5月17日(月曜) オカルト研究会探訪②
「どうした? 白峰でもいたか?」
渡り廊下の端から体操服姿の広瀬がそう呼び掛けてきた。
予期しない問い掛けであったため、返事を返すのに一拍置く必要があった。
「なんで?」
「そんなとこでジーっと外見てるからだよ」
そうではない。なんで白峰なのかと聞いたつもりだったのだが、忙しないこの男からは、少し見当外れな答えが返ってきた。
「ホント、サノヤスはいっつもボーっとしてんなー。スケベな事ばっか考えてるんだろ? まぁシャーナイかぁ。高校生男子だもんなー。お年頃だよなー」
広瀬はいつもこんな調子でよく喋る。
こちらが反論する隙を与えないのだ。
「一体何が見えるんだぁ?」
広瀬は体育館に続く少し勾配になった通路を小走りに下りてくると、そう言いながら両手を俺の肩に置いた。
そして俺がさっきまで見ていた視線の先を覗くようにして顔を寄せる。
「あれ? いないじゃん」
当然いるわけがない。
白峰どころか、こいつが興味を持つようなものなど何もありはしない。俺は今朝見た夢と実際の風景を見比べていただけなのだから。
俺は広瀬を無視して、朝から気になっていたことを片付けることにする。
いくらリアルで鮮明な夢であったとしても、記憶の中の映像は時間とともに薄らいでくる。それは現実の記憶と変わらない。確かめるなら早い方が良い。
……どうだろうか?
どこもかしこも細部までも、完全に一致するかと問われると断言はしづらいが、かと言ってここが違うという明らかな差異も見つけられなかった。
何も違いはしないがどことなく違和感がある。
……こうだったか?
窓に反射する陽の光の加減の問題だろうかと、腰の高さぐらいにある窓のサッシに手を掛けて、下を覗き込むように上体を曲げてみた。
「は? 何も見えねーし。怖ぇーよ。お前には一体何が見えてんだよぉ」
広瀬が俺の視線に割り込み同じように覗こうとする。
それから俺の両肩をつかんで揺さぶり、まるで正気を失った人間を現実に引き戻そうとするような大袈裟な仕草で、俺の目を覗き込んできた。
冗談じゃない。俺は正気だ。
「分かったよ。お前は気にしなくていいんだ。こっちのことだから」
「分かったって何がだよ。寂しいこと言うなよ。俺にも教えてくれよお」
上半身を横に大きく振って、なんとか振り解こうとする俺に対し、広瀬は顔をニヤけさせながら、より力を込めてこちらを押さえ込みに掛かる。
ああ、しまった。
完全にモードが切り替わってしまった。
これはもはや話の内容よりも、このジャレ合いの方が楽しくなっているやつだ。
「分かった、分かったよ! 今朝見た夢が、現実とそっくり同じだったから見比べてたんだよ。ほらっ! おい、つまんなかっただろ? 離れろよ!」
今さら正直に話しても、こいつが納得しないことは分かっているが、このジャレ合いを止める切っ掛けが欲しくて、うっかりそれを暴露してしまう。
「夢ぇ? うっそだー。俺の知ってるサノヤスはそんなメルヘンチックなことしなぁいぃ。そんな不思議ちゃんじゃなぃい」
ああ、その指摘は痛恨だ。
確かに俺もそう思う。
高校生にもなって自分が見た夢に何か意味があるように感じて、夢と同じ場所に立ってみるなんて、実に子供じみている。
「無茶、苦茶っ、リアルだったんだっ。現実みたいに。あんまり不気味だったから……、ちょっと確かめたくなっただけだっ。いいだろ、それくらい。は、な、せ、よっ!」
自分の行動を正当化する言葉を重ねながら、懸命に身体をくねらせる。
「その話、詳しく聞かせてくれない?」
それを言ったのは広瀬ではなかった。
少し離れた場所から、女の声がそう言ったのだ。
俺と広瀬が動きを止めて振り返ると、渡り廊下の先に、体操着姿の
こちらが呆然として返事を返さずにいると、何事にも容易く動じない白峰もさすがに居心地悪く感じたのか、気まずそうに視線を逸らしてしまった。
「ごめんなさい。どうぞ、続けて」
「……うぉっ!」
不意に脇腹に強烈な痛みが走り、俺は身をよじらせる。
広瀬が俺の横腹を思い切り揉みしだいたのだ。
続ける、というのは男同士のジャレ合いを続けろということだったのか? 違うだろ?
