9月16日(木曜) 黄昏⑥
「行くか?」
何とか回復した俺は、広瀬の後に続いて校門に向かって歩き出す。
「吉岡に何言われたんだ?」
「色々だ」
「白峰のこと、ハッパかけられたんだろ?」
それには返事を返さず、俺は広瀬の横顔をマジマジと見つめた。
「いや、お前がっ……、他人のことに興味なさ過ぎなんだぞ!? それぐらい大体予想できるって。こっちが驚くわ、ほんとにぃー」
吉岡に朴念仁と言われたことを思い出した。
広瀬ぐらい察しが付くのが普通なのだろうか。
だとすれば俺には〈普通〉のハードルが高過ぎる。
「……磯辺とは、どうなったんだ?」
「あ? あぁ……。モテる男は辛いよなあ」
「フったのか?」
「いや、そこはさ。察しの文化というかさ。もっとオブラートにいかねぇ?」
どうやら、今の会話も間違えたらしい。
「俺は、磯辺がお前のことを好きだってことも気付いてなかった」
「うん」
広瀬にしては珍しく静かな返しだ。
これまで俺たちの間で、自分たちの恋愛事情について真正面から話題にしたことはなかったので、どう話したら良いのか勝手が分からない。
「それに関しては俺もサノヤスのこと、あんまとやかく言えねぇなあ。……なんか、イソッチのことそういうキャラとして見てなかったし、驚きはした」
「そうなのか。吉岡は前から気付いてたような口振りだったけど」
「えっ……。へぇ、やっぱ女は鋭いのかもな……。いや、俺マジで驚いたからさ、思わず聞いちゃったんだよ。いつから俺のこと好きだったのか。そしたら──」
興奮気味に話し出したかと思った矢先、広瀬はそこで口をつぐんだ。
「そしたら?」
「いや、フった女子のこと、こんな面白おかしく話すって、ないなーって、自己嫌悪……」
確かにそうか。
「……いや、イソッチには悪いけどやっぱ話すわ。サノヤスは聞いとけ」
なんなんだ一体。
「最初の頃、部室でイソッチが急に泣き出したことあったじゃん」
ああ、憶えてる。
「自分で明確に意識したのが、あの時だったんだって。泣いた理由が……、あー、そのー。ああっそうか、これも言わなきゃなんねえのか、チクショー」
広瀬が情緒不安定だ。
こいつでもこんな感じになることがあるのか。
「……俺がさ、吉岡を見る目が一瞬違ってたらしくて。……やっぱ女ってすげーよな。そんでその俺の顔を見た瞬間に、自分の中に恋愛感情があったことと、その恋が叶わないだろうってことが同時に分かって、感情が溢れ出た結果が、あの涙の真相だったって話。なあ、驚くだろ?」
俺はあの時の磯辺の様子を必死で思い出そうとしていた。
印象的な出来事だったし、よく憶えているつもりだったが、今の広瀬の説明にリンクさせるのは思いのほか困難だった。
……いや、待てよ。
磯辺のことよりも先に、聞き逃せない情報があった。
「お前、吉岡のことが好きだったのか?」
「やっぱ、そういう反応だよな。分かってたわ。そこは……、まあ、イエスだよ。けど、話逸れ過ぎだから。今その話はやめとこうぜ」
「……磯辺はあのとき、白峰と吉岡の関係が尊くて、とか言ってなかったか?」
「言葉通りに受け取っちゃ駄目だってことだな。俺は変に邪推してさあ。会話のどこかに、磯辺が過去に経験した辛い……、例えば、イジメみたいな出来事を思い出すきっかけがあって、でもそれを俺たちに説明したくないから、ああいうふうに言って誤魔化したのかなー、なんて思ってたんだけど……」
「俺はちょっとおかしい奴なんだと思ってた」
「おい。台無しだよ、まったく。情緒も何もなくなるな、サノヤスと話すと」
俺はこの僅か十分足らずの間に、洪水のようにもたらされた情報の波に揉まれて溺れそうになっていた。
磯辺が泣いた日と言えば、俺が二度目の夢を見て部室でそれを話したときのことだ。あれの後も、吉岡が半狂乱のようになったりして大変だった。
俺も皆も、得体の知れない未知の現象のただ中にあって、それどころではなかったはずだが、俺のあずかり知らぬ所でそんな色恋沙汰が繰り広げられていたとは……。
俺は頭の中で、オカルト研究会に出入りしている五人の相関図を思い描いた。
「そうだ。磯辺はお前が吉岡を好きなことに気付いて泣き出したんだったよな?」
「なんだ? イソッチは俺にフラれると分かってて何で告白したんだ、とか言い出すなよ?」
質問を先回りで取り上げられてしまった。
これも察しが必要な案件だったか。
「俺が何でこんなデリカシーのない話をしたかと言うとだなあ……。俺もサノヤスにハッパ掛けようと思ったんだよ」
「発破か……。俺も磯辺みたいに玉砕覚悟で告白しろと?」
「玉砕とは限んねーだろ? 吉岡がどういうふうに言ったか知らねーけど、俺は結構目があると思うぜ? サノヤスは、サノヤス目線でしか見てないからな。イソッチが泣いた理由だって、俺とサノヤスと、イソッチ本人とで全然違ってたろ?
