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「もしもし。興毅さん? 今、お電話大丈夫ですか?」
「おぉ、まり子ちゃんか。大丈夫だよ。どうした?」
「あのぉ私、興毅さんに謝らなきゃいけないことが有るんです。だからLINEじゃなく、直接お話がしたくて・・・ 私・・・ 嘘ついてました」
「嘘?」
「はい。私、本当はまり子じゃなくって、万理っていいます」
「あはは、なんだ。そんなことか。いいよいいよ、バンドのファンだからって、よく知らない男に本名名乗るのは気持ち悪いってのは判るよ。気にしないで」
「それだけじゃないんです。嘘っていうか、隠してたことが有って・・・」
「隠してたこと? 何だろう」
「あの、私。実は蘭子の従妹なんです」
「えっ? 蘭子の従妹?」
「はい。蘭子がどんな人と付き合っているか確認したくて、嘘をついて興毅さんに近付いたんです」
「いや・・・ ちょっと・・・ よく判らないな。どうして蘭子の従妹が俺に・・・」
「私、もう直ぐ大学受験なので、蘭子の部屋に居候させてもらってて、今は一緒に住んでるんです。でも彼氏が出来たのなら迷惑はかけたくないし、ちゃんと報告して欲しかったんですが・・・ かといって私、蘭子のことを実のお姉ちゃんみたいに思ってて、心配だってのもあるし・・・」
「はは~ん、そういうことだったのか? いやね、彼女の部屋に行きたいつっても、絶対に連れて行ってくれなかったんだよ。やれ部屋が散らかってるだ何だつって、言い訳っぽく断り続けられてたのさ。ひょっとして他に男でもいるのかなんて疑ったりもしたんだけど・・・。
なるほどね。まり子ちゃん・・・ じゃなかった。まりちゃんだっけ? まりちゃんがいるから部屋には呼んでくれなかったんだな。なぁんだ、それならそうと言ってくれれば良かったのになぁ」
「はい、実はそうなんです。でも私が興毅さんと知り合いになったってことは、蘭子には内緒にしておいて下さいね。きっと叱られちゃうから。蘭子、怒るとスッゴイ怖いんです」
「あははは、判る判る! その姿、目に浮かぶようだよ。でも、もしそうなら、逆に俺からまりちゃんにお願いが有るんだけどな」
「お願いですか?」
「うん。俺が蘭子を北海道に誘ってるって話、したよね? 実際のところ彼女が、その件に関してどう思ってるのか、それとなく探りを入れてくれないかな?」
「あぁ、あの件ですか?」
「そう。もう意味合い的にはプロポーズだってことは、お互いに判ってるんだけどね。俺、蘭子を絶対に幸せにする自信が有るんだ。まりちゃんも、従姉のお姉ちゃんが幸せになれるんだったら応援してくれるよね?」
「もちろんです。蘭子が幸せになるのなら、反対する理由なんて有りませんから」
「良かったぁ! これでちょっと勇気が湧いて来たよ。なんだかノラリクラリとはぐらかされ続けてると、二人の関係って本当のところどうなんだろう、って不安になったりもしてたんだ。でもまりちゃんが後押ししてくれれば百人力だ。俺、諦めるつもりなんて、さらさら無いからさ。
あっ、因みにまりちゃんって、どんな字書くの?」
ベッドが軋んでいた。蘭子の両脚の間に分け入った興毅が身体を揺らすのに合わせて安いベッドが悲鳴を上げ、たいして堅牢でもない造りのアパートの床も振動した。蘭子は彼の頭髪に両手の指を差し入れ、興毅の頭をしっかりと掴んで離さない。興毅は彼女の脇の下辺りに両腕を突いて、下半身で蘭子の身体を突き上げる。そうやって二人は、お互いの瞳に映る自分を見つめ合いながら揺れていた。
そしてその日、何度目かの頂を迎えた蘭子の、切なく漏れる喜悦の声が充満するむさくるしい部屋に、場違いな音が響く。
『ピポピポッ』
枕もとに置いた興毅のiPoneが、メッセージの着信を知らせたのだ。だが、その外界との繋がりを示す電子的なシグナル音も、隔絶された濃密な世界に浸っている二人には邪魔っけなだけだ。今度は蘭子が興毅の上に馬乗りになる体位に変わり、再びベッドが規則的な軋みを刻み始める。そしてその時、虚ろに開いた蘭子の目が、興毅の頭の横で輝くスマホに釘付けとなった。そこに浮かび上がる、丸みを帯びた白い長方形の中に記されていたのは、LINEの着信通知だ。
─ 万理
─ 先程の件でお話が有ります。今度ま・・・
蘭子の身体の摺動は次第に収束し始め、そしてゆっくりと停止した。乱れていた呼吸を落ち着かせるように、彼女は大きく肩で息をしている。ただしその表情はどこか遠くを見るかのようで、興毅の顔のずっと奥に焦点を結んでいた。
思わず興毅が声を掛ける。
「どうしたの、蘭子?」
「えっ? あっ、なんでもない。ご、ごめんなさい」
