少女の居場所

 朝、当庁した市長のドウェインは、あめ色の大きな机と肘掛ひじかけ椅子の背もたれとの間に体を沈めると、さっそく電話をかけるよう秘書に命じた。通話の相手はよく顔をあわせる市警察本部長だった。今朝、自宅で見ていたTVニュースの映像に映った少女のことが気になっていた。彼女は、病院の前で母の遺体に会えないことに対して、いきりたって泣いていた。

「映像の少女といっしょに警官が映っていたが、なぜ、子供を徘徊はいかいさせているんだ?」市長は本部長へ詰問きつもんした。

目下もっかのところ調べております。昨夜、あの少女をハックルベリー公園で捕まえた警官がいるのですが、分署へは戻っておりませんでして」

「戻ってない? 警官も一緒に行方不明なのか?」

「まったくもって、厳重に処分いたします」

「とにかく、あのような映像がニュースで流れては市民の動揺を誘うことになる。ただでさえ暴動をたくらむ不穏ふおんな連中が町中にうごめいているんだからな」市長は声を引くして威圧した。

 ここ最近、世間の人々の不満の声を吸い上げて、抗議のデモや暴動を起こそうとしている連中がいることは間違いなかった。いまここで治安が悪化したら外出規制の取り締まりどころじゃなくなってしまう。

「あの少女の映像がSNSで拡散されて、世の中に不満を持つ者たちが暴れだすきっかけになるとも限らん。まずは、あの少女を早く捕まえてくれ」

 市長のその言葉に対して本部長は善処ぜんしょしますと云って、電話を切った。


 朝になってドーラが部屋にいないことに気づき、父と兄は警察に届けるか心配していた。そんなときTVのニュースでドーラの姿が映っていたので、ふたりは声を上げて驚いた。ドーラは警官と一緒に映っていたからすぐ家に帰るだろうと、たかくくっていが、すぐには帰ってこなかった。

 レナルドは一人暮らしの老人たちへ配る昼食を取りにいくために家を出た。サンドイッチは街の飲食店で受け取ることになっていて、そこまで車を走らせた。レナルドの作業仲間がひとりいるのだが、その人は待ち合わせ場所にいなかった。メッセージが来ていて、高熱があって体調が悪く、流行り病だとしたらうつすかもしれないから、外出したくないとのことだった。

 レナルドは家にいる父へ連絡も取ってみた。まだドーラは家に戻っていないらしい。夜のうちに家からいなくなってどこで何をしているのだろう。ママに会えたのだろうか、そう考えながらレナルドはハンドルを握っていた。

 いつもサンドイッチを受け取る店の前に車を止めた。車を降りると向こうから見覚えのある人物が歩いてきた。アパートの同じフロアに住むマーヴィン・アップショーだった。父のデレクが廊下で彼とよく立ち話をしているのを見たことがあった。レナルドも同じようにマーヴィンへ声をかけて立ち話を始めた。

 彼と話してわかったのは、レナルドがいつもサンドイッチを受けとっている店の近くで彼が店を経営しているということだった。なぜいままで会わなかったんだろう、と二人とも笑い飛ばした。

「ニュースで妹さんを見たよ。家に戻ってきたかい?」

マーヴィンは興味深そうに聞いた。

「まだ戻ってないんだ」

「流行り病で母親が突然死んだんだ、あんなふうに取り乱すのはわかるよ。俺は感染したものが身の回りにいなくてね。いままであんな病気、デマなんじゃないかと思ってたぐらいさ」

 そのあとマーヴィンは母親が亡くなったことへお悔みの言葉をレナルドに述べた。

 レナルドはマーヴィンと別れると、サンドイッチを受け取るためにいつもの店の扉のノブに手をかけた。


ベアトリスのレストランにドーラ達が訪ねてきてから1時間ほどがたった。ドーラはテーブルに突っ伏したまま、スマートフォンで自分のいる場所を地図で確かめ、火葬場までの道のりを見ていた。外のひとの気配を感じて顔を上げた。それにあわせるように扉がひらいた。

そこにはレナルドが立っていた。

「兄さん!」ドーラは叫んだ。

「どうしてここに?」レナルドは呆れたように尋ねた。でもすぐに安心した表情がのぞいた。

「兄さんこそ、私の居場所が、なんでわかったの?」

「俺が、いつもお年寄りに配り歩いているサンドイッチは、このベアトリスさんのところから仕入れているんだ」レナルドとドーラとベアトリスの3人は奇妙な偶然に驚き、笑いあった。

