「でもね、お母さんは全然悪くないんだ」

 「そんなはず・・・!」

 勢い込んで口にしてみたものの、実際、陽太は葵の家庭のことなど何も知らない。本当に「そんなはず無い」んだろうか? 本人があまり言いたくはなさそうな素振りを見せるので、ついつい聞きそびれていた部分もある。部外者が迂闊なことを言うべきではないのではないか。そんは風に思ってしまった陽太の言葉は瞬時に勢いを失い、消え入るような尻切れトンボになるのだった。

 「・・・無いん・・・ だよね? 本当の親子なんだよ・・・ ね?」

 「うん。私とお母さんは、正真正銘の母娘だよ」

 「じゃぁ、だったらなんで?」

 「それはね・・・」葵は雄太の顔をじっと見つめた。


 「私が葵じゃないから」


 一瞬、虚を突かれたように言葉を失った陽太は、ムクムクと湧き上がる怒りを抑え込むように叫んだ。

 「何だよ、それっ!? からかうのもいい加減にしろよな!」

 「ウフフ・・・ からかってなんかないよ。本当だもん」

 陽太が怒りを露わにしても、葵はお構いなしだ。

 「だから訳が解かんないって言ってるんだよ! 本当の母娘なのに、娘の葵じゃないって何だよ!? じゃぁ、俺の目の前にいるお前は、いったい誰だって言うんだよ!?」

 「凛」

 「り、りん?」陽太はポカンと口を開けた。

 「そう。私は凛。信じられないかもしれないけど、私は渡部葵じゃなく、渡部凛なの。『凛とした朝』とか言う時の『凛』だよ。ほら、にすい・・・に鍋蓋書いて回る・・・」

 「そんなことは、どうでもいい!」

 急に言葉を荒げた陽太に、さすがの葵も押し黙った。

 「だから・・・ だから、凛って誰なんだよ?」

 怒って顔を背ける陽太に、困ったような笑顔を向けながら葵が言う。

 「葵は私のお姉ちゃんなんだ。でも戸籍上では一応、私は葵ってことになってて、それはそれで間違いではないんだけど・・・ 説明がむつかしいなぁ。とにかく、私が本当は凛だってことは誰も知らないの。これを教えたのは陽太だけだからね。クスクス・・・」

 「・・・」

 こっちは本気で心配しているというのに、こんなおちゃらけた返しをしてくる葵に、陽太の怒りはシュワシュワと萎んでゆく。心配させまいとする葵の、精一杯の虚勢なのだろうか? そう思うと、もうこれ以上、彼女を責める気にはなれないのだった。

 「だからさ。二人っきりの時は私のことを『凛』って呼んで欲しいんだ、これからは。でもみんなの前では『葵』って呼んでね。みんなが混乱するから。クスクス・・・」

 「そ、そんなこと急に言われたって・・・」

 「ねっ。これからは凛って呼んでくれるでしょ?」

 「・・・・・・」

 「おやぁ? さては君、この私のミステリアスな魅力にメロメロか?」

 「馬鹿々々しい・・・」

 そう言ってそっぽを向く陽太に凛がしだれ掛かる。

 「アハハハ! 陽太の困った顔、可愛い!」


 なんだかいいようにはぐらかされて・・・・・・・しまった気がしたが、、葵が・・・ いや、凛が言った通りであると、陽太も感じ始めていたのだった。そう、そんな彼女の無茶苦茶で奇想天外な ──本人はそれをミステリアスと表現していたが── 言動に振り回されながらも、どんどん惹かれてゆく自分を不思議な気持ちで見ていたのだ。

 彼女の家庭事情に関しては、またいずれ知る機会も有るだろう。別に急ぐ必要なんて無いのだ。寄り掛かってきた凛の頭をヘッドロックした陽太は、その頭頂部を拳骨でグリグリしてやった。

 「オラオラオラ、凜さんよぉ!」

 「きゃぁーーっ! 痛いぃーーーっ!」

 「がはははは。参ったか!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る