それは蜜柑ほどの大きさで、葵の胸の奥。脊椎に巣食うこぶのように張り付いていた。まるで草に産み付けられたカマキリの卵の如く、葵の脊椎の一部が盛り上がった腫瘍か何かのようにも見える。CT画像のその部分を指差しながら山崎は説明する。

 「この白い部分。これは葵さんの妹、凜さんの残渣と思われます」

 「まさか・・・ そんな・・・」久美子の顔は色を無くしている。

 「・・・・・・」陽太も言葉を失った。

 「稀にこういったことが起こるんです」

 そう言って山崎は、マウスでスライドバーを動かし始めた。

 「ほら、ここに未発達な手が見えます。それから・・・」さらに少し、スライドバーをずらす。「ここには足のような物も見受けられます」

 何と言って良いのか解からず唖然とする二人に、山崎は説明を続ける。

 「双子の片方が消えてしまう現象をバニシング・ツインといいます・・・


 『バニシング・ツイン。それは妊娠初期の段階で、双子の片方が消えてしまう症例である。何らかの原因によって ──一説によると、妊娠中の母親の喫煙やストレス、栄養不良が原因とされる── 片方の発育が停止し、母親の体内に吸収されてしまうものだ。従って消えた胎児を取り出したりする処置や手術は不要とされ、残った方の胎児や母体にも影響は無いという。その消滅後は単体妊娠として、普通に出産することが可能である』


 ・・・通常は、成長できなかった方の胎児は母体に吸収されて消えてしまうのですが、非常に稀なケースとして、その体の一部が残る場合が有るんです。しかも渡部さんの場合、母親ではなく、姉妹である葵さんに吸収されて残った」

 「こ、これが凜・・・」

 呆然とする久美子に、山崎は言う。

 「そういうことです。ここまで説明したのは、医学的に見て非常に稀なケースではありますが、前例が全く無いわけではありません。しかし、ここから先は私の推察になります。追って詳しい検査を通して確認しますが、現時点では誰も聞いたことが無い、荒唐無稽な想像と言っても差し支えないかと」

 「教えて下さいっ! どんなことが考えられるんですかっ!」

 聞いたのは陽太だった。山崎は少し沈んだ声で答えた。

 「今、葵さんの身体を動かしているのは、その凜さんの脳ではないかと・・・」

 「ま、まさか・・・」

 「まだ確定的なことは何も言えません。ただ、葵さんの症状に合理的な理由付けが出来るとしたら、これしか無いのではないかと思えるんです」山崎は言葉を続けた。「おそらく凜さんには、目も耳も鼻も無いでしょう。内臓らしき物の影も見当たりません。ただ、唯一確認できるのが脳なんです。それが脊椎を経由して、葵さんの身体に深くリンクしているのではないでしょうか」

 「リ・・・ リンク・・・」

 「えぇ。先程はこれを『凜さんの残渣』と申し上げましたが、それは正確な表現ではないかもしれません。ひょっとしたら、脳だけとなった凜さんは、葵さんの身体から酸素と栄養の供給を受けながら、共に十七年間生きてきたのではないでしょうか?」


 (俺の知っている凜は、脳だけの存在だって・・・?)


 「この小さな脳がこれまで全く機能していなかったとしたなら、つまり文字通り残渣でしかなかったとしたら、言語を習得している筈はありませんし、葵さんの生きてきた記憶を共有していることも説明がつきません。

 だから、普段は葵さんの脳活動の陰に隠れて表に出ることは無かったとしても ──あるいは出来なかったとしても── 葵さんの感じた五感の全て・・・ つまり、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、そして触覚を、凜さんの脳も同様に感じ取っていたのではないでしょうか。姉が見聞きし感じたことは全て、同じように妹も経験してきたということです。

 そして交通事故によって葵さんが脳死状態となったのを機に、これまで姉の陰に隠れていた凜さんが活性化し、代わって彼女の身体を生かし続けた。その後、二年の昏睡期間を通して、凜さんの意識は徐々に表層に浮かび上がってきたのでしょう。

 そう考えれば、覚醒後の彼女の性格が変わってしまったように感じたのも頷けます。だって元は双子とは言え、完全に別の脳が取って代わっているのですから。つまり彼女は多重人格症などの精神疾患ではなく、生まれながらにして二人分の脳を持っていたんです」

