再会と別れ

「やぁ ごくろうさん」

 検問所には憲兵がいた。ここには市警察の人間がいなかったのでベネディクトは安堵あんどした。顔見知りがいると変装を見抜かれたかもしれない。

 憲兵はレナルドが手渡した許可書や書類をしばらくじっと読んでいた。顔が書類に隠れて車内から見えない。憲兵の目が書類にではなく、車の隅々を観察しているかもしれないとレナルドたちに思わせた。それは3人にとって長い時間だった。

「ちょっと、降りてくれませんか」

 憲兵がレナルドに云った。レナルドはいつものことなので少しも表情を変えずに黙って車の扉を開けた。憲兵は降り立つレナルドの顔の前に書類を持っていった。

「すいませんが、ここの書類に保健所のサインがありませんよ」

「あっそうですか。それは役所のあいだで書類のやり取りに不備があるのでしょう? そのことを私に云われても。この書類は市から正式に発行してもらったんですから。オールドカースル市長のサインがあるでしょ。ここに」

 ベネディクトはこのまえ聞かされた言い訳を、ここにきてまた聞かされた。

 しばらく憲兵とレナルドは話していたが、結局、話がついた。車は無事に検問所を通り抜けることができて快調に走り始めた。

「この前、保健所のサインをちゃんともらっておけ、とあれほど云っただろ」ベネディクトはレナルドをたしなめた。

「そうだっけ。まあいいさ、無事に通れたんだから」

 レナルドは火葬場に向かってタレンス通りから脇道へとハンドルを切った。


 火葬場は木々におおわれた広い敷地の中にあった。火葬される遺体が置かれるのは施設の裏にある窓のない別棟べつむねの建物だった。ベネディクトは火葬場に付近につくと、表口の方へは行かないようレナルドに云った。そのかわり遺体を安置する別棟の建物へと続いている、小道に入るよう指示した。建物が見えてきたところで車を停め、裏口から入ろうとしたところに防犯カメラがあることに気づいた。

 不審な侵入者として見つかれば、もし遺体のもとへたどりついたとしても、死者に最後の別れを告げているほどの悠長ゆうちょうな時間は作れないかもしれない。ベネディクトは一計いっけいを案じ、敷地周辺の林を歩いて抜けていき、火葬場の表の玄関へまわるよう兄妹へ指示した。

 施設のエントランスホールに入ると、ひと気はなく、3人はすんなりと奥へ入ることができた。

 事務室を訪ねると、電話で話している皮のベストを着た男がいた。彼は電話を済ませるとベネディクト達に気づいて近づいてきた。ベネディクトは警察のバッヂを見せたあと、その人物にドーラの母の遺体がいつ火葬されるのかを聞き、さらにこう付け加えた。

「ダリア・チェスタートンの遺体には犯罪の痕跡こんせきがあるんだ。つまり、殺された可能性があると我々は見ている。そのため、司法解剖に回さねばならん。こうしてわざわざ来たのは、裁判所の許可が届くのを待っていると、その間に焼かれてしまうかもしれないんで、先に来て火葬を延期してほしいと頼みに来たんだ」

「わかりました。で、こちらの方々は?」皮のベストを着た係員はドーラとレナルドを見やると質問した。

「どうやらダリア・チェスタートンが別の人物と入れ替わっているんじゃないかという疑惑があってね。遺体が母親に間違いないかこの家族ふたりに確認してもらおうと来てもらったのさ」

 ベネディクトはさきほど裏口のところで考えた、もっともらしい作り話を話して見せた。皮ベストを着た係員は、納得した様子で3人の来訪者の労をねぎらい、遺体が安置されている部屋へと案内した。


 内装がほどこされていない、コンクリートの壁がむき出しになった安置室へ3人は通された。そこは温度が低くピリピリとやけに乾燥していて、死者が不当な扱いをうけていると思わせるほど小暗こぐらいところだった。ひつぎたちはひたすら無言でそこに置かれていた。皮ベストの係員がベネディクトにダリアのを指し示すと、みんなでそのふたを開けた。

 ドーラは母の顔を見て大きく泣いてくずおれた。レナルドも泣き声を上げて棺にすがりついた。二人は棺に申し訳ない程度に入れられた花をどかし、簡素な死装束しにしょうぞくの隙間から手を入れて冷えた母の体に触れた。死体というものを目の当たりしたのはこれが生まれて初めてだった。

