そんな楽し気な二人を遠巻きに見る施設スタッフがいた。ここで働き始めて間がない彼女は、窓際のテーブルに陣取って想い出話に花を咲かせる孝子と敏子に近付こうと足を踏み出したが、その腕を掴んで引き留める者がいた。

 振り返ると、何処かの高校の制服と思しきベージュ色のブレザーに身を包んだ女子高生だった。

 「あなたレー姐さんでしょ? あの敏子お婆ちゃんの記憶を戻すのね?」

 施設スタッフの女性はため息をつく。

 「また邪魔をするつもりなの? 懲りない子ねぇ、あなたって」

 レーテーの ──正確に言えば、レーテーが操る夢の中の玲の化身(?)みたいなものか── 呆れた様子をみた玲(本体)が慌てて付け加える。

 「ううん、そんなつもりは無いのよ。ただ・・・」

 いつになくしおらしくモジモジする玲に、レーテーが首を傾げながら聞き返す。

 「ただ?」

 「この前のお爺ちゃんみたいなことにならないかなって、ちょっとだけ心配なんだ」

 「この前のお爺ちゃん?」レーテーは考えるような仕草を見せた。「あぁ、あの戦争で妹さんを失った」

 「そう。あのお爺ちゃんみたく、悲しい思い出が溢れ出しはしないかと・・・」

 「そうね。ご高齢の方だから戦争の記憶が蘇ってきてもおかしくはないわね。でも、こればっかりは戻してみないことには・・・」

 玲は突然、パンッと両手を顔の前で合わせた。そして、その拝むような姿勢のままで言う。

 「ねっ、敏子さんじゃなく孝子さんにしてあげられない?」

 その姿勢は仏教信者にとってのみ意味が有るものであって、女神にしてみたところで何の効果も発揮しないが、そんなことを玲に説いても詮無いことではないか。レーテーは、その点に関しては気にする様子も見せずに続けた。

 「あの元気の良いお婆さん? あの方は、記憶は確かなようだけど・・・」

 「でも、旦那様と行った海外旅行の記憶とかは残ってても、細かい部分を忘れちゃって残念がってるでしょ? 訪れた場所とか泊まったホテルとか、何処の何ていうレストランで何を食べたのかとか。

 そういう記憶を戻してあげられるんだったら、素敵なことだと思うんだけど・・・ ダメかなぁ?」

 「そう? あなたらしいわね」

 レーテーは目を細め、優しさの籠った想いで彼女を見た。ただその時、自分のそういった仕草が、母であるエリスのものと瓜二つなのではないかということに気付いたのだった。

 そして同時に思う。母がこの表情をしている時、彼女はいったいどのような想いで私を見ていたのだろうかと。もしそれが、今の自分が抱くものと同じような想いだとしたら、彼女は・・・。

 ひょっとして自分は、母のことを大きく誤解しているのだろうか? 自分は母の真意を汲み取れていないだけなのだろうか? だがその答えは、直ぐには見つかりそうもない。レーテーは拙速な結論を導き出すことを諦めて、今、目の前にいる玲に意識を集中することにした。

 「じゃぁ、自分でやってみる?」

 「へっ、私?」

 「今更出来ないなんて言わせないわよ」

 レーテーは意地悪な視線で玲を睨み付けた。

 「そ、そんなに怖い顔しなくっても・・・ この前のことは反省してます・・・」

 「うふふふ。冗談よ。でもやってみなさいよ。それであなたがより積極的に、この仕事に協力してくれるようになるんだったら、私としても大歓迎よ」

 「大丈夫かなぁ・・・」

 「平気だって。私から主導権を奪った時みたいにやればいいんだって」

 「また、そんなこと言う・・・」

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