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「元気にしてた?」
「うん、万理は?」
化粧っ気のない顔で、蘭子は照れ臭そうに聞き返した。
「元気だよ ちょっと痩せたんじゃない?」
心配そうに尋ねる万理に、蘭子は頭を掻きながら笑う。
「あはは、そうかも。でも全然元気だから心配しないで。むしろ以前より健康なくらいだよ」
「そう? ならいいけど。髪も伸びたね」
「うん」
少しぎこちなく始まる二人の会話は、いつものことだった。
「もう春だね。最近は温かくなって過ごし易いよ」話題を変えるように蘭子が言った。
「ねぇ。近所のあの公園の桜も、ちらほら咲き始めてるんだよ。ほら。昔、よく二人で散歩したあの公園」
「へぇ。見たいなぁ。綺麗なんだろうね。こっちにも桜は有るんだけどね、あの公園みたく立派な並木じゃないからさ」
それを聞いた万理は、さも極上のアイデアを思い付いたかのように声を弾ませた。
「今度、一緒に見に行こうよ! キティちゃんの敷物とランチボックス持って。私、腕によりをかけてお弁当作るからさ! 桜の下でピクニック!」
「そうだね。もっとポカポカ陽気になったらいいかもね」
楽しそうに語る万理に合わせて、蘭子も顔をほころばせた。
しかし、そんなぎこちなさも直ぐに解消し、あの頃のように仲の良い二人に戻れるのだ。
「ごめんね、面倒な仕事押し付けちゃって。ウチの両親、何か言ってた?」
「ううん、何も。むしろ感謝されちゃったくらい。それに結局、蘭子の部屋は引き払わないことにしたんだ」
「えっ? なんで? 家賃だってかかるのに」蘭子は目を丸くした。
「今は私が一人で住んでるの。家賃はお父さんに掛け合って、出してもらってるんだ。お父さん、私の言うことには逆らえないんだから」
「お父さんに!? それって・・・ まさか、お父さんと和解したってことじゃないんだよね?」
身を乗り出した蘭子に向かって万理は顔をしかめ、煩い蠅を追い払うように手を振った。
「まさか。お母さんには黙っておくってことで手を打ったの。お母さんは家に戻ってこいって言ってるんだけど・・・ やっぱりね。むしろお父さんは、私が家に寄り付かない方が安心できるから、積極的に私の意見に賛成しただけなんだけどね」
乗り出していた身体を引いた蘭子は、感心するような仕草で背もたれに寄り掛かり、胸の前で腕を組んで見せた。ちょっと見ない間に、本当に万理が逞しくなったような気がしたのだ。
「へぇ~。万理も逞しくなったんだね。頼もしいよ。昔の泣き虫万理ちゃんとは大違いだ」
「うふふ。それにね、アパートの管理人さんなんか、スッゴク親切にしてくれるんだよ」
「えっ!? そうなんだ!?」
再び身を乗り出す蘭子。もう、彼女の身体は前に行ったり後ろに行ったりと大忙しである。
「あの口煩い管理人が? 信じられないよ」
「うん。『あんな事件が有ったんじゃ、もう借り手が付かない』って、最初は文句タラタラだったんだけどね。でも私が代わりに住みますって言ったらそりゃもう大喜び。この前なんか『何か困ったことが有ったら、いつでも相談に来なさい』とか言っちゃってんの」
「あははは、判る判る。あの人なら言いそうだ」
蘭子は手を叩いて笑った。しかし急に深刻そうな顔を取り戻した蘭子が、様子を窺うように尋ねる。
「でも・・・ あんなことが有った部屋で・・・ 大丈夫? 夜中に一人で怖かったりしない? ほら、万理ってめっちゃ怖がりじゃん?」
「あはは、全然平気だよ。だってあの部屋は、蘭子と私の想い出がいっぱい詰まってる部屋だもん。簡単に引き払うなんて出来ないよ」
「そっか・・・ そうだよね」
蘭子は安心したように笑った。
時間は三十分と決められている。あまり雑談ばかりしているわけにもいかず、蘭子は現実的な話を始めた。
「弁護士の先生が、模範囚でいれば三年くらいで出所できるかもしれないって」
「ほんと!? 鈴木先生が? そうなんだ!? 頑張ってね、蘭子」
「うん。頑張るよ」
「頑張ってね」どこかで聞いたことが有る言葉だった。あの事件の夜、万理を実家に帰す際に掛けた言葉だ。
