深夜の計画

 ドーラが母ダリアの死を聞いてから数時間がたった。

 彼女は母の死を聞いてベッドにうずくまって大声で泣いたあと、長い間むせび泣いた。その間デレクはベッドに座って彼女の頭をなでながらそばにいた。彼女が黙って動かなくなったのを見て、部屋をそっと出た。

 デレクはグラスに注いだ水を一気に飲み干し、どっかりとソファーに身を投げた。死んだダリアと出会ってから今までの生活をデレクは思い起こした。

 デレクは前妻との間にできたレナルドを連れて、ダリアと再婚したのは10年ほど前だった。それまでダリアは彼女の母とくらし、大きな生鮮市場で砂糖漬けのフルーツを売っていた。もっと前の彼女は病院に勤めていて、看護師の仕事をしていた。そのころ、妻子ある勤務医と関係を持ち、その間にできたのがドーラだった。職場にいづらくなったダリアは、病院を辞めて母親のもとに身を寄せて暮らすようになった。ダリアがいた海岸近くの町は軍の施設があり、兵役でその町にきていたデレクと知り合った。二人はいい仲になったが、デレクは兵役が終わるとダリアと別れていま住んでいる街へ戻り、郵便局に勤め始めた。職場の女と結婚し、その間に設けたのがレナルドだった。しかし、数年後に女は他の男と浮気をして行方知れずになってしまった。デレクは妻が自分のどこが気に入らなかったのか、ふと、いまでも考えることがある。おそらく、自分がいつからか女として妻を見なくなったように、向こうも男として夫を見なくなったのだろうか? あるいは、デレクは自分で魚の料理を作ることが多かったが、魚嫌いだった妻はそのことが気に入らなかったのだろうか? いずれにせよ理由はもう聞けることがないだろうし、過去をあれこれかえりみる気力もなくなってしまった。

 そのあとデレクはひとりでレナルドを育てた。数年して軍隊のころの仲間が住む町へ休みを取って出かけたことがあった。その町はあのダリアがいた町のすぐそばだった。昔のようにダリアに会いに行くと、彼女はまだ生鮮市場で母親とせっせと働いていた。少し赤みがかった頬がテカテカと光っていた。快活に働く彼女にデレクは昔のころを思い出すように声をかけた。それがきっかけでデレクはダリアと再婚したのだった。

 思い出に浸りかけていたデレクのもとにドーラが抜けがらのように部屋から出てきた。でも、彼女は若さではちきれそうだった。

「ママに会えるかな」

 そういうと、ドーラは鼻水を少しすすった。

「それは無理だよドーラ。ママが感染した病気は他の人にうつりやすいことは知っているだろう? すぐに遺体は埋葬しなければならないんだ」

「パパはこのままでいいの? ママにひと目会いたくないの?」

「パパもそうしたさ。でもね、それをしたら法律に触れるんだよ」

「嫌だよ! このまま一生会うことなくママが土に埋められちゃうなんて」

「ドーラ。パパはあの忌々しい病気がお前にうつることの方が心配だよ。気持ちは分かるけど、自分の身を守ることを優先しておくれ。頼むよ」

 デレクは立っているドーラの肩に優しく手おいた。

 ドーラは肩を落としてうつむいたまま、自室へと消えていった。デレクはドーラが不憫ふびんに感じ、いまにも泣きそうになりながら彼女の後姿を見送った。

 夕飯になってドーラはレナルドと顔を合わせた。うつむく彼は泣きはらしたのか目が赤く腫れていた。無言でチェスタートン家の人々はボソボソとした夕飯をとった。

 食後になるとドーラはレナルドの部屋で彼と話した。

「私はママにのところに行ってみるよ」ドーラはベッドに座ると、レナルドを見上げて切り出した。

「病院に?」

「そうよ、兄さんも行く?」

「やめとけ、病院まで辿たどり着けるわけないよ。今日だって年寄りへサンドイッチをとどけるまで、なんど検問を通ったとことか。すぐに捕まるに決まってるよ」

 社会の人々はつらいけれど外出禁止令に従っている。今日だって検問にいた警官がサンドイッチの配布を手伝ってくれた。それぐらいお互いが協力しあっているんだよ、とレナルドはドーラへ告げた。ドーラより年上の自分が、大人らしい意見を云えたと満足すると、座っているドーラへ背を向けた。パソコンから外したケーブルをゆっくりとたばねはじめた。