興毅は不自然な蘭子の態度を気にする様子も見せず、体を起こす。そして自分の上に乗っている彼女を横に降ろすと、今度は蘭子の背後に回り込み、彼女の尻を後ろから抱え込んだ。蘭子はそれを四つん這いの姿勢で受け入れたが、その目は興毅のiPhoneを見つめ続けていた。
彼が規則正しい前後運動を再開すると、スマホのディスプレイはフッと暗くなって、表示されていた通知が消えた。真っ暗になった画面はもう何も映し出してはいなかったが、蘭子の目には先程の文字がありありと浮かび上がって見えていた。
蘭子は一つ大きく息を吸うと、それをゆっくりと吐き出した。
自分の腕の中で甘えん坊のように振舞う万理の髪を、蘭子は優しく撫でていた。万理はいつもそうだった。事が済んだ後の彼女は、まるで駄々をこねる子供のように、鼻にかかる甘えた声で蘭子にすがり付くのだ。それはまるで、興毅の腕の中で女になる自分を写し取っているかのようだ。しかし最近は特にその傾向が強いような気がしていて、それは一度壊れかけた二人の関係を修復するための、彼女なりの考え、或いは無意識によるものだろうと解釈していた。
だが今日は、それが間違いだったような気がしてならない。興毅のスマホに届いたメッセージ。考えれば考える程、あの送信者が、この万理だという気がしてならないのだ。直接、彼を問い質せばよかった。蘭子は今更ながら、あれに気付かなかった振りをしてしまったことを後悔していた。
万理が、自分の知らない意図を持って、そのような行動に出ているとしたら、それは・・・。
やはり聞かざるを得ない。蘭子は問い詰める様な口調にならないように注意しながら聞いた。
「万理、私のこと疑ってるでしょ?」
「疑ってる?」
蘭子の腕枕に頭を預けながら、万理はキョトンとした顔で尋ね返す。
「そうよ。妙な勘繰りはやめて」
興毅という名前は出さなかった。墓穴は掘りたくないからだ。おそらく万理も、興毅という存在に疑念を抱いているに違いないのだが、彼女も易々とその名前を出すことはしないだろう。万理としても、そこまで確証を持っているわけではないに違いない。
でもどうして感づいた? あの不自然に大学を訪れた日に気付いたのか? 或いは疑っていたから大学に来たのか? それとも自分から男の
「本当に勘繰りなの? 蘭子、男に抱かれてるんじゃないの?」
口を尖らせて、少しすねたような様子で聞く万理に、蘭子は思わず声を荒げてしまった。可愛く装ってはいるが、そのストレートな言い様に少なからず動揺したからだ。
「馬鹿なこと言わないで!」
さすがに「実はそうなの」とはならないか。万理はコンドームの件を持ち出そうかとも思ったが、やめておくことにした。北海道の件もだ。まだカードを切る場面ではない。
とは言うものの、自分にとって重要なのは蘭子を追い詰めることではない。汚らしい男の元から、彼女を取り戻すことが最終目的なのだ。蘭子が自分の行いの愚かさに気付いて、戻ってきてくれさえすればそれでいい。
「ふぅん・・・ 判った。ごめん・・・」
そのためには、まだ興毅との関係が気付かれていないと思っている蘭子を利用するべきだろう。であれば、ここで一枚のカードを切っておくのも有効かもしれない。疑われることを恐れる人間は、自身の正当性を主張するために、自ら外堀を埋めてしまうものなのだから。
「ねぇねぇ。怒られると思って黙ってたんだけど、私、興毅さんとお友達になったんだ。この前、蘭子の大学に行った時に偶然会って、私の方から話しかけちゃった。えへへ。ダメだったかな?」
いきなり興毅の名前を出して来た万理に、蘭子は面食らった。興毅という名前を伏せ、ミスターXを挟んで腹の探り合いが始まるかと身構えていたのに、あまりにも簡単に彼女の口から興毅の名前が出て来るなんて。ひょっとして万理は、なんとなく疑っているだけで、本当に何も知らないのだろうか? 或いは、全てを知っていて、その上で彼の名前を口にしたのか?
「へぇ・・・ そうなんだ。別に構わないけど」
もし後者だったとしたら・・・。蘭子は背筋に冷たいものが走るような気がして、ゾクリと身体を震わせた。
「私がDIRTY NOBLEのメンバーとお友達になっても構わないでしょ? だって、しょっちゅうライブ観に行ってるんだし、やっぱり蘭子のお友達とは、私もお友達になりたいよ」
「それは・・・」
「それとも私たちの関係がばれるのが嫌なの? レズビアンであることが恥ずかしいの?」
「そ、そんなわけないって。何言ってんのよ。ただ、あえて宣伝するようなことじゃないでしょ?」
よし。揺さぶりには効いている。ここでまた本題に戻ることにしよう。万理は再び甘える様な声で言った。
「本当に私だけ?」
「そうよ。私には万理だけだよ。当り前じゃん」
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