9月16日(木曜) 黄昏①

 長い夏休みはあっという間に過ぎ、学校は二学期を迎えていた。

 夏休みの間は、もちろん受験勉強をしていたが、やはりあの夢のことが頭に浮かんで、どうしても勉強に手が付かなくなることも多かった。

 そうなったときには大体、親のパソコンを使い、例のネット掲示板や過去ログを読み漁って時間を過ごすことになる。

 どんどん報告例が増えていくのではないかと思われていたネットの掲示板では、意外なことに新たな体験談の書き込みが減り、ブームは下火の兆しを見せていた。

 終末の到来を訴え続ける書き手も残っているのだが、実際に夢を見ていない大多数の意見に飲まれて、その手の書き込みは全て狂言扱いを受ける風潮がある。

 そうなってしまった最も大きな要因は、予知夢説を強く推していた人間が拠り所としていた映画の上映期間が終わってしまったことにあった。

 正確に言えば、全国にはまだ数館ほど上映を続けている映画館もあったのだが、書き込みをした本人が、自分の住んでいる地域ではすでに上映していないという事実を認めた時点で、おおよそ幕引きとなったのだ。

 それでも諦めきれないその男が、まだ上映を続けている都市の映画館に観に行くと宣言する度、すわその日がXデーかとネット上は騒めいた。

 しかし、それも空振りが二度続いたあたりで誰にも相手にされなくなる。

 一時期、急激に増えた夢の体験談がパタリとなくなったことも、夢を見ていない大多数の人間に不審を抱かれる原因となっていた。

 予知夢であるかないかという議論以前に、当初からの書き込みのほぼ全てが、多数の人間で示し合わせて行われた悪ふざけだと見なされつつあった。

 特別な夢を見たと主張する書き手側は当然反論したが、彼らの大多数は、夢の中での自分の死を迎えており、すでに新たな夢を見なくなっていたので、読み手を納得させるだけの新しい材料を提示できずにいた。

 元々が名前も知らない誰かによる自己申告でしか成立せず、客観的な証拠など何も存在しない主張であるため、ネット上の世論は早晩瓦解せざるを得なかったわけだ。

 もっとも俺は、掲示板への新たな書き込みが減っていることと、俺自身が夢の続きを見なくなったことの間に、符合するものを感じていた。

 むしろ、そのことによって先に書かれてあった書き込みを信用する気持ちは高まったぐらいだ。

 名前も顔も知らない彼らに対し、夢の世界こそ違えど、確かに同じ体験を共有しているという戦友のような意識が芽生えていた。


 一方、現実での戦友と呼ぶべきオカルト研究会の面々とは、互いの連絡先を交換し合い、夏休み中いつでも情報交換できる体制を整えていた。

 次の夢を見たら俺からすぐに連絡するという約束をしてあったのだが、結局夏休み期間中にそういった機会は訪れなかった。

 一度だけ、思い出作りも兼ねてと誘われ五人でプールに遊びに行くことになったのだが、そこでも取り立てて進展はなく、オカルト掲示板内であったトピックの確認と、休み中の互いの近況を報告し合うだけに終わった。

 広瀬と吉岡の二人は、自分が毎日受験勉強をしていることについて、さも一大事のように話していた。

 俺が受験生なんだから当然だろうと言うと、そういう話ではなく、もしかすると世界が終わるかもしれないこの差し迫った時期に、将来のための努力をしていることがおかしいのだと口を揃えて反論された。

 それから何だかんだと話した結果、結局二人は、受験勉強に没頭している間は気を紛らわせることができるし、別の見方をすると、こういうことでもなければこの時期にこれだけ勉強していなかっただろうから、実は結構ありがたい、〈モヤゾンビ〉万歳、という結論を得て満足したようだった。


 夏休み期間中の俺たちの気の持ちようについて、もう一つ付け加えるなら、やはりその長過ぎる時間によって生じる、慣れの問題が挙げられるだろう。

 予知夢という可能性が示唆されてから、それが真にせよ偽にせよ、立証されるまでの期間はあまりに長過ぎた。

 俺たちの場合、少なくとも部室棟のエレベーターの増築が終わるまでは結論が出ることがない、という明確なセーフティーラインが設けられていたため、少なくとも今日や明日にどうにかなってしまうのでは、と恐れを募らせて過ごす必要がなかった点も大きい。

 どれほど衝撃的な事実を突き付けられたとしても、弛みなく流れる日常の時間に敵うものはないということだ。

 皆、口には出さなかったが、危惧しているようなことはもう起こらないのでは、という期待とムードが漂っていた。

 だが、そのありがたいモラトリアム期間が続いたのも夏休みが終わるまでのことだった。


 学校への通学を再開し、予定どおりに完成したエレベーターを目の当たりにしてからは、間近に迫った危機を日に日に強く意識するようになっていく。

 そうなってみると、こうして二学期を迎えるまでの間、何故ほとんど何もせずにいられたのかと、自分たちの暢気な行動を信じ難く思うのだった。

 新学期から一週間が過ぎ、二週間が過ぎ。もう、いつその時が訪れてもおかしくない時期になっても、俺が夢の続きを見ることはなかった。

 白峰は、夢の中で俺の死が確定していないことは、むしろ良い材料だと歓迎していたが、それは新しい情報がないままその日を迎えることに、ジリジリとした焦りを覚えていた俺たちに対する、彼女なりの気遣いだったのかもしれない。


 俺が四度目の夢を見たのは、そういう時期だった。

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