「冷たいのね」

 ドーラの言葉にレナルドは手を止めて振り返った。

「なんだって?」

「兄さんはママと一緒にいた時間が私より短いから、そう感じるんだわ」

「そんな言い方するなよ。俺も悲しくて辛いんだから」

「いいのよ、無理に悲しまなくても。でも、兄さんを産んだ本当の母親が同じ目に会ったら、どうする? 私の抑えられない気持ちがわかるはずよ」

「あの人がどこで死のうと、俺は知らないよ。自分を捨てた母親のことなんか」

 彼はいったん顔をそむけ、また、ドーラへ向きなおった。

「いいかい、俺のママは、お前と同じママ、ダリア・チェスタートンだよ。ママからいろんなことを教わり、俺を育ててくれた。その思い出はお前と同じさ」

「口では何とでも云えるわ。それだけの思いがあるのに、あなたはママの手を握ることさえしないわけ?」

「街に出て病気がうつったらどうするんだよ。みんなが心配するにきまっているだろ」

「パパと同じね。もっともらしい言い訳よ。ええ、うつってもいいわ。ママにこれから二度と会えずに一生後悔するぐらいなら、死んだ方がましよ。この家でママと血のつながっているのは私だけだもの」

 レナルドはため息をついてドーラを見つめた。ドーラは窓に近づき、雨がやんで日の落ちた街を眺めた。二人とも相手の言葉を待っていた。ドーラは少し落ち着いてきて、ゆっくり振り返って彼の机の上を見やった。そこにフェイスタオルがくしゃくしゃになって置かれていた。ドーラはそれを手に取っると、涙なのか鼻水なのかわからない湿り気を感じ取った。

「今晩、抜け出して病院へ行ってみるわ」ドーラはそう口にしようと思ったが言葉を飲み込んだ。

「別のタオルを持ってきてあげる」と、だけ云うと部屋をでていった。


 ドーラは自室へ閉じこもり、ジョアンとビデオチャットをはじめた。ジョアンは最近食べすぎたせいで太ったという話題で話しはじめた。

「あのさ、ママが死んじゃったよ」

 体重の話に耳を貸さないドーラから、そう告げられるとジョアンは言葉をうしなって目を見ひらいた。

「いつ? 昨日まで意識はちゃんとあったんでしょ」

「うん、集中治療室に入っていると聞いていたんだけど、しばらく治療したら、うちへ戻ってくるもんだと思っていたのに」

 ドーラは冷静にたんたんと気持ちを述べた。一方でジョアンは身近な人が流行り病で亡くなったことに驚いてしまったようだった。

 今まで、ドーラが落ち込んだときジョアンはいつも明るく励ましてくれた。だが今回さすがにそうもいかなかった。言葉少なにドーラの話を聞く側にまわった。ドーラのほうはずいぶん泣いた後だったので、気持ちの整理がついてきていたのか落ち着いてジョアンと話すことができた。

「お葬式は、どうするの?」

「やると思うけど、でも遺体はすぐに埋葬されるんだって。家族が会いに行くと病気がうつるから」

「ひどいな。一生、ママに会えないんでしょ」

「ジョアン、私ずっとそれを考えていたんだ。自分がこのまま年をとってもママの体の感触って覚えていられるんだろうかって。今までママと触れ合った感覚を記憶しておこうなんて思ったことなかったのに。まさかママが突然いなくなるなんて。もっとママのこと触っておけばよかったなって今になって思うの」

「でも、死体は硬くなるっていうし、生きていたころとは感触が違うんだよ」

「わかってる。でも硬いとか柔らかいとかじゃないんだ。ママの手を握りたいんだよ、感触を忘れずに覚えていたいんだよ」

 しばらく沈黙があった。

「ドーラ、ママに会いに行きたいの?」

 長い付き合いからドーラの性格をよく知っているジョアンは察したかのように云った。

「私、病院へ行こうと思う」

「街には憲兵や警官がうじゃうじゃいるんだよ。外出しても捕まるだけだって」ジョアンは呆れながらいった。

「こっそり行くよ、夜中に」

「うーん、気持ちはわかるけどな。でも、病気が蔓延まんえんしているんだよ。誰かに道を聞いただけで、うつされるかもしれないし」

「誰にも会うわけないよ」

「こっそり街をウロついているバカがいるかもしれないじゃん。夜中に」

 ドーラはこの思い付きに賛同してくれるとばかり思っていたジョアンが、意外にも反対を表明したことに少し腹が立った。いつもは、こっちがジョアンの無謀むぼうな計画につきあってあげているのに。

「それに、もしママが生きていたら、その行いを喜びはしないと思うけどな」

 ドーラはしばらく考え、口を開いた。

「それは、この世に生きる人にとっての良識かもしれない。でもね、あの世でもそれが通じるなんて誰にもわからないじゃない。人の死をいたむことが後回しにされるなんて、生きている人のおもいあがりよ!」

 普段はジョアンにつきき従うことの多いドーラだが、まれに自分の意見を譲らないことがある。そうなると、決意は石のようにかたくなることをジョアンは知っていた。ドーラの真剣さを見てとったジョアンは、気持ちを切り替えてドーラの味方をしようと決めた。どうしたら暗闇に乗じて病院へ行くことができるのか、二人はその道のりを話し合った。ジョアンは自宅で待機し、街の中をこっそり進むドーラへ何かためになるアドバイスをスマートフォンで送ることにした。そして話し合いの終わりに「神のご加護があらんことを」とドーラへ告げ、ビデオチャットを切った。

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