予定調和を恐れる
小学校に上がる前か上がった後か、正直あまり覚えていないのですが、そんな感じの頃のことです。
私はテレビで繰り返し宣伝されるオモチャを欲しくなりました。変形ロボットのオモチャだったとは思うのですが、テレビアニメのものだったのか、特撮番組のものだったのか、それさえもわかりません。
ただ、ちょうど誕生日が近かったため、ことあるごとにそのオモチャが欲しいと主張していました。
誕生日になりました。家族の祝福とともに、プレゼントが渡されます。それは、私が欲しいと懇願し、恋焦がれていたオモチャです。
ここで、私の脳裏にある懸念がよぎりました。
私がこのオモチャを欲しがっていたことは、この場にいるみんなが知っている。
だとすれば、私が喜ぶとは全員が予想していることだろう。その予想通りに行動することは正しいことだろうか。
次に私のとった行動は、そのオモチャをぶん投げる、でした。予定調和の行動をとることを恐れたのです。
当然と言うべきか、やわな作りしやがってと言うべきか、そのオモチャは私の一投により破損しました。変形機能は失われます。
「これじゃ、置物にしかならないよ」と母は言いました。
「ちょうど、置物が欲しかったところだ」と私は返します。
このことが悪評となり、しばらく私に贈られるプレゼントは食品に限定されることになってしまいました。
ですが、当時も今も、あの状況じゃ、ああするしかなかったよと思うのです。まあ、そう自分を追い込んだのは自分自身の行動でしかないですけど。
現在になっても、なお、私には予定調和を恐れる気持ちがあります。何かを破壊したりはあまりしませんが。
「クトゥルフお母さん食堂」を書いていた時には、こんな同じ話の繰り返しではすぐに飽きられてしまうだろうと考えていました。
主人公の死に方のパターンだけはいろいろ考えていたので、せめて話が続くように、主人公の謎を追うという縦軸を作ることにします。契機となる回を8の倍数にしたり、クトゥルフお母さん回にも法則を設けたりもしますが、気づいた人がいるかはわかりません。
最終回を迎えた際、意外にも、もっと同じ話の繰り替えしを読みたいという声もあり、単純に長く続けるという選択肢もあったんだなあ、と思ったりもしました。
「デスゲームで本当にあった怖い話」のアイデアの発端は、みんなで集まって怪談する話を作ろうということです。ですが、いかんせん、それだけではいけないだろうと考えてしまいます。毎回、不穏な何かを投げかけて引きにしなければと、結局、デスゲームで起きた殺人事件とそんなものが開催された謎を追う話にしてしまいました。
語り手の怪談に集中できない作りにしてしまったなという反省があります。怪談ものはまた挑戦したいところです。
そんなわけで、予定調和を恐れつつ、予定調和を受け入れつつ、また作り話をすると思います。その際は、鷹揚のご観覧をいただけると幸いです。
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