25

── 十年前 ──


飛んでいた。

私は『目的地』を目指し、ひたすら飛んでいた。

何日飛んでいたかも分からない。

体力など既に限界を超えていて。

それでも、ただただ、『そこにある光』を求めた。


フワリ……フワリ……フワ……


そして、どこかの山に降り立つ。

いや、落ちた。

もう、一歩も進めない。

カー! カー! カーッ!

ッ……こんな時、鳥が三羽も……でも、逃げる体力なんて……


「こらこらこらー!」


え……?

誰かが……鳥達を追い払ってくれた……?


「めっ! からすさん、ちっちゃいこいぢめちゃめっ、よ!」


小さな子供が、鳥に怒っている。

カーカーと困惑する鳥達。


「──知朱ちゃん。野生の絶対的なルールは弱肉強食。弱き者が強き者に喰らわれるのは世の理なのですわよ」

「へっ! なら、ぼくがからすにかったから、えものはぼくのじゆうってことだね!」

「減らず口を……しかし、まぁ獲物の横取りも野生下ではよくある事ですわね」

「さてさて。いぢめられてたこは……おや? くもだ! あおい!」

「ふむ。これはコバルトブルータランチュラの子供……でしょうか? 日本には居ない種類ですわ」

「よしよし、もーだいじょうぶだよー」


指で摘まれ、手の平にのせられた。

子供と目が合う。


輝く金色の髪 血のように赤い瞳 溢れる生命力 ──


瞬間、本能が理解した。

この光を求めて、わたしは飛んで来たのだ、と。


「んー? なんかふらふらしてるし、けなみもよくないしで、げんきないー?」

「ですわね。ただの虫ケラであるならば長くは無いでしょうが」

「えー! しんじゃだめ! 『げんきになーれ』!」


さすさすと、私の背中を撫でる子供。

すると──失われていた筈の体力が、みるみる戻って来て……

すぐに、飛ぶ直前の……いや、それ以上の力が、私の中に満ちる。


「あっ! なんかつやつやになったよ! よかったー!」

「……ええ。そのようですわね」

「ならつぎはごはんだ! おばぁ! くもさんあずかって!」

「ええ」

「たしか、りゅっくに(ごそごそ)んー、ぜりーとかちょこ、たべるかなー?」


背負っていたモノを地面に下ろし、中を漁りだす子供。

言葉は解らないが、私に何か与えようとしているらしい。


「──さて」


ゾクリ

毛が逆立つ。


「孫との散歩という至福のひと時に、まさか横槍を入れられるとは。それに、良くもまぁ、わたくしの前で孫を誑かせましたわね」


本能が、命の危機を叫んでいた。


「知朱ちゃんという輝きに、誘蛾灯のごとく引き寄せられた虫ケラ。それが、本当にただの虫ケラだったなら手で払ってお仕舞いでしたが」


先ほどまでの疲労や鳥の危機なんて、何でもないと思えるほどの『死の気配』。

圧倒的な、捕食者としての頂点。


「貴方、力(妖力)を持っていますわね。自覚は無いようですが。その力を手にした経緯も憶えては無いでしょう?」


私の命は今、文字通り、私を手に載せている彼女に握られていた。


「その力のお陰で、貴方は遠くから海を渡り、この国へとやって来れたのでしょう。力があるとは言っても、まだまだ脆弱。よくぞ、と褒めてやりたい所ですわ」


女性は、ふぅ……と息を吐き、


「貴方は運が良い。その心意気に免じて、このまま去る事を赦します。では」


──え?


女性は屈み、地面に手の甲を添える。

さっさと手から降りろ、という意味だろう。

先程から、言葉の意味は分からないのに、彼女の言葉は、本能で解った。

彼女の指示に従う……それは、賢い選択だ。

けれど。


「……その力がある今、言葉の意味が理解出来ぬほど阿保でも、死への恐怖が無いほど愚者でも無いでしょうに」


私は目で訴えた。

臆してここから離れれば、死ぬより後悔する。

このまま、ただ生き永らえる事に、一切の価値などない。


「ほぅ。わたくしを虚勢以外で睨むような軽骨など、本当に久し振りに見ます。どうやらその瞳、例え胴を引きちぎっても濁らせるのは無理そうですわね」


瞳は逸らさない。


「全く……同じ蜘蛛とは、どんな因果でしょう」


彼女は立ち上がり、


「いいです? 貴方がこれから進もうする道は、地獄など生温く思える世界です。大人しく虫ケラとして生きていた方がどれだけ楽か。──それでも、『彼の側』に居たいと?」


問うて来た『覚悟』に、私は迷わず頷く。


「そう。ならば」

「おばぁー、そのこ、とおはなししてるのー?」

「……知朱ちゃん。ええ、まぁ、そんな所です」

「くもとおはなしするなんて、いよいよぼけてきたねー。あっ、それより、そのこに『えーよーほきゅー』!」


チアキ と呼ばれていた子供は、手に持っていたモノからペリペリも音を鳴らして、


「ばーん! 【ますかっとあじのこんにゃくぜりー】!」

「……蜘蛛が食べるには『今はまだ』難しいと思いますわよ」

「しってるわい! だからー(ちゅるんぱくっ)もごもご」


チアキは、手に持っていたモノを自ら口に入れ、咀嚼し、

むんず 私を掴んで チュルルルル── 無理矢理口に押し込んで来た。

ドゥルドゥルとした甘味が流れて来る。


「はぁ。この子ったら」


……これは。

確かに、地獄だ。

生き地獄。

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