7月16日(金曜) 入念な予習③
「私は視聴覚室の中から安全に出る方法、思い付いちゃったかもしれません」
会話の間を縫って、磯辺が得意げにそう切り出す。
「どんな?」
「佐野先輩の夢には、まだ白峰先輩や私が出てきてないじゃないですか。でも、先輩たちは結構長い時間、視聴覚室に籠城してる感じなんですよね? だから、視聴覚室以外で長い時間安全に身を隠すなら、どんな場所がいいのか、ずっと考えてたんですよ」
「二人とも真っ直ぐ視聴覚室を目指すって話じゃなかったっけ? 一年の教室は三階なんだし近いでしょ? それで良くない?」
「それは仮です。佐野先輩の夢の中に、視聴覚室にいる私たちが出てきてたなら、もちろんそうしましたけど、最後に見た夢でも、まだ私たちは登場してないんですよね?」
「まあそうだが、三回目の夢は視聴覚室全体を見渡したわけではないしな。白峰や磯辺も、視野に入ってないだけで、同じ部屋の中にいた可能性は残ってる」
「そこですよ。いるかもしれないし、いないかもしれない。まだ観測されていないことを逆手に取るんです」
「それで? イソッチはどこに隠れてるつもりなわけ?」
「ふっふっふー。……放、送、室、です」
磯辺はぐっと溜めてから、一音一音噛み締めるようにして言った。
「「おおお~」」
広瀬と吉岡が声を揃えて感心したように唸る。
言われてみれば、これまで話題に上がっていなかったことのほうが不思議なくらい、それは俺たちにとって望ましい場所に思えた。
「なるほどなぁ。放送室か」
「校内放送が使えるわね。それって、結構色んなことが解決するんじゃない?」
「えへへ。どうですか? 白峰先輩」
白峰は少し考えてから、磯辺に向かって微笑んだ。
「……そうね。いい案だと思う」
「やった!」
確かに防音性という点でも放送室なら申し分ないし、何より外に向かって発信できるというのが良い。
磯辺が言おうとしたのは恐らく、視聴覚室を出るタイミングに合わせて外のスピーカーを鳴らせば、ドアの開閉音など掻き消せるはず、ということだったのだろうが、放送室を押さえる利点はそれだけに留まらない。
俺たちは今まで、仮に俺たちが予知夢をなぞって行動したとすると、他の多くの生徒を見殺しにしてしまうことに後ろめたさを感じていた。
本当に起きるかどうかも分からない突飛な話を喧伝する気まずさと、皆に知らせた場合に生じる予測不可能な事態に対する恐れ。その二つの問題によって、俺たちは身動きができなくなっていた。
しかし、実際に事が起きた後となれば、ためらう必要はない。十分作戦を練った上で、放送室から全校生徒に向けて的確な指示をすれば、結果的に多くの生徒を救えるのではないだろうか。
放送室は一階の職員室の隣にある。仮に施錠されていたとしても、隣の職員室から鍵を拝借してくればよいだけなので、中に入るのも比較的容易だろう。
「じゃあ放送室の方も見とくか」
広瀬の提案に頷き、俺たちは視聴覚室からそのまま放送室に向かった。
傷や凹みだらけのアルミ製のドアを開け、外の階段に出ると、ちょうど下から灰色の作業着を着た男が数人上ってくるのが見えた。それぞれに赤い三角コーンやトラ柄のポールを担いでいる。
広い階段ではないので進路を塞がれた格好となり、俺たちは階段の手前で立ち止まることになった。
「あ……」
俺の背中でつっかえた磯辺が、作業員に気付いて声を漏らす。
その磯部の声に反応して、一番上まで来ていた作業員の一人が顔を上げた。
「あー、ごめんねー。この階段、今日から工事で封鎖するから別の階段使ってくれる?」
いよいよ来たか。
まさにこれから、エレベーター棟の増築工事が始まるのだ。
十分分かったつもりでいたが、いざ現実を目のあたりにすると、今まで心の奥に押し込めていた恐れや不安といった暗い感情が一斉に騒めき始めた。
「戻れー」
振り返った広瀬が気の抜けた号令をかけながら、こちらを手で押す仕草をする。
俺たち五人は校舎の中まで戻り、そこでしばらく、進入禁止の柵が据え付けられる様子を見守った。
「実際に見ると、チョイ来るものがあるわね」
「ですねー」
「なあ。本当に夏休み中に増築工事終わると思うか?」
広瀬が訝しむ気持ちも分かる。
俺だってエレベーターほどの大きな構造物が、そんな簡単に湧いて出ることになるとは思ってもみなかったのだから。
白峰が入手してきた資料では、増築にかかる工期は僅か五週間と見積もられていた。そのとおりに進めば夏休みが終わるのを待たず完成することになるだろう。
それに、驚くのは工期の短さだけではなかった。
どうやって手に入れてきたのか知らないが、白峰が持ってきた完成見取り図を見たときには、俺が詳細に話していた内容と何一つ違わぬ構造に、皆が言葉を失ったものだ。
予知されたとおりの未来が確実に到来しつつある。
つまり、〈モヤゾンビ〉の出現が危ぶまれる時期も、もうすぐそこまで近付いてきているということだ。
可能性は半々ぐらい──そう言った白峰の言葉が、いよいよ重く、心に圧し掛かってくるようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます