なんか、涼宮ハルヒみたいな構造になった

 谷川流著「涼宮ハルヒの憂鬱」は00年代のオタクカルチャーを牽引した作品なので、皆さんご存知でしょう。と言いたいところですが、私自身、あまのじゃくな性分でブームとは線を引いた上で摂取しましたし、そもそも触れていない人もいるはずです。

 なので、まずは作品の紹介から入りたいと思います。例のごとく、普通にネタバレします。


「涼宮ハルヒ」は平凡な男子高校生、キョンをワトソン役に、ハルヒに関連する怪奇現象に挑む物語です。

 ハルヒは世界の中心というべき存在であり、彼女の思うことはすべて実現します。ですが、破天荒に振る舞いながらもハルヒは常識的な性分のため、非日常を求めながらも非日常を信じ切れず、キョンは非日常的な日常に巻き込まれますが、ハルヒ自身は非日常を味わうことなく平凡な日常を過ごすのです。


 因果律を操り、それに気づかない主人公。今見ても、新鮮な設定です。

 それでいて、非日常を望む彼女の周りでは、宇宙人、未来人、超能力者たちが跋扈しています。しかし、ハルヒがそのことに気づくことはない。ハルヒはあくまで常識の範疇を超えることはできず、非日常を望むのは彼女の叶わない望み(だと本人が認識しているもの)だからです。


「ただの戦闘員が悪の総統に成り上がるというお話」とかいう小説を少し前に執筆していたのですが、書き上げる辺りで、はたと気づきました。このお話の構造って「涼宮ハルヒ」シリーズに似てやしないかと。


 当然というか、安直というか、このお話は「スーパー戦隊」シリーズへのリスペクトから生まれました。キャラクターも歴代レッドを意識して作っていたりはします。宇宙海賊のキャプテンや侍戦隊の殿様などですね。とはいえ、この辺りは完全に咀嚼し切っていたので、まったく別ものというべきキャラクターになったかと思います。

 警察戦隊の警察官を意識していたはずが、単なる宇宙生物になったりもしました。第一話で「宇宙警備機構」なんて謎の組織を名乗っているのがその名残でした。途中で、この設定が邪魔で邪魔でしょうがなくなります。


 ですが、肝心の主人公格(主人公ではない)であるカオスレッドこと荒岩あらいわ幸輔こうすけのキャラクターが桃井タロウに引っ張られ過ぎていました。私が桃井タロウを好き過ぎたのです。

 そこで思いついたのは、幼少のころから思いつきで語ったことがすべて信じられ、そのせいで世界中の人々から祭り上げられ、それでいてその期待に応えていくというオリジンストーリーです。このお話を書いた時、桃井タロウの束縛から逃れ、独自のキャラクターになったと、私は自負しました。

 ですが、気づいてしまったのです。彼の持つ能力と取り巻く人間模様、もっと言えば、この小説の人間関係そのものが「涼宮ハルヒの憂鬱」に近いのではないかと。


 世界を改変するほどの力を秘めた幸輔のもとに、異世界人、宇宙人、改造人間が集まってきます。未来人はいないですが、代わりに過去から侍が時を渡って現れました。

 それでいて、語り手に相当する主人公は、ごく平凡な一般戦闘員である藁兵ストローマン彗佐せっさ拓磨たくまです。恋愛関係ではなく、ライバル関係ではあるものの、幸輔と拓磨の関係はハルヒとキョンの関係に似ているといえなくもないものになっていました。


 新しいものを作れたと思っていても、結局は先人がすでにその地平を拓いている。世の中はそういう風にできているのです。世知辛い世の中なのでした。というお話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る