本当にあった怖い話

アパートの隣の部屋に入居者ができた。始まりはそんなことでした。

別に、何の変哲もない出来事です。空き部屋であれば、いずれ人が入る。当たり前のことでひた。


異変を感じたのはどのタイミングだったでしょうか。

玄関に靴が大量に置かれるようになった。盛り塩が配置されていた。

そんなことは少し不愉快になることではあったし、少し不気味に思っていたものの、注意するほどではない。そう思っていました。


ある休みの日、自分の部屋で寝転がっていると、突如として叫び声が聞こえてきます。腹の底から出している声量でありながら、どこか怨嗟のようなものが感じられる不気味さがありました。

叫び声は昼間から夜まで一日中続きます。一体、何なんだろう。この時には、この状況をまだポジティブに受け取ろうとしていました。芝居の練習でもしているのかな。そう思っていたのです。


それにしても、うるさい。

気持ちの悪い叫び声が続いています。苛立ち紛れに私も叫ぶことにしました。


「童貞舐めんな! いてまうぞ、ゴルァッ!」


意味の分からない叫び声をなぞるように怒声を上げます。

これは失敗だったのかもしれません。この叫び声に反応するように、隣の男はさらに叫ぶようになりました。


どうしたものか。考えても、しょうがない。

翌日、仕事に向かった私は昼休憩を待って、アパートの管理を受け持っている不動産屋に相談しようと考えていました。ですが、それよりも前に電話が鳴ります。不動産屋からでした。


「〇〇さんと向島さんが大声で喧嘩していると聞いたんですが、本当ですか?」


そんなことを言われます。寝耳に水という感もあるが、渡りに船でもありました。


「実は私も相談したかったところです。昨日、急に隣の部屋から怒鳴り声が聞こえてきて、不気味に思っていたんです。芝居の練習でもしてるのかと思っているのですが。

それに、向島さんには同居人がいるような気配もあります。その人と喧嘩していたのかもしれませんね」


私はたびたび隣人が誰かと話している声を聞いていました。

隣人は角刈りで髭を伸ばし、メガネをかけている。その友人は太った七分分けの男です。後から考えると、二人の風貌から関係性が見えてくると思うのですが、当時はピュアだったため、単に友人同士としか思っていませんでした。

ただ、同居まではしておらず、たまに通う程度の間柄だったようです。そこまでは当時の私は把握しておらず、彼らが喧嘩しているのだと思っていました。


そんなことがあり、不動産屋による解決を期待しつつ、しばらく叫び声が聞こえる日々を過ごしました。そして、また週末になります。


ドンドンドン


部屋の扉を開く音が聞こえました。

出ると、角刈りにヒゲ、メガネの男です。隣人でした。その男は焦った口調で私に問いかけてきました。


「ちょっと出かけてたら鍵がなくなったんだけど、何か知ってる?」


知らねえよ。そう出かけた言葉を呑み込み、にこやかに返事をします。


「いえ、知りません。最後に見た場所はわかりませんか?」


すると、男は私の部屋をまじまじと眺めました。

私の部屋にはゴミ箱などは置いておらず、生活ゴミをそのままゴミ袋に入れて、脇に置いていました。どうやら、それが気に喰わなかったようです。


「なんなんだ、あんた。ゴミをそのまま置いて。不安になるよ!」


その言葉は不本意なものでした。自分なりに秩序だって整理しているつもりではあるのです。

ましてや、一日中叫び声を上げ、周囲の人々を不安に陥れている人に言われる言葉ではない。

私は言いました。


「いやいや、それはこっちの台詞だよ。一日中引っ切り無しに怒鳴り声上げて。不安になるのはこっちの方だよ」


すると、男はキョトンとしました。私の非難にまるで心当たりがないようです。

「そんなことしてない」と私の言葉は受け流されました。


「それで、鍵がなくて、部屋に入れないんだけど、どうしたらいい?」


話は戻りました。そんなの、私の知ったことではありません。

ですが、親切にも解答を考えます。


「警察に相談するべきでしょう。部屋に入りたいなら不動産屋に相談してください」


そう言うと、男は喰らいついてきます。


「警察に電話するのか? 電話しようにも電話は部屋の中だ」


そんなことを言うのです。私はまだ親切です。


「じゃあ、電話貸してもいいですよ」


それを言って、はたと気づきました。電話を貸すということは、部屋にこの男を入れるということです。

それは嫌だ。私は方針を変えました。


「いや、不動産屋は歩いても近い場所にあるから、直接行ったらどうですか。交番で相談してもいいですし」


そう言い張って、男をその場から去らせることにします。男は渋々という様子で去っていきました。

そして、去り際に言葉を残します。


「これは、盗ったな」


この一言に怖ろしいものを感じました。この男は部屋の鍵を私が盗んだと思っている。

まるで心当たりのないことに確信を持たれる。これは恐ろしいことでした。


しばし時間が経ち、再び部屋の扉が叩かれます。私は警戒心を強くしており、チェーンをつけた状態で扉を開きました。


「あんただろ? 盗ったの? 盗んだだろ、俺の部屋の鍵」


やはり、全面的に疑いをかけられています。

私は否定しました。まるで心当たりがないと。しかし、聞く耳はありませんでした。


「おい、チェーン外せよ。盗んでないなら、腹割って話せばいいだろ。部屋に上げろよ」


こんな状態の男を部屋に入れたくありません。必死で拒絶して、話を終わらせようとします。しかし、男が扉を閉じさせようとしません。

ここで、私に助太刀が入りました。不動産屋です。アパートの入り口で待機していたものの、状況の悪化を感じて、やって来たのでした。


「向島さん、面談した時と全然違うじゃない。どうしたのよ」


そう言って、男を外に連れ出してくれました。

私にはようやく平和が訪れます。ですが、外では男と不動産屋の口論が続いていました。

しかし、今日は休日。休まなくてはいけない。私は風呂に入ることにし、外の喧騒は忘れることにしました。


シャワーを浴びていると、扉の鳴る音が聞こえます。不動産屋のものでした。

「待ってください」と返事して、悠々とシャワーを浴びます。出たころには不動産屋はなく、手紙が残されていました。


「シャワーを浴びているようなので帰ります。向島さんは保護者と相談して、然るべき対処を講じますが、それには本人の意思が必要であり、時間がかかる場合がありますので、ご了承くください」


この後も、男の怒鳴り声は引っ切り無しに響き、私の陰鬱な日々は続きます。たびたび、不動産屋と相談しましたが、本人の意志も必要なことであり、時間がかかるという話をされました。

なので、時間がすべてを解決します。男は然るべき治療を受けることになり、アパートから消えました。


めでたしめでたし。

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