(4)ヒヒヒ、隙あり

 僕が今まで遭遇した中で、半透明の和服姿の女の子・佳雨音かうねは単語や幼な子のように語尾を伸ばすといった言葉しか話せなかったはずだった。


「大吉〜〜!」


 まあ……こんな感じで僕の名前を何処で覚えてのかは知らないが連呼していた。それが今では……。


「ビビりの大吉、鼻毛伸びてる」


「……あっ、そう」


 ブチッ。いっつう!


 僕は顔をしかめた。背後から皺々しわしわの腕が伸びてきて、鼻穴に指を突っ込み毛を力いっぱい引き抜いていったからだ。


「ヒヒヒ、隙あり」


 背後にいた祖父がニヤリと笑みを浮かべて、指で摘んでいた鼻毛に息を吹きかけて飛ばした。


 相変わらず、古着屋で買った若者向けのオーバーサイズTシャツに腰パン姿、キャップ斜め被りといった歳不相応な格好をしている。


 まるでファッションデビューしようとして失敗した中二男子のようだ。王冠を添えた骸骨のシルバーペンダントが胸元できらりと光った。恐らく同じ店で買った中古品だ。


「な、何すんだよ……じっちゃん……」


「ちょっくらパチンコ屋行ってくらあ」


 そう言ってガラス戸をガラリと開けてのらりくらりと居間から出て行った。


「全く、こんな時に……」


 僕は今何をしているかというと、ハエタタキを両手に一つずつ持ち、かの二刀流大剣豪・宮本武蔵みやもとむさしの如く眼前の敵に向けて構えの姿勢を取っていた。座敷童子と間合いを取るためだ。


「来るなよ、絶対来るなよ! 来ないでくれ!」


「あーあ、私をまるで虫けらみたいな扱いしちゃってさ」


 佳雨音はまるで頬を膨らませた金魚のように顔を赤くした。そしてすぼめた口からブーッと息を吐いて唇を震わせた。


 突然、ニヤリと笑みを浮かべたと思うと僕の静止も聞かずに全速力でこちらに向かってきた。


「うあっ! あああああひいええええっ!!」


 両の手のハエタタキを一心不乱に振り回したが、佳雨音の身体に当たることなくすり抜けていく。


 ──スパーン!


「だああああうるせっこの! おだづでねえぞ!(ふざげるな!)」


 台所に続く居間の障子が勢いよく開かれて僕と佳雨音はすくみ上がった。祖母が怒号を上げていて、手には出刃包丁を持っている。それが余計恐怖心を煽った。まるで鬼婆おにばばだ。


「「は、はい……」」


 驚きのあまり僕らは息を呑んだ。



          ○



    『カウネとフルムーン!?』



          ○



「ばっちゃん、あいつ……佳雨音のことを知ってるの? 一体いつから……」


 宿泊客の部屋に食事を届け終えて居間で茶をすする祖母に僕は訊ねた。


「今年の始め頃かねえ。佳雨音は私がこの民宿に招き入れたんよ」


 それを聞いて僕は愕然としてしまった。


「んなバカな……」


「あのわらしっ子(子供)はなんだか不憫に思えてねえ。だがらわだし(私)がウチに招き入れたんよ」


 祖母は再び茶を啜り、佳雨音に初めて遭遇した時のことを語り聞かせてくれた。



          ○



 それは今年2014年1月の寒い冬の晩のことだった。


 誰もが寝静まる夜更けに祖母は寝床から目を覚ましたのだ。雪の降る季節であるのに、珍しく雨が降っていると。


 用を足しに冷たい廊下を歩いてトイレに向かっていると、玄関口に幼子がいるのを磨り硝子越しに見たのだという。


 ──ガラリ。


 玄関の戸を開けると祖母は驚いた。晴れ雨現象。雨音はするのに雨は降っておらず夜空にはまん丸なお月様が浮かんでいる。そして、玄関から少しばかり離れたところに市松人形みたいなオカッパ頭の半透明の女の子が満月を見上げたまま立ち尽くしていた。


 祖母は白い息を吐いて冷え冷えとした外気に震えた。


「あんたそこで何してる。寒いからさっさと入りなさいな」


 女の子は振り向いてただ一言「うん」と答えた。



          ○



「えっ? つまり……佳雨音は寒そうだったからウチに入れた……ってこと!?」


 祖母はこくりと頷いた。


「身体が透けてて振袖着てた。あれゃどう見ても座敷童子だと思ったね。家に招き入れて優しくしてやってあわよくば富を得ようと思ったのさ」


 今まで和服と一括りしていたが、この時になって初めて佳雨音が着ている服装が振袖であることを知った。


「あのさ、思ったんだけど……もし佳雨音が座敷童子じゃなかったらどーすんの……?」


「私、座敷童子じゃないよ」


 不意に、僕らが座るテーブルの下から声が聞こえた。下に目を向けると顔上半分だけ覗かせた佳雨音がいて「ふふふ」と気味悪く笑みを浮かべていた。


「ぴぃやぁ!!」


 もちろん僕は飛び上がった。どうりで先程から姿が見えないと思った。


「じ、じゃあお前は何なんだ!」


「言わないよ、に言いつけられたらだもん」


 そう言って佳雨音はテーブルの下から這い出て居間の壁をスーッとすり抜けていなくなった。祖母の茶を啜る音だけが居間に響き渡る。


「先生……?」


 僕は首を傾げる他なかった。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る