僕の憧れの人【文豪篇】
雅号に、
伊予国(現在の愛媛県松山市)にて松山藩士の長男として生まれますが、明治維新の煽りを受けて家は没落しました。それでも、親戚中の英才教育を受け、上京して、東大予備門、帝国大学へと進学します。この経歴はエリートコースといっていいのですが、のちに落第。この時期から結核を患いました。
大学中退後は新聞「日本」の記者になり、日清戦争に従軍していますが、船中で病状が悪化してしまいます。
俳諧として知られていた俳句を近代的な文学に押し上げながらも、短歌の改革は中途半端なままで彼は世を去りました。
正岡子規は不幸の星の下に生まれついたような人物でした。
幼いころに家は没落し、たまたま受かった大学では何度も落第、さらに若くして不治の病に冒される始末。
「おまけにすごい変な顔!」とは俳句をたしなまれる女性の弁。
悲劇のど真ん中にいるような子規ですが、病床で日本文学の近代化を成し遂げ、
「
と自分の人生を誇りながら生き、そして死んでいきます。自らの不運を跳ね退けるほど負けず嫌いで、底抜けに明るい人なのです。
彼の生涯を考えるたびに、前向きに生きることは強いことだと思い知らされます。
好きなエピソードがいくつもあります。
正岡子規は英語が苦手でした。ついでに言うと、試験も嫌いでした。
そうは言っても、東大予備門への入学に当たり、受験することになります。当然、英語の試験もあります。子規は友人らと連れ立って試験会場へ行き、どうしてもわからない英単語があったので隣にいた男に尋ねました。
「これどういう意味?」
そう言いながら、「judicature(裁判官)」を指します。
周囲でざわめきが起き、伝言ゲームのように周囲で教え合い、ようやく隣の男が「
結局、東大予備門には奇跡的に合格します。子規に英語の意味を教えてくれた男は落ちました。
東大予備門では夏目漱石と同級生になります。親友同士となった二人でしたが、子規はことあるごとに先生風を吹かせます。漱石が俳句を見せると、すぐにそれに赤字を入れ、点数をつけていました。
ある時、漱石は漢文を作り、子規に見せます。子規と漱石の漢文の実力はどっこいどっこいでしたが、同じように赤字を入れて修正を入れ、得点をつけて返しました。
これには漱石も思うところがあったのか、今度は英文を綴って見せました。漱石は後にイギリスへ留学するほどの英語巧者です。英語の苦手な子規では直すことも点数をつけることもできません。困り果てたのか、子規は筆を取ると、「Very good」とだけ書いて返しました。
どんなことにも負けず嫌いだったのです。
子規は当時輸入されたばかりの野球が大好きでした。
自分でプレーするし、観戦もよくしています。そして、野球を題材にした俳句や短歌も数多く生み出し、打者や走者、直球といった野球用語の和訳も行いました。
そんな時には、雅号として
野球を詠んだ俳句や短歌は面白いので、探して読んでみてください。探すのが面倒なら、「ゴリラーマン」の野球編を読むのでもいいです。
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