「ああ、昨日のサンドイッチ配達だな」その笑い声につられて奥からベネディクトが出てきた。

 レナルドは昨日の検問で、自分に成り代わってサンドイッチの宅配に応じてくれた、あの警官であることに気づき、また驚いた。

「ドーラを連れ歩いている警官が、あんただったなんてビックリしたな」

 ドーラは昨晩から病院へ行き、そこから火葬場へ向かう途中であることをレナルドへ語った。

「今朝、お前の泣き叫ぶ姿がTVやSNSに流れて、パパと観ていてビックリしたよ」

「TV?」

「そうさ、病院で撮影されたやつさ。その映像が何度もTVで流れて、今はSNSでみんな同情しているよ」

「そうなのか。ふうん」

 ドーラは、知らないところで自分が語られていることに、嫌な感じがした。病気が流行ってから、みんなが自分を置いてけぼりにして、サンドイッチを配り始めたり、ギターの練習を始めたりすることに似た、疎外感のようなものがあった。レナルドはおかまいなしに続けた。

「外出が禁止されて以来、ずっと会っていなかった友達から連絡がきてさ、すごい質問攻めにあって、まいったよ」紅潮こうちょうしたレナルドは声が少しうわずった。

 ドーラは、自分がちまたの話題になることよりも、妹が有名人になってしまったことに対し、兄が優越感や戸惑いを持っていることの方がおかしかった。

「兄さん、あのね、検問があって火葬場へいくことができないのよ」ドーラは自分たちの計画が妨げられている原因をレナルドに告げた。

「俺のミニバンで行けないかな」兄は答えた。

 レナルドは役所が発行した通行許可証をもっている。これを利用すればドーラ達もいっしょに街の検問を通り抜けられるはずだ、と提案した。ドーラ達はレナルドの同僚ということにすれば、疑われずに済みそうだった。

 さっそく検問を抜ける準備に3人はとりかかった。老人への昼食の宅配はいつもエプロンを身に着けることになっていたので、ドーラとベネディクトへ渡した。ベネディクトはさすがに制服だったので、そのままでは不自然ということになり、体形が近いベアトリスの作業服を借りることにした。


 店主ベアトリスが店先に出て3人の乗るミニバンのハッチを閉めてくれた。そして「成功を祈るよ」との言葉をかけた。ドーラたちは火葬場へと走り出した。車内ではしばらくしてドーラが眠ってしまった。

 レナルドは警官のベネディクトがなぜ、職務放棄をしてまでドーラを助けるのか不思議に思っていた。理由を聞くと、しばらく黙っていたベネディクトは重い口を開いた。

「自分でもよくわからん。ただなんとなく、彼女を助けてあげたら、自分が過去に犯した過ちを、悔い改めることになると、どこかで思っているのかもしれない」

「過ちだって? 警官だって人なんだから、間違うことはあるさ」レナルドは無責任に笑った。

「ふん、わかったような口をきくヤツだな」

 しばらく沈黙があった。信号で車がとまると、警官はゆっくりと続けた。

「俺は法の番人に似つかわしくない人間なんだ。自分のひどい行いで仲間を死なせたんだ。...そう、俺のせいで」

 レナルドはベネディクトから彼の過去の話を聞かせてもらった。それは、ベネディクトが警官でありながら人にはいえない不正を行っていたというものだった。その不正を手伝った密輸を商売にしている人物がいたのだが、そいつがベネディクトを強請ゆすってくるようになった。そんなときベネディクトの同僚である人物が、その強請ゆすり屋を捕らえようとして一人で乗り込んだ。しかし、その同僚は逆に返り討ちにあい、死んでしまったという内容だった。

「死んだ同僚は親友だった。そして俺の不正行為を見過ごせなかった。罪を償うようにと俺を説得してきたんだ。だけど、俺は聞く耳を持たなかった。アイツは不正のことを誰にも云わなかった。そして、強請ゆすり屋を自分の手で捕まえて、すべてを明るみにしたあと、俺には、洗いざらい罪をうちあけて、償ってほしかったんだ」

 レナルドは、この大男の警官の聞き捨てならない過去を聞かされ、たじろいでしまった。警官はシートを座りなおすように身じろぎ、また語り続けた。

「親友は俺に『借りがある』とよく云っていた。俺はアイツの命を救ったことがあるんだ。彼が殺されそうなところを助けたんだが、そのさい、俺は顔に大怪我を負ってしまった」

 レナルドがベネディクトと初めて会ったときに見つけた傷のことだ。

「アイツは、この傷のことをいつも気にしていた。俺にとっちゃこの傷は勲章のようなものだ。傷が何だ。お前の命を救えたんだ。これほど名誉なことはないさと、云ってやったんだ。でも、アイツは思い詰めたように俺の傷を、いつも寂しげに眺めていた」

 親友は俺の不正を正すことが、命を救ってもらった恩に報いることだと考えたのかもしれない、とベネディクトは声を震わせて言った。

「アイツは法律がどうのとかではなく、人のあるべき道を俺に示してくれたんだ。そして、親友だけじゃない。あんたや妹もそうさ。老人たちへ食糧を配るあんたも、母親をとむらおうとするあんたの妹も、俺にとって大事なものを示してくれたように思えるんだ」

レナルドはそのことばを聞いて何か云いかけたが、検問所がいよいよ迫ってきたので、言葉を飲み込んでしまった。

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