ウィルスとの攻防

 2番街の入り口でレナルドの運転する車はスピードを落とした。いつも立っている警官のチャーリーが停車するよう腕を上にあげたからだ。

「やあ、様子はどうだい?」車を停めながら窓を開けたレナルドはチャーリーに聞いた。

「ああ昨日と同じ。ここの住人はみんな家の中さ」

「病人は?」

「二人ほど感染者が出てな、救急車で運び出されたが」

「そうか。これから行くところでなきゃいいけど」

「ボランティアか。感心だな。いつもご苦労さん」

 チャーリーのねぎらいの言葉が通行の許可と判断したレナルドは車を出そうとした。すると見たことのない一人の警官がチャーリーのところへ近づいてきた。彼はチャーリーより体躯たいくのいい男だった。

「だれだ? 知り合いか?」その大柄な男はやってくるなりチャーリーに聞いた。

「レナルドといって、ボランティアさ。老人の家をまわってるんだ」

「ふうん、許可書は?」大柄な警官は魚のような瞳でレナルドの顔をのぞき込んで訪ねた。

 レナルドは街の警官がチャーリーみたいな顔見知りばかりでないことを心得ていた。こういう時のために許可書をいつも携帯していた。それがないと捕まって罰金を払う目にあうからだ。

 戒厳令が敷かれているどこかの異国では警察官だけでなく警備員も動員して検問を実施しているらしい。先週、その警備員が無実のトラック運転手を射殺してしまい、逮捕されたと、ネットのニュースになっていた。この街にそんな警官はいないだろうが、いま時分、街を堂々と移動するということは予期せぬ誤解によって、トラブルに巻き込まれるような気がしてならなかった。

「保健所のサインがないな。書類としてよくないぞ、これは」体躯のいい警官は低い声の調子で言った。

「そう言われてもなぁ、この書類は市役所から発行されているんだ。保健所のサインがないのは役所の中で手続きに問題があるんでしょう」レナルドは反論した。

「ここは他の地区から応援の警官が来ている。この町の警官なら大目に見てもらえるだろうが、他の地区の警官だったらタダじゃすまないぜ」大男は応じた。

「どうしろと?」

「サインをもらってから来ることだな」

「じゃぁ、これから、お年寄りに配るサンドイッチは、どうすればいいのさ? 腐っちまうよ」

「どうしよもないな、ふうむ...よし、私が配ってやろう」

「えっ」レナルドにとって意外な言葉だった。

「後ろのハッチを開けてくれ、荷物はどこへ配るんだ?」

「ん、ああ、このリストに住所があるよ」

 警官はレナルドの書類を受け取ると、車の後ろに回って開いたハッチに積まれたサンドイッチを下ろし始めた。

 レナルドは作業する彼の横顔を眺めた。左のほほから首のほうにかけて何かで切られたような古傷があるのに気づいた。それは、マスクで隠れてほとんど見えないが、おそらく口元までその傷が伸びているのではないかと思わせた。まるで切れ味のよくない刃物で切られたか、事故か何かでついたのようだった。

 レナルドは荷物の運び方について注意すべき点があったので、作業をしている大男の警官の脇について教えて聞かせた。警官は面倒がらずにレナルドの話に耳を傾け、うんうんとうなずいた。レナルドは云いたいことが終わるとシートに戻って車のバックミラーから彼を見た。職務に忠実すぎる頭の固い警官かと最初は思ったが、清廉な印象を抱いた。そして、この町の警官にしては珍しく信頼できそうに見えた。


 そのころ、夕日が差し込むチェスタートン家でドーラはデレクが電話をしている姿を見つめていた。デレクが電話を切ると妻ダリアの容体が悪化していることをドーラに告げた。高熱が下がらず、呼吸困難な状態に陥り、集中治療室にはいっているとの事だった。


 市長のドウェイン・オールドカースルは、記者会見が終わってから一息つく暇もなく、内務省の高官へ会いに行くために公用車へと乗り込んだ。蔓延まんえんしている流行り病の感染者数と、病床数の残り数が車の中で秘書官から報告された。ため息をついて座席へ食い込むようにもたれ込むと、外を眺めた。

「内務省の外出禁止令には従わなければなりませんが、働けない市民は困窮しています。家賃すら払えないと家主に訴えて暴動がおきているとか」まじめそうな秘書は書類を仕舞いながら苦い顔でいった。

「バスや地下鉄に人は乗っているか?」

ドウェインは秘書へ振り返った。

「ええ、ほとんど人は乗っていません。そういえば、この前の検討会で発案された、スマートフォンのアプリで地下鉄の入場を規制する仕組みは導入を進めているようです」

「予約して地下鉄に乗るのか」

「そうです」

「ふう、完全に止めることは難しいのかな。地下鉄を」

「完全には難しいでしょうね。ある程度は動かさないと」

 車が裁判所の前を通った。ドウェインは市長になる前の自らの職業を思い出した。弁護士だったドウェインは何度となくこの裁判所で弁護を振るったものだった。それから財政再建を訴え議員として初当選してから3回当選し、3年前に市長として選挙に勝った。ところが、流行り病がこの街を襲ってから仕事の内容は一変した。いままで市の税制やら予算の使い道やらを議会と調整していた仕事とは打って変わり、市内の病院スタッフを増員させるために他の市に対し要請をだしたり、医療機器の増強を支援するための予算をいくら確保するかといった検討に追われていた。

