第五章:渡部 久美子
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それは小さな音だった。教員の読み上げる英語の長文が教室内を気怠く満たし、それが生徒たちの眠気を誘うような
最初は気にも留めていなかった陽太であったが、虫の知らせと言うか、なんとなく気になって振り返ると、脂汗をかきながら青白い顔をしている凛が目に飛び込んで来た。いきなり立ち上がった陽太の椅子が「ガタンッ」と大きな音を立てる。
「りん・・・ 葵っ! 大丈夫か!?」
まずい。またあの発作だ。フラフラする身体を支えようと、陽太が凛の両肩に腕を伸ばす。彼女は朦朧とした様子で、今にも机に突っ伏しそうだ。両目は苦しげに閉じられたまま眉間に皺を寄せ、陽太の腕の動きに合わせて頭をグラグラさせている。
途端に教室中がざわめき出す。教壇に立っていた稲田も教科書を置いて駆け寄った。
「どうしたの、渡部さん? 水野君、彼女どうしちゃったのかしら? 具合悪そうだけど」
「時々有るんです。こういう貧血みたいなのが。暫く安静にしていれば治まるんですが・・・」
「そう? じゃぁ保健室に連れて行った方が良いわね。水野君、お願いできる?」
「はい。分かりました」
凛の脇に移動した陽太が、ふらつく身体を抱きかかえるようにして椅子から立たせた瞬間、彼女は「う、うん・・・」と唸り、その両目をパチリと開いた。思わず声を掛ける陽太。
「大丈夫か、葵?」
しかし、その声に引き寄せられるように顔を上げた凛は、陽太の顔を見るなり表情を強張らせた。
「えっ・・・?」そして恐る恐る教室を見回す。
クラスメイト一人ひとりの顔を認識するごとに彼女の顔には驚愕が刻まれ、その身体がガタガタと小刻みに震え始めるのが陽太には判った。凛の華奢な身体を抱きかかえている陽太には、彼女の心と身体の動揺が直接伝わってくるのだ。そのいつもの発作とは違う反応に狼狽えた陽太は、とにかく彼女を一刻も早く安静にできる場所に連れて行くべきと思い立ち、もう一度優しく声を掛ける。
「大丈夫だよ、葵。急いで保健室に行こう」
凛は再び陽太の顔を見た。そして至近距離で視線が交差すると、彼女は意識を失うように目を閉じ、先程と同じような苦し気な表情に戻るのだった。
「水野君、早く」
稲田の声に促された陽太は、フラフラと足元がおぼつかない凛を一層しっかりと支え、教室の後ろの出入り口から出て行った。クラスメイトたちがヒソヒソと交わす言葉が、二人の背中を追ってきた。
「いや~ん、私もあんな風にされてみたい」
「あんたみたいな血の気の多い女が、貧血起こすわけないでしょ!」
「俺でよければお姫様抱っこで連れて行ってやるぜ」
「あんただけはゴメンだわ、三好」
「ギャハハハハーーッ!」
教室を後にする二人を見送りながら、稲田は「大丈夫かしら?」と心配そうな独り言を漏らすと、気持ちを切り替えるようにパンパンと両手を打ちながら教壇に向かって歩き始めた。
「はいはい、みんな静かにしてーっ。渡部さんは大丈夫です。授業に戻りますよーっ」
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