 ドーラは母の生きている間にもっと触れておけばよかったと、前の晩にジョアンへ話した。彼女が死後硬直のことを前触まえぶれしていたけど、それがこれなのかと思い知らされた。苦労してここまで来て母に会えたけど、母のこんな姿を目の当たりにすることになるなんて、と後悔した。そして遺骸に対して、自分が妙にそっけなくなってしまったように思えた。


 ひとしきり母に別れを告げる兄妹を見守っていたベネディクトは、二人の肩に手をかけ、ここを出るよううながした。そして、ここへ案内してくれた皮ベストの係員はいつの間にかいなくなっていた。

 3人は建物のエントランスホールまで来ると、窓の向こうにパトカーが止まっているのに気づいた。あの係員が通報したのかもしれない。ドーラがニュースになっていたから顔が知れ渡ってしまったのだろう。

 ベネディクトは二人へ振り返って云った。

「お前たち二人は、このまま彼らのところへ出頭しろ。なあに、ちょっと小言こごとを言われて、すぐ家へ返してもらえるさ。もしかしたら、レナルドは罰金を食らうかもしれないがな」

「あんたはどうするのさ」ベネディクトにレナルドはたずねた。

「俺は、お前らとのちょっとした逃避行のおかげで、やるべきことを、いや、チャンスを見つけたよ」

 ドーラは不思議そうな顔をしたまま彼を見上げていた。

「とにかく、二人とはここでお別れだ。すまないが車を貸してくれないか? 後で警察が戻してくれると思う」そういうとレナルドから車のカギを受け取り、きびすを返して建物の裏口の方へと歩いて云った。

「ベネディクト!」ドーラは彼を追いかけて来た。

「なんで行ってしまうの? ここでさよならなの?」

「そうだ。もう会えないだろう。でも安心してくれ、規則を破ってお前たちをここまで連れてきたことで裁かれるのは、俺にとって大したことじゃない。そんなことより、もっと重大な、みんなが知らない罪を俺は犯しているんだ。だから俺はそれをつぐないに、これから、ある場所へ行くんだ」

 ドーラは、夜の公園の暗がりで初めて会ったときの不気味さがベネディクトから消えて、なにか清々すがすがしい人物に変わってしまったように思えた。そして、彼の思いつめた言葉に意味がよくわからず戸惑とまどいながら「わかったわ」とそっけなく返した。去ってしまうベネディクトが廊下の角を曲がり、姿が見えなくなるまで見送った。

 ドーラとレナルドは建物の外に出ると警官たちの前に進み出て、自分たちは誰の許しも得ずに母親の遺体に会いに来たと告げた。警官たちは、にわかに時の人となったドーラを目の当たりにして、扱いに少し困った表情を見せた。二人はパトカーに乗せられて分署へと連行された。

 

 ベネディクトは兄妹と別れて裏口から出ると、停めてあったレナルドの車を走らせてタレンス通りに出た。例の通行証明書を使ってさっきの検問を抜けようとした。先ほどのいた憲兵はおらず、べつの憲兵が対応した。

「この書類には保健所のサインがありませんが」

「それは役所の中の手続きに落ち度があるんでしょう。ここに市長のサインがあります・・・」

 レナルドが使っていた言い訳を、不本意ふほんいながら真似まねて憲兵に説明すると、予想どおり無事に街へ入ることができた。車はさきほどの出発地点でもあるベアトリスのレストランへと帰ってきた。

 ベアトリスは、ランチボックスがいくつも詰まったトレーを持ち上げ、車に積んでいるところだった。ベネディクトに気づくと、

「やぁ、あんたか。上手くいったかい?」

「ああ、万事成功だったよ。それより、どこへ行くんだい?」

「レナルドの代わりに老人へこの昼食を届けるんだよ。たまにはこういうこともしないとな。アンタはどうする?」

「店で少し休ませてもらっていいかな? 店の留守番をしているよ」

 ベネディクトは例の通行許可証をベアトリスに渡し、店の前で分かれた。店内へ入ると、窓の位置を注意深く見つめながら椅子をひとつ置いた。そこは店内からはす向かいのバーが見え、かつ、外から中にいるベネディクトの姿が見えない場所だった。

 店の奥の部屋にあるロッカーの鍵を開けて、隠しておいた警官の制服にそそくさと着替えた。拳銃も取り出して状態を確認した。警棒や手錠、催涙さいるいスプレーやボディカメラをいつものように装着し終わると、先ほど置いた椅子にどっかりと足を組んで座わり、腕組みをしながら窓の外をにらみつけた。

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