病院での訴え

 夜が明けて病院へ車を走らせた。病院の前には外出が禁止されているにも関わらず、なぜかカメラをもったマスコミのような者が数名いた。ドーラとベネディクトは彼らをしりめに院内のエントランスホールに入った。全身に防護服のようなものを着て顔にマスクとゴーグルをかけた女が近づいてきた。

「ここから先はだめですよ、入らないで!」高圧的に押し戻す女にドーラは言った。

「ママに会わせて!お願い!」

「ママ?」ゴーグルの女はドーラに唸った。

「ママってどなた?」

「ダリアよ、ダリア・チェスタートン」

「うーん、私はすぐにその人の症状を答えられないわ。大勢の人が運ばれてくるの。この病院から連絡がいくから、お家で待っていてくださらない?」

「いいえ、昨日なくなったのよ」

「えっ? そうなの? 昨日だったら、夜のうちにすぐ火葬場に移されたと思うわ」

「まって、火葬?」

「火葬場だと? どこだったかな?」ベネディクトは街の巡回のさいに行った経験がないのか、ゴーグルの女にたずねた。

「タレンス通りを東へ走ると市境にあるわ」

「なんてことを! 私が会う前に火葬しちゃうなんて!」そう叫ぶドーラの振り下ろす拳が空をきった。

 エントランスホールで響くドーラたちの大きな声が外にいたマスコミ連中の注意を引いた。そのなかにいた小柄な痩せ男がカメラを片手に近づいてきた。ジーパンが擦り切れて身なりはひどかったが、しゃべり方が同情的だった。

「だれか入院してるの?」男は持っていたカメラの電源をすでに入れてあったらしく、それをドーラへ向けた。日の光のあたる外に出るようドーラへうながした。

「私のママが死んだって、病院から連絡があったの。ここへ来たらもう火葬場へ運ばれたっていうのよ!」ドーラはカメラの男に訴えた。ベネディクトは自身が映らないよう、ドーラから少し離れて立っていた。

「死んだ家族に会うことができないなんて、おかしいわ! なにが法律よ! こんなことってあるわけ? ああ神様、私、このまま一生ママに会うことができないのかしら!」そういうとドーラは泣き崩れて、しゃがんでしまった。

「さあ、もう、いいだろ」ベネディクトはドーラのまえに割って入り、カメラレンズの前に手のひらをかざした。彼女の前に腰を落とし、腕をそっと取って起こした。数人いたマスコミたちは大男のベネディクトにかきわけられ、散らされた。

「火葬場へは、行くだろ?」車に乗り込むとベネディクトはドーラへ訊ねた。

「いくわ。まだ燃やされていないかも」

 ベネディクトはすぐに車を出した。二人はタレンス通りまで車を走らせた。

 しばらくするとベネディクトの携帯電話が鳴った。彼はどうせ昨日パトカーに乗せずに振り切ったチャーリーからだろうと思った。だが電話にでてみると上司の部長からだった。

「ベネディクト。昨晩から署に返っていないそうじゃないか。補導した少女はどうしたんだ」

「それについては、いま、重要な任務を遂行中です」

「任務? 誰からの命令だ?」

「神がおっしゃっている...いや、人道じんどうってやつです」

「神だと? 何を言ってるんだ」

「部長殿、今、私のそばには家族の死目に会えなかった者がいるんです。私は彼女を死んだ家族に会わせたいんです」

「誰に許可をもらってやってるんだ? お前にはお前の仕事があるだろ!」

「そんなことは誰にでもできます。今の彼女の、なんというか、魂を救えるのは、俺だけのような気がするんです」

「街の治安を守ること以外、お前に任務などあるものか!」

 ベネディクトは交差点を右折するために携帯電話は耳から離して持ち替え、ハンドルを切った。そして「もう切ります」と通話を切った。後部座席にいるドーラの脇へ携帯電話を放り投げた。

「その携帯の電源は切っておいてくれ」

 後ろに座るドーラはベネディクトのシートへ顔をよせた。

「ありがとう」

 車はタレンス通りに出て、東へと走った。


 ベネディクトはしばらく走ると、この先に検問があるのを思い出した。とりあえず火葬場はあきらめて、引き返すことに決めた。検問で見つかれば仲間に捉えられると予想ができた。さっきの部長とのやりとりは、ふたりをお尋ね者にしたはずだった。

