(5)borderless・境界の無い町
【座敷童子】
東北地方、主に岩手県に伝わる妖怪である。通常は5〜10歳程の子供の姿で現れて、家の中を駆け回ったり、寝ている人にちょっかいをかけたりとイタズラをするのが好きらしい。
座敷童子を見た者に幸運を、滞在する家には富をもたらすというが……機嫌を悪くして座敷童子が家から去るようなことがあれば没落してしまうという言い伝えがある。
可愛らしい幼子の姿をしているが、見た目に反して恐ろしい妖怪だ。
富を得続けたいとするならば、
○
梅雨が過ぎた夏の夜。晴れ雨現象発生。
──シャカシャカシャンシャカ。
居間から足踏みする音が聞こえ、なんだなんだと硝子戸を開けると、ヘッドホンをつけた祖父が大音量で洋楽を流しながらヘッドバンディングをしたり、身体をゆらりゆらゆらと揺らしていた。
隣には佳雨音がいて、祖父同様に両耳に手を当てヘッドホンから音漏れする音楽に合わせて身体を揺らしていた。
なんという事だ。座敷童子がいる光景がこの民宿「満月荘」の日常になりつつある……。
僕は首すじに流れる汗を手で拭い、うちわを手に取ってパタパタと仰いでこう言った。
「夏に振袖姿って、見てると暑苦しいんだよ……」
○
『カウネとフルムーン イン・ザ・サマー』
○
「じゃあ着替えるから」
「へっ?」
佳雨音はひょいと高くジャンプして空中で身を
佳雨音の服装が振袖姿から涼しげな淡藤色の浴衣姿に変わった。悔しいが少し可愛いと思ってしまった。
「早着替え出来るんだな……お前」
そして、奴はとぼとぼと僕に近づくと右膝に手を伸ばしてきた。
「うおっ!」
思わず後退りした。今度は左膝に手を……!
「うひっ!」
当然後退りする。
「普通に話するからもうビビらなくなったのかと思ったのに……残念、ビビりの大吉」
佳雨音は肩をすくめて深いため息を吐いた。
「お前は得体の知れない存在だからな……。座敷童子じゃないのなら貧乏神かも知れないし、触れたところから腐敗してそこからキノコが『ニョキニョキニョキ!』と生えてくる事だってあるのかも知れないだろう。キノコのお化けみたいに」
「キノコのお化け?」
佳雨音がキョトンとした顔で頭を傾げた。
「と、ともかく! お前と相容れないからな!」
僕は居間から出ようとして廊下に続くガラス戸をガラリと開けると目の前に包丁を持った鬼婆(もとい祖母)がいて心臓が縮み上がるかと思った。
「ヒッ……どうしたんだ。ばっちゃん」
「夜八時に予約していた客が全く来ないんだ。大吉、電話しておやり」
「あっ、うん……」
○
民宿「満月荘」のカウンターにて。
──トゥルルルル。
「ダメだ、全然出ん」
「大吉!」
「うおっ! 佳雨音か……」
「どうして星川のばっちゃんはあんな怖い顔してたの?」
僕は仏頂面で受話器を置いた。
「ばっちゃんはな、予約をドタキャンされるのが大嫌いなんだよ」
「ヨヤクって何? ドタキャン?」
「そこから教えなきゃダメか……」
初めて佳雨音に遭遇した時と比べると話し言葉が流暢になっていたが、会話をしてみると一部単語の意味が分からないといったことが何度かあった。
たまに民宿「満月荘」に宿泊しに来る日本語覚えたたての外国人・ジェイムズ君を思い出す。
「先生に教わってないことは分からない。教えてよ、ビビりの大吉」
「……」
佳雨音はどうやら「先生」という人物から言葉を教わっているようだった。先生? 祖父母のことを言っているようではないし、宿泊客の中にもそのような人物はいない。民宿外の人物のことを指しているようだった。短期間で言葉を習得してきたということは意外と近いところに住んでいる……?
「あのさ、佳雨音……」
「大吉、あれ何?」
佳雨音は玄関口の天井を指差した。僕が質問するより先に質問されたので仏頂面になってしまう。
「……誘導灯だよ。火事とか災害が起きた時に避難する場所を分かりやすくするために設置しているんだ」
「ふーん、あれは?」
「招き猫。商売繁盛って言っても意味が分かるか? お店が儲かりますようにって願いを込めて置いてるんだ」
「ふーん、変なの」
「存在自体が一番変なお前に言われたくはない……」
佳雨音は次々と疑問に思った物を指差して訊ねてくる。中でも一番興味を抱いたのが壁に飾られている著名人のサインが書かれた色紙だった。
サイン色紙は二十枚程並べて飾られている。テレビ局の取材やドラマの撮影で満月荘に訪れた俳優さんと僕の祖父母が一緒に撮った写真が添えられている物もある。
「ミミズがのたくったような字」
「有名人もこの民宿に泊まりに来たんですよって客寄せのつもりで飾ってるんだよ。ミミズがのたくった字だなんて失礼な奴だな」
「あっ、でもこの字だけ読めるかも」
「どれだよ」
「ボーダーレス」
佳雨音が「borderless」と英字で書かれた色紙を指差し、その単語をそのまま発音したので僕は面喰らってしまった。
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