「まさに、戦争状態です」ドウェインはさっき開かれた会見の際、記者たちの前で訴えた。

「ここ数十年、人類は戦争やテロに対して様々な政治的判断をしてきました。しかし、防疫に関する政策に対してはだいぶ手抜かりがあったことを認めなければなりません」

 車に揺られドウェインは目をつぶったまま、さきほど自分が出した声明を思い起こしていた。すると隣に座る秘書は話し始めた。

「火葬場では多くの死体を焼く暇がなく、死体であふれかえり、死臭がするそうです」ため息まじりでさらに続けた。

「SNSでは、流行り病で亡くなった遺骸に家族が会うこともできないなんて、『この国はなんていう不徳な法律をもっているのか!」と、驚きと不満の声が上がっています」

秘書はサクサクと書類をめくり、種々の規制に対する世間の不満をあれこれ並べ立てた。

「ここは法治ほうち国家なんだ、今のところ仕方ないさ」

「法律を変える方向で動きますか?すぐにでも」と秘書。

「すぐには無理だよ、君。今のままのほうが、まだマシかもしれないじゃないか。むしろ我々は、これ以上感染者を増やさないように、どうすべきかを考えるべきだよ」ドウェインはそう言って、また外へ顔を向けた。

 ドウェインは内務省へ行くには時間がまだ早く、やりたい用事を思い出したので、市庁舎へ行くよう運転手に告げた。

 市庁舎の玄関ロビーでは記者たち数人が待機していた。ドウェインへ近づけないようさくが設けられていたが、彼らは市長へ向けて声をかけた。

「市長! 医療スタッフ確保はメドがつきそうですか?」

「マスクの着用を法律化する予定はあるのですか?」

「今回の流行り病をレベル1に分類することに、無理があるのではないですか?」

ドウェインは立ち止まって答えた。

「今のところ感染力は最高レベル1に相当すると専門家から聞いている。分類は変えられないよ」

「しかし、感染しても、まったく症状の出ない人もいるのですから、レベル1は高すぎませんか?レベル1では遺骸がすぐ火葬場へと送られるので、家族は死者に最後の別れを言うこともできないと嘆いていますが」

「映像配信をもちいて、離れた所にいる遺族が死者に対し、最後の別れを告げられるようにならないか、検討はしているよ」

「それは、いつ頃実現しそうですか?」

「わからない、今は感染を拡げないことを最優先にしているからね。そのあたりは市民の皆さんにもご理解いただきたい」

「この流行り病をレベル2に下げるよう法律を変えることも考えていますか?」

「それはまだないよ、とにかくまだウィルスに関することはまだよくわかっていないんだから」ドウェインは記者の方へ向きなおって語気を強めた。

「そうだな、いまの我々の窮状きゅうじょうを例えるなら、外科医がまさに手術をしている最中だと思ってほしい。法律を変えようとするのは、手術中に手術器具のデザインを変えようとするのに等しいよ。今の我々は手術が終わるまで、手持ちの器具をつかってやり遂げるしかないんだ」

「その手術はいつ終わりますか?」

「この未知のウィルスについて、詳しい知見ちけんを得たときだ」

ドウェインは神妙な面持ちで答えた。マスコミに向けて「そのあとは、ワクチンが出来上がり、無償で市民に提供するようになっているだろうよ」と演説を続けたかったが、急いでいたので口を閉ざし、記者たちの前を歩き去っていった。


 ドーラの住む街は日曜日は朝から雨がふっていた。もうすぐお昼になろうとしているころ、外で通り過ぎる救急車の乾いたサイレンがした。それが遠のくと界隈かいわいは静けさを取り戻した。

 ドーラはスマートフォンでゲームをしていた。レナルドはボランティアの仕事を終えて帰ってきた。今は部屋で仕事をしているらしいが、そこから物音が聞こえなかった。

 ドーラは負けじと息を殺して音を出さないようにしていた。家族に対して部屋で何かをしているかのように思われたかった。「外出のままならない今が何かに打ち込むいい機会じゃないか」と、兄のレナルドから言われた。確かにジョアンはギターを始めたし、レナルドもお年寄りの家に食べ物を運ぶボランティアに加わった。ドーラは自分も何か始められなければとあせっていた。でも、打ち込むものが見つからず、とりあえず自分の部屋でひっそりと暮らすことにした。静かにしていればドーラも何かに打ち込んでいるのかなと、みんなが勝手に思ってくれるだろうと考えていた。

 外出禁止令が出たころ、体験したことのない日常を家族は面白がった。最初は部屋の掃除をしたり、TVや動画サイトのアニメや漫画など見まくった。父親がビデオゴーグルを買ってくれてゲームをやり始めた。でも、1カ月もすると、そうして過ごすことが退屈に感じてくるようになった。レナルドが読み終えた小説『ペスト』を借りて、読み始めたが、途中で放ってしまった。

 そして、ドーラは自分にできることが流行り病に感染しないよう、注意深く過ごすことぐらいしかないことを思い出し、苛立っていた。

 世のアーティストたちは、外出禁止令が敷かれたばかりのころSNSで「この危機を頑張って乗り越えましょう」と清々しい笑顔で語り、音楽、イラスト、先進的なアート作品、詩などを世の中にアップロードしていった。でも、しばらくするとそういったことも少なくなり、彼らの活動が一部のファンだけが知るひっそりとした催し物にとどまるようになった。たまに大きなライブが開催されたが、観客が集団感染して、周囲の人々にまで病気を広めた挙句、大勢が入院したとニュースで報じられ、主催者が世間からSNSを通して非難されたりした。

 ドーラがやることもなく窓から身を乗り出して、雨の降るわびしい通りを見下ろしていると、デレクが沈痛な面持ちで部屋に入って来た。

「ダリアが...ママが死んだよ」

ドーラの顔はまだ窓の外に突き出していて聞き取れずにいたので、頭を室内に引っ込めてから「なあに?」とデレクへ聞き返した。

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