白の魔法は刻を埋める

小石原淳

第1話

 小学校時代一番の思い出は下校直前、階段の踊り場とセットになっている。

「内緒の話があるから月曜、早めに来て」

 十三年経った今でも、あの戸惑いと軽い興奮は鮮明な記憶として残る。漫画やドラマによくある展開を勝手に想像し、天にも昇る心地になった。六年生時、密かに想いを寄せる女子から思わせぶりに誘われたら、無理あるまい。

 強情を張って、「何だよ、話があるなら今言えよ」みたいな反応もできた。が、周りに顔見知りのいない状況が、自分をいつもの自分でなくさせた。そう、素直になれた。

 時間と場所を聞き、彼女の姿が見えなくなってから、急いでランドセルを下ろしたのを覚えている。引っ張り出したノートの適当なページに、大きくメモをした。

 ところが月曜日、待ち合わせ場所である学校の中庭に、彼女は現れなかった。少し早く来すぎたかと思い、そわそわしていたが、やがていらいらに変わる。立ちっ放しに疲れ、簀の子状の長椅子に腰掛けるも落ち着かず、またすぐ立ち上がり、うろうろした。やがて約束の時刻を三十分過ぎ、一時間過ぎして教室に向かわねばならない時刻になっても、彼女は姿を見せなかった。

 かつがれたかと教室に急いだ。恐らく、彼女は教室で友達数人と一緒になって、僕を物笑いの種にしているのだ。そんな想像をして顔が熱くなった。怒りよりも恥ずかしさと失望が自分の内を侵食し、頭のてっぺんからつま先までを占めていた。

 勢いよく教室に駆け込み、彼女の席を見据えた。が、空席。ぐるりと身体を一周させるも、教室内に彼女はいなかった。よそのクラスに行っているのかと思ったが、始業までほとんどない。それに、彼女の机にランドセルがないのも気になった。

 休んだか。だとしたら、約束を破られた訳じゃない。ちょっと安堵するとともに、じゃあ休んだ理由が心配になった。彼女と親しい女子何人かに単刀直入に聞いてみたが、知らないという返答ばかり。不安を募らせていると、やがてチャイムが鳴って先生が来た。そして出欠確認のあと、先生が切り出した説明に、みんなショックを受けることになる。


 居酒屋で催された同窓会は、連休初日ということもあってか、クラスの三分の二を超える人数が揃い、盛況を呈していた。席上、誰それは中学のときに付き合い始めた相手と結婚したとの話題が出て、そこから当時好きだったのは誰かという流れになった。

 出席した面々の中にその相手がいる者は、気軽に「おまえのことをいいなと思ってたよ」とか、「私達、**君を好きだったけれど、お互いに協定結んで告白しなかったのよ」などと言った。また、小六にして人気者の自覚のあった奴は、想い人がこの場にいなくても、やはり軽い調子で名前を挙げた。

 僕は多少迷ったが、いないと嘘をつくのも無粋で、雰囲気を壊しかねない。僕が誰を好きなのかを知る悪友も来ている。そいつにばらされる前に言っておくことにした。同窓会で彼女の話題が出ないのは寂しい、という気持ちもあった。

「知ってる奴もいるけど、僕は篠塚しのづかさんが好きだったよ」

 ざわめきが消え、誰もがはっとした顔をこちらに向けた。どうやらみんな、避けていたらしい。意識的か無意識かは知らないが、篠塚美紀みきの件は触れたくない出来事だったのだ。

 あの月曜の前夜、篠塚は一人で外に出で、交通事故に遭っていたのだ。身元を示す物がなく、当初、家族への連絡が付かなかったそうだが、事故現場近くの側溝に懐中電灯とともに落ちていた白のマジックに篠塚の名前と学年が小さく記されていたことと、心配した家族が探し始めたこととがじきに結び付いた。

 加害車両の運転手が公衆電話から一一九番し、できうる限り一番の早さで、篠塚は病院に搬送された。しかし診断は、家族以外は面会謝絶の重体。あとで伝え聞いたところでは、一度は意識を回復し、うわごとながら「ベンチ裏」「サイン」といった断片的な単語を漏らした。いかにも野球ファンだなと思った。