同じものを見てても解釈は人によって全然違うだろって話。白峰の普段の言動を見て、いくら恋愛とかに興味なさそうに見えてても、それで勝手に脈なしって決めつけて諦めんなってこと」
なるほど。そういうふうに話が繋がるのか。
説得力はともかく、広瀬なりに立てた話の筋道が分かってスッキリした。
「ありがとう」
「素直過ぎる。納得してねーだろ?」
「お見通しだな」
「告ってみろって。俺、上手くいく方に賭けるぜ」
「さっき吉岡に同じことを言われたとき、告白しない理由を思い付かずに困ってなあ……」
「……じゃあ、したらいいじゃん、告白」
「考えてみたら、自分が白峰に告白するってことを、考えたこともなかったんだって分かった」
「…………」
「土の中のミミズは、今日はちょっと大空を舞ってみようか、なんて発想しないだろ?」
「もうちょっとマシな例えできないのかよ」
「上手くいくとか、いかないとか考えて迷ってるわけじゃない」
「馬鹿。例えが分かんねーって意味じゃねえよ。自己評価が低過ぎだろって言ってんの。もうちょっと調子乗ってけよ」
やはり吉岡と同じようなことを言う。
「それかあれか? 白峰の方を神聖視してるのか? あいつだって普通の女だぞ? ん~、お前相手にこう言うのもアレだが、結構痛い部類の……」
神聖視か。
その言葉には少し胸が痛んだ。
初めて白峰のことを意識し始めたあの頃。
二年で同じクラスになったあの日。
俺の心にあったのは確かに白峰という存在に対する憧憬だった。
ピンと張った背筋に落ち着いた所作。
他の女子と明らかに違って見えた。
他を寄せ付けない雰囲気をまとう一方、少し触れただけで壊れてしまいそうな、肩や鎖骨の繊細な雰囲気に、まるで美術品に対するような感情を抱いたのが始まりだったことを憶えている。
もっとも、オカルト研究会にいる白峰を知ってからは、何事も徹底して事に当たる性格や意外な人間味にも違った種類の好ましさを覚えるようになったのだが。
「よし! もう一つ、俺のとっておきを教えてやる。いいか? 吉岡って女はなあ、お前なんかのために、いちいち世話焼いたりしねえんだよ。勘違いして調子乗るんじゃねーぞ」
「なんだかさっきと真逆のことを言われた気がするが」
「これ以上は言わん。ヒントどころかほぼ答えだしな」
「そうか……」
広瀬は吉岡のどういうところを好きになったのか、とか、広瀬は吉岡に告白しないのか、と訊いてみたくなったが、また駄目出しを食らいそうな気がしたのでやめておいた。
「ったくよお。俺だってこんな野暮、普通だったらしねーよ? でも、今ってゲームで言ったらラスボスかラスダン一歩手前じゃん。どう考えても主人公はお前だしな。心残りはなくしておいて欲しいわけよ。……まあ、本当に何も起こらないならそれが一番いいし、今のこういうのも笑い話になるんだろうけどさ」
ゲームの例えは意外にも俺の心にすっと沁み込んできた。
確かにそうだ。
ゲームみたいにセーブはできないが、今は最後の分岐点にいるように感じる。
「不思議なもんだな。俺は今じゃ何も起きない結末なんて欠片も信じられない」
「……そうなのか?」
「その割に妙に落ち着いてるんだ。本当に夢で見たことが起きるなら、もっと狼狽えたり、どこかに逃げ出したくなったりしてもいいはずなのに」
「確かになぁ。なんか俺たち、うまく白峰に乗せられてる感じはあるよな。冷静に対処すれば何とかなるんじゃないかって……。実際、学校にゾンビが出るなんて真面目に考えてる時点で冷静かどうか怪しいとこなのに」
「俺は、白峰とどうにかなりたいとは思わないが、白峰には死んで欲しくない」
「あ? あぁ、その話が続いてたわけね。まあいいぜ。しっかり考えて決めたんなら。誰かに言われたから告白するってのもダセーしな。でも、それって自分が死んでも白峰は俺が守る、みたいなフラグになってねーか?」
「俺たちは大丈夫だろう。白峰が整えたプランがある。絶対じゃないが、丸腰じゃない」
「待て。何言いたいか分かっちまった。その俺たちってのは……」
「そうだ。その中に白峰は入ってない」
「お前の夢の中に出てこないからか?」
「ああ、やっぱり不自然だ」
「でも同じ情報は共有してるんだし、あいつなら上手く立ち回れるだろ? 夢の中で姿を見せないのは別行動してるからだって。たまたまだよ」
「文化祭の班分けのこと。お前だって気付いてるだろ?」
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