第二話:言葉という刃

 「ご予約の窓際の席をご用意して、お待ち致しておりました。お台場の夜景を存分にご堪能下さい」

 サラリとした身のこなしのウェイターに引き連れられて、愛美が姿を現した。

 気合の入ったセミフォーマルのドレスは、ミントグリーンベースの袖付きロングプリーツ。足元は大人しめに、ヒール高さ3センチ程のパンプスだ。その肩にかかるSamantha Thavasaのショルダーバッグが彼女の溌溂とした個性を強調し、めかし込むんだ雰囲気の中に混ぜ込んだ、元気の良い若々しさのアクセントが好ましい。

 ジュエリー類にだって抜かりは無く、イヤリングは子供っぽくない、小さめのクリスタル。細いプラチナチェーンのネックレスには、小さいながら一粒ダイヤのペンダントがしつらえられていて、それは彼女が冬のボーナスをはたいて買い込んだものである。ホテル最上階のレストランでのディナーとは言え、けばけばし過ぎない落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


 そんな彼女の背後に立つのは、ウェイターにも負けない程の場慣れ感を匂わせる拓哉。

 ネイビーのテーラードジャケットに、カーキのチノパンを合わせた、こちらもセミフォーマルスタイルだ。インナーにはデニムシャツをあしらえて、少しばかりの遊び心を演出しつつもカチッとした印象の仕様で、カジュアルになり過ぎることの無いように配慮している。その一方で、靴には柔らかなデザインの革靴を選び、堅苦しさの無いお洒落感が心憎い。

 何処から見てもお似合いのカップルだった。


 拓哉にエスコートされた愛美が、ウェイターに連れられ窓際の予約席へと案内されている時、偶然にも厨房に近いテーブルに知った顔を見つけた。レストランのスタッフが出入りを繰り返す通用口に近いということは、席としてはかなりの末席の方だ。

 「あら? 大貴さん? 偶然ね、こんな所で」

 その大貴と呼ばれた男は、慣れないフォークに刺した海老を口に含んだまま目を剥いた。

 「ゲホッ、ゲホッ・・・ ま、愛美・・・ さん? ゲホゲホッ・・・」

 上手に剥き切れなかった殻が付いたまま無理矢理口に運んでいたため、そのイガイガが喉の変な所に引っ掛かり、益々咳き込む大貴。彼に同伴していた女性が、見かねてコップの水を手渡した。