あの後、万理は私の言いつけ通りに頑張ったに違いない。そして今の安定した生活を手に入れたのだ。私のいない、あの社会で。誰の助けも借りず。だから今度は、自分が頑張らなければならない。蘭子はそう思うのだった。
「必要な物が有ったら何でも言って。差し入れるから」
「ありがとう。でも、何でも差し入れられるってわけじゃないんだよ。色々厳しいチェックが入るんだから」
能天気に言う万理に、蘭子が釘を刺す。でも万理には全く通じていないようだ。
「大丈夫だよ。鈴木先生なら何とかしてくれるって。私の面会も本来なら許可されてないのに、『事実上、婚姻関係と同様の事情にある』って刑務所側に認めさせたんだから」
「あははは、そうだったね。じゃぁドラムセットを一つ、お願いしようかな」
いつだってそうだった。今にして思えば、万理のそんな爛漫さに救われた思いになったことが幾度と有ったではないか。
「オッケー、お安い御用だよ。鈴木先生! ドラムセット一丁!」
万理は片手を口許に持って行き、斜め上を見ながらおどけて声を張り上げた。
「ぷっ・・・ あははは。馬鹿だね万理は。蕎麦屋じゃないんだから」
「クスクス」
そろそろ時間だった。もっともっと話したいことは有るけれど仕方がない。今の二人は、こんな風にしか逢うことが許されないのだから。
少し目立ち始めた自分のお腹をさすりながら、万理が言う。
「出所したら、この子を一緒に育てていこうね。私たち、家族だもんね」
「そうだよ。興毅の子だもん。私たちが育ててあげなきゃ」
手を伸ばせば届く距離にいるのに、触ることが出来ない。優しく膨らんだ万理のお腹に手を添えて、その確かな鼓動を感じたいのに感じられない。蘭子は、自分のお腹を労わる万理の姿を、愛おしそうに見つめた。
「ねぇ。今度来るまでに、名前の候補を考えておいてね」
万理が出した突然の宿題に、不平を漏らす悪戯っ子の生徒のように蘭子は口を尖らせた。
「えぇ~。まだ男の子か女の子かも判らないのに?」
「両方考えておいて! この子が産まれる時、まだ蘭子は出所できてないだろうから、名付け親だけは引き受けてよね。絶対だからね!」
でも、そんな宿題が出されること以上に喜ばしいことなんて、きっとそうは無いに違いない。蘭子は自分が幸せなんだと改めて感じるのだった。
「判った判った。でも、お腹が大きくなってきたら、無理して来る必要はないからね。身体を一番大事にしなきゃ。万理のお母さんにも、色々聞いて助けて貰うんだよ。判った?」
「はい。判ってます」
今度は万理が生徒役だ。でも随分と素直な子供らしい。
「それじゃ、もう行かなきゃ」蘭子は寂しげに笑った。
「うん。それじゃぁね」万理も寂し気だ。
でも、これが今生の別れではない。また直ぐに逢いに来られるのだから。そしていつの日か、二人が手を取り合って歩ける日が必ず訪れるのだから。いや、その時はきっと三人のはずだ。万理と蘭子の間に挟まれた、小さくて元気な命。そんな未来が待っている。ほんの小さな日常だけど、そんな細やかな幸せだけど、こんなちっぽけな夢だけど、それが判っているからこそ、二人はいつも湿っぽくならないようにアッサリと面会を終わるようにしている。
「万理」
椅子から立ち上がり、振り返って歩き始めた万理の背中に、壁越しの蘭子が声を掛けた。万理が振り返ると、蘭子がアクリル板に手を置いていた。それは刑務所のルールを逸脱した行為だったが、女性刑務官は見て見ぬ振りで顔を背けている。その姿を見た万理は戻ってきて、反対側からも手を添えた。
透明で冷たいアクリルの壁を通して、お互いの体温が伝わった気がした。
「愛してるよ、万理」
「私も愛してる、蘭子」
微笑み合う二人の目には、もう輝ける未来しか見えてはいなかった。約束された明るい生活が待っている。そんな風にしか思えない。幸せの予感。それだけが二人を温かく包み込んでいた。
完
万理と蘭子の場合 大谷寺 光 @H_Oyaji
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