は孤独だったといいます。

 ある時、トキワ壮の面々を招待し、宴会を開きました。その会は盛況で、「もう思い起こすことはない」と寺田は語ったといいます。しかし、翌日、藤子不二雄Aが礼の連絡を入れたが、それすら受け入れませんでした。

 それを最後に、本格的に引きこもるようになり、いつしか孤独死します。


 児童漫画、少年漫画の持つ、子供への影響を真剣に考え、そして潰れてしまいました。そんな人のように思えます。しかし、独善的でもありました。

 現在、そんなことを考えている漫画家はいるのでしょうか。私としてはそんなことは必要ないと考えます。子供は子供で勝手に成長し、勝手に取捨選択すると。

 けれど、漫画を読んだ子供の成長に真剣に向き合い、自身の人生を捧げた寺田ヒロオという漫画家には憧れてやみません。彼の全てを肯定することはできませんが、憧れの人であることは変えられないのです。

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ニャルさまと不思議な草 ニャルさま @nyar-sama

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