 その一度が家族に希望を抱かせるも、じきに昏睡状態に。篠塚の頑張りも三日が限界だった。四日目の夕刻、亡くなった。その様は文字通り、眠り続けているようだったという。

「篠塚さんか……あの年頃にしちゃあ、整った顔立ちしてたよな」

 男の一人が言った。場の空気を冷え込ませないよう、無理に明るい口調に努めている風に聞こえる。

「確かに、外見で選ぶならトップランク。俺もいいと思ったことあるよ。女子なのに野球ファンで、話が合ったし」

 別の男、田口たぐちが言った。己の人気に自信のある奴だ。

「でも気が強くて頭がよかったから、パスだったな」

「そういえば、男子相手によく口喧嘩になってたわね」

 女子が組んだ手に顎を載せ、天井を上目遣いに見やりながら言った。口喧嘩のエピソード自体を思い起こすというよりも、篠塚美紀に憧れていたような目つきだ。

「そうそう。理詰めだから、たいていはそっちの方が言い負かされて。中には、手が出る人もいたような気がするけど?」

 そう言った別の女子が、男達の方を一瞥する。心当たりのある者が苦笑いを浮かべたり、頭を掻いたりした。

「ちょっかいを出すのは、好きの裏返しというやつ」

 一人が適当な言い訳をしたが、それが真実としたら、何人もの男子が篠塚を密かに好きだったことになる。

「どうだか。まあ、南野みなみの君は自分から好きだったというだけあって、篠塚さんと言い争いになった場面はなかったみたいね」

 僕の方に目を向けながら、先の女子が言った。自嘲気味に笑うしかない。

「その代わり、ほとんど言葉をかわせなかったけどね」

「あれ? 南野君て男女分け隔てなく、話をしていた記憶があるんだけど」

「私もよく話した覚えがある」

「小学生の頃は希だったから、印象に残ってるわ。間違いない」

 自分ではさっぱり覚えていないのだが、今日出席した女子の全員が、そのようなことを口にした。

「じゃあ……きっと、好きだからこそ、声を掛けられなかったんだな。敢えて距離を保とうとしたんだ。馬鹿だよ」

 あるいは、元々よくお喋りしていたが、彼女の死を境に記憶を封印したのかもしれない――なんて気取るつもりはない。普段から仲よくお喋りする間柄なら、あの日、内緒の話があると言われて舞い上がらないだろう。

「その……言いにくいんだけど、早く告白しときゃよかったって、思った?」

 また別の女子が、静かに口を開いた。篠塚と一番親しくしていた北川きたがわだ。たいてい篠塚と行動をともにしていた印象がある。あの日、篠塚の欠席の理由を尋ねてみた一人が、この子だった。

 僕は間を取って、「もちろん」と返事した。答を考えていたのではない。月曜に内緒の話をする約束があったことを、言おうか言うまいか、迷っただけ。

「少し後悔している」

「しかし、運命なんて分かんないんだから、そりゃ無理というものさ」

 田口が気取った調子で呟いた。胸ポケットに手をやり、電子煙草を探るような仕種を見せたが、途中で諦めた。

「ましてや小学六年生だぜ。今は言えなくても、中学生か高校生になれば言ってやる!てなもんだろ、普通」

「そうだよな。今時の子供は知らんが、俺達の世代じゃな。よほどの自信家か、よほどのチャンスが巡ってきた奴でもない限り、告白なんてできないね」

 僕を置いて同意する空気が形成される。いや、僕もその見解に不同意ではない。ただ。

「チャンス、あったかもしれないんだ」

 言わずにいられなかった。むしろ、この際だから聞いてもらいたいとの心理が働いたか。僕は“月曜日の約束”について、包み隠さず話した。

 話し終わると、女子が口々にこんなことを言った。

「それってきっと、篠塚さんからの告白だったのよ」

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