 二人はひとけのない廃工場のそばに車を止めた。

「火葬場の稼働にはまだ時間が早い。それまで作戦を考えよう。かといって、ここにいても、すぐ見つかりそうだな」ベネディクトはそう言うと周囲をうかがった。

「このあたりに隠れ家でもあるといいんだけどな」ドーラは思いもよらない言葉を口にした。

「隠れ家?」

「ちょっとまって」ドーラは自分の携帯を取り出した。

「ジョアン? おきてる? 私よ。そう。いまタレンス通りを走って、街の東まできたの」

「病院にいったんじゃないの?」ジョアンはあくび混じりの起き抜けの野太のぶとい声で応じた。

「もう火葬場に遺体が運ばれちゃったみたいなの」

「ええ!? で、どうするつもり」携帯から、ものが落ちる音や、ジョアンが何かにぶつかりながら起き上がるような音がした。

「火葬場が開くまで、どこか隠れるところないかな」ドーラのことばに脇にいるベネディクトはあきれて彼女を眺めた。街に詳しい彼にとって、そんな都合のいい場所がこのあたりにあるわけがない思った。しかし、ドーラの難題なんだいにジョアンはあっさりと答えた。

「叔父さんのベアトリスが経営するレストランがそのあたりにあるから、そこへ行ってみたら? 彼に連絡しておくわ。もうお店にいると思うから」

「叔父さんってやばい人? 私、警官と一緒なのよ。大丈夫かな」

「警官? なんで警官と一緒にいて、隠れなきゃいけないの?」

「私もそこはうまく説明できないんだけど、とにかく、1時間ぐらいでいいから身を隠したいのよ。あなたの叔父さんのところへお邪魔することにするわ」

 ジョアンが電話口で伝えるレストランの住所をドーラはそのままオウム返しにベネディクトへ告げた。

 5分ほど街の中を走ると、こじんまりとしたイタリアンレストランに着いた。少しくたびれた表情でジョアンの叔父ベアトリスは出迎えた。彼はベネディクトほど大柄ではなかったが、ドーラにとっては大男だった。

「やあ、あんたがドーラかい? そして、こちらは...」ベアトリスはドーラと一緒にいる制服姿の警官を見て動揺しているようだった。ドーラはこの歳ぐらいの男が、たとえば父デレクがよくするような、心配顔しんぱいがおをベアトリスから感じ取った。

「始めましてベアトリスさん。こちらは...友人のベネディクトです」とドーラは笑顔で話し始めた。

「友人」ベネディクトはそうつぶやくと、床を眺めて思案顔しあんがおになった。

「そうよ、私の作戦に力を貸してくれるのは、みんな友だちよ。このお店のベアトリスさんもね」ベネディクトはドーラを見下ろしながら何も云わなかった。

「ジョアンから聞いているよ。しばらくなら、この店にいていいよ。奥の事務所で休むといい」

「迷惑かけるな。午前中は仕込みでいそがしいだろう?」ベネディクトはそう云うと店内を見渡して歩き回り、窓に近寄って外をうかがった。店主はその振る舞い横目で見つつ、しばらく黙っていた。

 店は路地裏に面していて、よくある地元密着型のレストランだった。店内の間口はさほど広くなく、奥に長かった。この界隈の店はどれもこんな間取りだろうと感じさせた。あちこちの壁には、子供の手の届かない高さぐらいのところに、棚板たないた漆喰しっくいの壁から何枚か突き出ていて、その上にワインの瓶が並んでいた。店の柱やはりの縁はレンガで仕上げてあった。店のすぐ外は、大きなパラソルの下にテーブルが2つ寂しく置かれていて、椅子がなかった。

 店主は気を取りなおして話し始めた。

「ここ数カ月は、仕込みをほとんどしないよ。以前のように客を店に入れていないんだ。客同士が病気に感染するとまずいんでね」店内のテーブルにはテーブルクロスがなく、その配置は客を迎え入れるというよりも、なにか作業がしやすいように並べられていて。紙の箱や調理器具がのっていた。

「テーブルには、テイクアウト用のランチボックスを並べるんだ」そういいながら店主はテーブルを少し引きずって位置を整えた。

「邪魔にならないように隅っこにいるわ、1時間ぐらいしたら出ていきます」ドーラは愛想よく答えた。

 店の外では人の気配がした。斜向はすむかいのバーの扉が開き、ふたりの男が出てきた。窓辺のベネディクトは彼らをながめていた。ドーラは昨晩の睡眠が足りなかったのか、あくびをして椅子に座り、テーブルにしてしまった。ベネディクトは店の外の二人が会話をしている様子をじっと観察していた。バーの入り口に泥を落とすマットが敷いてあり、ふたりの男のうちのひとりが会話の途中、何度もそのマットに足をこすっていた。

「今、店から出てきたのは?」ベネディクトは向き直ってベアトリスへたずねた。

「何ですか? ああ、あの男は怪しいもんじゃありませんよ。そこのオーナーでさぁ。5年ぐらい前からバーを経営していますよ」店主は答えた。

「何なの? 指名手配犯でもいた?」ドーラは顔を上げてベネディクトを見やった。

「いや別に」ベネディクトはドーラへ振り返ると窓から離れ、店内を見渡した。

「まあいい、休んで行ってくれ。俺は厨房のほうで準備があるから。ああ、ただ、そのへんの飲み物には手を付けないでくれよ」そう釘をさすと、店主は厨房ちゅうぼうわきの小部屋の扉をあけて奥へと消えていった。

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