俺は広瀬の繰り出す次の攻撃に備えて身構えたが、広瀬の方はさっと距離を取って両手を後ろに組み、真面目腐った顔になって言った。
「ご説明して差し上げろ」
「はあっ?」
自分でもそうと分かる、明らかに不機嫌そうな声が出た。
だが、広瀬は全く意に介した様子もなく、黙って直立している。完全に俺と白峰のやり取りを傍観する構えだ。
俺は仕方なく白峰の方に向き直る。
ああ、クソ。緊張する……。
いつから白峰はそこにいたのだろう。今の広瀬とのやり取りの一部始終を見られていたのだろうか。
「えっと、何だっけ?」
「……夢の話」
そうだ。夢の話だ。
しかし白峰が……、何故白峰が、俺の夢の話なんかに?
「やたらリアルな夢を見たんだ。夢だってのは分かるんだけど、夢っぽくないっていうか。……そうだ、夢の中で夢を見てるっていう実感があった」
「それは、明晰夢とは違うもの?」
「メイセキム?」
白峰は黙っていたが、目が話の続きを促していた。
「ごめん。なんて言うのか分からないけど。まぁ、ちょっと今まで体験したことがない感じの夢だったからさ。少し気になっただけで……。
変な夢なんだけど。変じゃないって言うか。思い返してもおかしなところが見当たらないところに、凄い違和感があるっていうのか……。
夢で見てる世界が現実と変わりなく見えたんだ。全部、鮮明に。それで……」
喋りながら自分でも要領を得ない説明だと感じる。
廊下の床の、あらぬ一点を見つめていた視線を白峰の方に戻すと、白峰の目が普段見たこともないくらい大きく見開かれ、瞳がキラキラと輝いているのが見えた。
ハッとして目を瞬かせると、次の瞬間、目の前にはいつもどおりの、決して何事にも動じそうにない落ち着き払った白峰がいた。
「それで?」
表面上は話の続きを催促しているものの、まるで本当は関心のない話を渋々聞いているのではないかと思えるような、そんな乾いた口調。
先ほど一瞬見えた表情は俺の幻覚だったのか? あるいは、俺の話が白峰の期待していた内容ではなかったせいで落胆させてしまったのだろうか。尋常ならざる急転直下で。
「あ、ああ。……それで、少しでも夢と違う部分がないかと思って探してたんだ。変な話だけど、ああ、やっぱりただの夢だよなって、安心したかったっていうか……」
「それで……、どこか違う部分は見つかった?」
「いや、今のところは」
「そう……」
白峰はそれだけ言うと、何か考え込むようにして視線を逸らした。
意味深過ぎる。
一体何を気にして俺たちの話に加わってきたのか。
俺自身はあの不思議な夢を実際に体験しているので特別な関心を持っているが、普通他人の見た夢などに、これほど興味を示すものだろうか。
「さっき言ってたメイセキムってそういうものなのか? 名前が付くほど割と一般的な体験だったりするのか?」
そのとき、体育館の鉄の扉が重い音を立てて開いた。
僅かに開いたその隙間から、吉岡が身体を横向きにし、猫を思わせるような動きで身体を滑らせ這い出て来る。
吉岡……。今朝、俺の夢に出て来た吉岡だ。
何でもないことなのに、何となく意識してしまう。
「美尋? 先生来るまで柔軟してろだって。西本が」
「あれぇ? 今日、女子も体育館?」
その呼び掛けに反応したのは白峰ではなく広瀬だった。
「はあっ? 一緒なわけないでしょ。なんで広瀬がここに居んのよ? うぅわ、もしかして告り? 迷惑だから時と場所を考えなさいよね?」
一つ発した言葉が倍以上になって返ってきたような感じだった。
広瀬が俺の方を向き、大袈裟に渋い表情を作って見せた。
「男子は外周だって。向こうで話してるのを聞いたわ」
白峰がポツリと呟くように言った。
外周というのは学校の敷地の外周のことで、三周で約四キロになる定番マラソンコースのことだ。
「うっそ、マジかよ。つーか、知ってたならもっと早く教えろってぇ!」
広瀬はその言葉の半分も言い終わらないうちに駆け出していた。
俺もそれを追いかけようとしたところへ、後ろから白峰に声を掛けられた。
「佐野君。……さっきの話だけど。英梨奈が興味あるはずだから、後でもっと詳しく聞かせてあげてくれない?」
「えっ? 何の話? 私?」
英梨奈……。吉岡の下の名前は英梨奈というのか。
……いや、待てよ。
ということは、俺の夢に関心があるのは白峰自身ではなく、吉岡の方だったのか?
白峰は吉岡の代わりに話を聞いていたということだろうか。
「おーい、サノヤス。中村は遅れたらヤベーぞー」
もう姿は見えないが、階段の方から広瀬の声が反響しながら届く。
反射的に走り出してから、白峰の言葉に何も返していないことに気付いたが、どう返事をすれば良いか思い付かなかったので、俺はそのまま振り返らずにその場から走り去った。
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