挿入話:愚かな行為
*
「参りました」
「入れ」
アレスの野太い声に促され、部屋の入り口に顔を見せたのはレーテーだった。彼女はそこで片膝を付き、伏し目がちのままで
「失礼いたします、軍神アレス」
「二人の時はそのような儀礼は不要だ、レーテー」
姪の姿に目を細めるアレスに、彼女はにこやかに笑う。
「はい、伯父さま」
「それで? 答えは見つかったのかい?」
アレスの優し気な問い掛けに、レーテーは残念そうに息を吐きながら応えた。
「いいえ、まだです。しかし私は、ある巫女との触れ合いを通し、人間の興味深さに気付きました」
「話してみなさい」
「はい」
「人間は無駄と思えることを繰り返します。そして失敗も繰り返します。最初、私はそれを愚かなことだと思っておりました。失敗から学ばない。それこそ人間が人間たる
「うむ。もしその通りであるなら、決して聡明であるとは言えぬな」
「はい、仰せの通りです。しかし彼らは、失敗を恐れません。失敗しても失敗しても、再び立ち上がり、そして無駄と思えることに挑み続けるのです。次こそは上手くゆく。そう信じて、勝つ見込みの無い戦いに己を奮い立たせることが出来るのです。
あの活力はいったい、何処から来るのだろう? 負ける可能性の高い戦いに立ち向かう勇気を、彼らは何処から得ているのだろう? その疑問が私に、人間に対する探究心を呼び起こしたのです」
アレスは彼の癖である、顎を微かに上げることで興味を示した。
「それは愚かなことなのかもしれません。否、それは間違い無く、愚かな行為なのです。その愚かさゆえに、彼らの短過ぎる一生の中には辛苦が満ち溢れています。後悔の念に苛まれて
でも、限りある命だからこそ見果てぬ夢を追い、そして敗れ去ることもい
そう、彼らを突き動かしていたのは『希望』という名の、不確実な未来への挑戦だったのです」
アレスは「うん、うん」と頷いた。我が姪の成長した姿に感慨もひとしおといった風情で、嬉しそうに耳を傾けている。
「人間は取るに足らない存在などではありません。いや我々神にとっては、確かにそうなのかもしれません。ですが、決して無意味な存在などではないと確信しました。
彼らは不完全ですが、その不完全さを補い合って生きるのが人間というもの。相手の心に寄り添い、その不足分を埋めてあげる。その代わり、自分の凹みは他の誰かが埋めてくれる。誰かに手を差し伸べることを
我々も彼らに学ぶべきものが有るのではないでしょうか? 神々が忘れてしまった美徳を、その末裔である人間が今もなお伝え続けているとしたら、なんと素晴らしいことでしょうか? 私は彼らを、誇らしく思うに値する存在だと考えます」
「お前は・・・」
アレスは言葉を選ぶかのように、ほんの少しだけ考えた。しかし、今のレーテーを言い表す為には、幾百もの言葉を並べ立てるよりも、もっと簡単で的確な言葉が有ることを思い出したのだった。その根源的な感情を表す言葉こそが、彼女の心中の全てを物語っていることに気付いた時、逆にアレスは彼女の想いの深さを感じ取った。
「お前は人間が大好きなのだな?」
レーテーの顔がパッと明るく輝いた。
「はい、伯父さま。私は、時に愚かな間違いを犯し、己を省みることを忘れ、それでも『希望』に向かって努力し続ける人間が大好きです。泣いたり笑ったりしながら、前を向いて進み続ける彼らが大好きなのです!」
それまでの楽し気な空気を寸断せざるを得ないことが心苦しいのか、アレスは突然、沈痛な面持ちになって話を続けた。
「レーテー、お前に言っておかねばならぬことが有る」
「はい。伯父さま」
「記憶の禁を破ってしまったお前には、どうしても罰を与えねばならん。しかもそれは、とても重いものとなろう。この神界の秩序を守るためには、これだけは避けて通れぬのだ」
彼女もそのことは承知していたようだ。レーテーは毅然とした視線をアレスに向けた。
「承知しております。私は玲という巫女と出会えたことを幸せだと思っています。彼女は私に、色々なものを与えてくれました。そのどれもが宝物のように輝いていて、私の心は豊かに満たされております。私は彼女と出逢ったことを、微塵も後悔はしておりません。
如何なる処罰も甘んじて受ける覚悟がございます」
そう言って、判決を待つ囚人のように目を伏せるレーテー。
「そうか・・・ ならば思うがまま存分にやるが良い。しかし、時間はあまり残されてはおらぬぞ」
「有難うございます、伯父さま」
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