 「こ・・・ これが・・・ もう一つの脳?」

 CT画像を見つめながら呆然と発した陽太の言葉に覆い被さるように、久美子の悲鳴に近い声が響いた。

 「嫌っ!」

 その鋭い声に驚いた陽太と山崎は、思わず久美子を振り返る。

 「そんな薄気味の悪いもの、切除して下さいっ!」

 その発言を聞いた山崎は、慌てて久美子をなだめる。

 「そんなことしたら、植物人間に戻ってしまいますよ! いいや、植物状態どころじゃない。完全に死亡してしまいます! いいですか渡部さん、よく聞いて下さい。葵さんの脳は活動していないんです! 心肺機能や消化器官、循環器系、その他全ては、凜さんの脳が葵さんに代わって動かしているんです!」

 両手に顔を埋め、嫌々をするように身体を揺する久美子に、山崎は噛んで含めるように説明を続ける。

 「それに、これだけのコミュニケーションが出来るということは、葵さんの神経系にかなり深いレベルで融合、ないしは同化していると考えるべきです。それを無理に切除するような手術は不可能ですし、仮にやったとしても葵さんが元の状態に戻れるとは到底考えられません」

 その時、陽太が弱弱しい声で山崎に尋ねた。

 「凜は・・・」

 「?」

 「凜は何なんですか?」

 「水野君・・・」

 「凜は人間じゃないんですか?」

 「・・・・・・」

 「脳が有って、身体が有って、笑ったり泣いたりして・・・ それって人間なんじゃないんですか? 生まれ方が人と違うから、人間じゃないってことになるんですか? 元に戻るとか戻らないとかって話をする前に、どうして凜を人として扱ってくれないんですか?」

 しかしその問いに答えたのは、山崎ではなく久美子であった。

 「水野君。貴方が知っているのは、あの娘の本当の姿ではないの。だから諦めて」

 「どういう意味ですか?」

 「一か八か、手術して貰います」

 それを聞いて慌てたのは山崎だ。

 「渡部さん! 先ほども申し上げた通り・・・」

 「植物人間でも何でも、あんな薄気味悪いものと一緒に暮らすよりは、よっぽどましだわっ!」

 「待って下さい! 凛だってあなたの娘じゃないですか!?」

 「あんな化け物、私の娘じゃないわっ!」

 陽太の言葉にも、久美子は無慈悲な表情を返しただけだった。彼女の辛辣な言いように、陽太と山崎は凍り付く。

 「私、薄々感付いてたのよ。葵の性格が変わってしまって。あの娘はもっとおしとやかで、女の娘らしい子だったのに・・・ おそらく私たちの話を聞いていたのね。凛と名付ける予定だった双子の姉妹がいたことは、以前に葵に話したことが有るわ。それを盗み聞きして、自分を凜だと思い込んだのに違いないわ。全く忌々しい!」

 久美子の吐き捨てるような言葉に、堪らず陽太が声を荒げる。

 「やめろっ! 凛だって生きてるんだ! 生きる権利が有る!」

 しかしそれ以上の金切声を久美子が上げた。

 「人間でもないものに人権なんて有りはしないわ!」

 「これ以上、凜を傷付けるのは止めてくれ!」

 頭を抱えるようにした陽太に、久美子が追い打ちをかける。

 「私の娘は葵だけよっ! 貴方こそ、あの娘を凜なんて呼ぶのは止めてっ! 私の葵を返して頂戴!」

 「二人とも落ち着いてっ!」

 項垂れる陽太と、それを睨みつける久美子。仲裁に入った山崎が、二人を落ち着かせようと静かな口調で言う。

 「落ち着いて下さい、二人とも。まだ何も確認されていないんです。凛さんの脳の件だって、私の想像でしかない。だからとりあえず口論は止めて、急ぎ精密検査を実施しましょう。今後のことを考えるのは、それからでも遅くはない筈ですから」

 そうは言ったものの山崎は、二人の論争に結論が見出せるとは全く思えないのだった。人間の定義、命の定義。そんな大命題の答えが、簡単に見つかる筈などないのだから。


 「凜は人間じゃないんですか?」


 そう問うた陽太の言葉が、重苦しく彼の心にのし掛かってくるのだった。

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