 そんな彼の様子を見ながら、なんとも言えぬ笑みを張り付けた顔で愛美が続ける。

 「あっ、ご紹介します。こちら私の彼氏で、都内の外資金融系の企業に勤める中嶋拓哉さん」

 紹介された拓哉は、スマートに自己紹介を始めた。

 「初めまして、中嶋と申します。愛美さんとは結婚を前提にお付き合いさせて貰ってます・・・ で? こちらの方は?」

 最後に愛美の方を見ながら拓哉は尋ねる。形式ばった堅苦しい言葉での挨拶の後に、砕けた口調で彼女に尋ねる拓哉の姿は、二人の親しさを大貴たちに見せつけるかのようだ。

 「えぇ、こちらは柴田大貴さん。私と同じ会社で働いてらっしゃるのよ。それからこちらが・・・」

 そう言った愛美が、大貴の向かいに座る女性の方を見ると、大貴とその女性は急いで椅子から立ち上がった。

 「あ、あの、僕、柴田と申します。よろしくお願いします。それからこちらは・・・」

 「私、内山綾香と申します。大貴さんがいつもお世話になっております」

 深々と頭を下げる綾香。

 「よろしくお願いします。大貴さんの彼女さん・・・ ですよね?」

 にこやかに笑いながらそう問う愛美に、大貴と綾香はお互いの顔を見合わせて、恥ずかしそうに笑った。

 「実は僕たち、来月式を挙げることになって」

 「えっ?」愛美が虚を突かれたような顔をする。

 「先月お見合いしたんだけど、今日は彼女が東京に遊びに来てるんだ。綾香さんは僕の地元の信用金庫に勤めていてね」

 「あ、あぁ、それはおめでとうございます」愛美は引きつった顔で言った。

 「おめでとうございます」

 愛美に続き拓哉も祝辞を述べると、綾香は再び丁寧に頭を下げた。

 「有難うございます」

 気恥ずかし気に頭を掻く大貴に、愛美が言う。

 「ってことは、奥様はこちらに引っ越していらっしゃるのかしら?」

 「いいや、僕、今の会社を今月いっぱいで退社して、地元の島根に帰ることにしたんだ。もう東京にいる理由も無いかなって。あははは・・・。

 今度は叔父が経営する会社で働かせてもらえることになっていてね。海外から家具とかを買い付ける仕事だから、今と違って世界中あちこち飛び回らなきゃいけなくなるんだけど。主にヨーロッパで、北欧がメインだね。ははは」

 しかし、もう愛美の耳に大貴の言葉は届かないようだ。

 「あら、そう? それじゃ、お幸せにね」

 愛美と拓哉は二人の席を離れ、窓際の特等席へと移動した。



 レストランでの食事を終えた愛美と拓哉は、同じフロアに併設されたバーのカウンターで飲んでいた。

 「ちょっと聞いた!? 信用金庫だって! だっさ~い! じゃぁ何? もし私と結婚したら、私を鳥取に連れて帰るつもりだったのかしら?」

 勿論、綾香は聞かされていないだろうが、大貴は愛美の元カレだった。食事の時のワインとバーでのカクテルで、彼女は随分と酔っぱらっていた。

 「冗談じゃないわ。あんな砂丘しかないような所、誰が行くもんですか。つい最近までスタバすら無かったそうじゃない」

 「鳥取じゃなくて、島根って言ってたけどね。クスクス・・・」

 一方、拓哉の方は酒に飲まれることも無く、シャンとしたままを保っている。

 「はぁ、危なかった。危うくド田舎に閉じ込められるところだったわよ!」


 その通り。大貴への当てつけ・・・・のため、わざわざ彼らの予約の時間まで調べ上げて、愛美たちはあのレストランに足を運んだのだ。自分たちのリッチで優雅な生活を見せつけるため、彼らの慎ましやかな贅沢を嘲笑うため、ただそれだけの為に食べたくもない高級レストランを予約したのだった。


 「だいたい、なんで私があんな酷い仕打ちを受けなきゃいけないわけ? 許せない! 私、すっごく傷付いたんだから!」

 拓哉は終わりの無い不平不満をにこやかに聞いている。

 「ロクでもない男よ、アイツは。あの綾香とかいうダッサイ女も、アイツのクズさには気付いてないんだわ。あっはっはっは、馬鹿な女。いい気味だわ」

 たとえそれが、どんなに聞くに堪えない罵詈雑言だったとしても、彼はただ黙って聞き役に徹するのだ。

 「私を振ったことを後悔させてやるわ。絶対に後悔させてやる。なぁ~にがお見合いよ。なぁ~にが北欧がメインよ! 馬鹿にして」

 綾香はグラスに残ったカクテルを、一気にグィと飲み干した。


 その時、腕に嵌めたRolexをチラリと見た拓哉の口調が、突然変化した。先程までの親しく砕けた恋人同士のものから、ビジネスライクなものに変わったのだ。

 「申し訳ございません、ご利用時間を過ぎました」

 拓哉は胸ポケットから名刺を取り出すと、それを慣れた仕草で愛美の前に滑らせた。そこにはポップなフォントで『レンタル彼氏、SWEET ROMANCE』の文字が躍る。愛美は目線だけでその名刺をチラリと見ると、また直ぐに視線を戻す。

 「次回以降、ご指名頂く場合は5%の料金上乗せとなります。それではまたのご利用、お待ち申し上げております」

 拓哉は立ち上がり、礼儀正しく頭を下げる。そして何も言わず、彼女の後ろを通って店を出て行った。

 愛美はつまらなそうな顔をしたまま空のカクテルグラスを弄び、出てゆ拓哉の姿を見ようともしなかった。

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