心温まる思い出の味

ブリル・バーナード

心温まる思い出の味


「そろそろ今年最後の夕食にしましょうか」


 妻の母、つまりオレにとって義母にあたる女性が、よいしょ、と炬燵こたつから立ち上がった。同時に、義父も立ち上がって先に台所へと無言で消えていく。

 今日は大晦日。オレと妻の里美さとみと娘の里音さとねは、妻の実家にお邪魔していた。

 年末年始は妻の実家で過ごすのが毎年恒例の行事なのである。


「あ、自分も手伝います」


 義実家なので、何か手伝わないといけない義務感がある。このままじっと座っていたら心証を悪くしそうだ。何か働かないと。

 10年くらい通っているが、未だに義実家には慣れない。結婚の挨拶に来た時のような緊張感がある。


「私も手伝う!」

「いいのよ。隆弘たかひろさんも里音ちゃんも座ってて」


 立ち上がりかけたオレと里音をニコニコ笑顔で制止するお義母さん。

 なんかこう、逆らえない雰囲気。

 無言の圧力というわけではなくて、おっとり優しくてやる気を奪う感じ。


「娘夫婦と孫をおもてなしするのがわたしとお父さんの楽しみなの。わたしたちから楽しみを奪わないで。ね?」


 そう言われたら何も言い返せない。

 本当に何もしなくていいのか迷って腰を浮かせて固まるオレに、最もだらけてやる気皆無の妻が、炬燵を堪能しながらヒラヒラと手を振った。


「こういうのはジジババに任せていればいいの。どうせ手伝おうと思ってもやることないんだし」

「あんたは手伝いなさい」

「なぁ~んでよぉ~。箸を人数分持ってくるくらいでしょ? ほら、お父さんが持ってきた」

「……ん? どうした?」


 箸を持ってきたお義父さんが話についていけずキョトンとする。ヤのつく職業と見間違えるほど厳格そうな見た目に反して、少し可愛らしい反応だ。


「お父さん。お母さんが私に手伝えって言うの。酷いと思わない!?」


 絶対に手伝わない、という確固とした決意を感じる妻が父親に泣きつく。

 お義父さんはテーブルに突っ伏してだらけきった娘を一瞥し、ボソッと呟いた。


「……何もしなくていいぞ、里美。婚約記念日くらい隆弘君とイチャイチャしとけ」

「婚約記念日!? なにそれ! 私、初耳!」


 即座に食いつく恋バナ大好き小学六年生。里音がキラッキラした瞳で大人たちを見渡す。

 あちゃー。ついに知られてしまったか。隠していたんだけどなぁ。


「勝手にバラさないでよ」

「あー、すまん。言ってなかったのか」

「今日がパパとママの婚約記念日なの!? ねぇねぇ! ねぇってば!」


 揺らすな揺らすな。一番近くにいるのがオレだからって揺さぶらないでくれ。目が回る。


「パパ!」

「はいはい。そうだよ。大晦日はパパがママにプロポーズした日なんだ」

「詳しく!」

「そう言われても、面白い話は何にもないぞ」

「それは私が判断するから!」


 本当に面白くないんだけどなぁ。

 妻に、どうする、と視線を向けると、仕方がないわね、と彼女は諦めて肩をすくめた。

 許可が出てしまった……。


「おねがいパパ」


 うっ! 娘に上目遣いでおねだりされると父親オレは弱いんだ。

 愛する娘の興味津々の眼差しを一身に受け、オレは15年ほど前の大晦日の夜を思い出す。


「クリスマスにプロポーズをすることができなかったパパは……」

「――ちょっと待って」


 話し始めてすぐに中断させられた。

 一体どうしたんだい?


「ある意味もう既に面白いんだけど! どうしてパパはクリスマスにプロポーズをしなかったの!?」

「数日前にインフルエンザにかかっちゃって」

「……オッケー。わかった。パパらしいね」


 パパらしい、とはどういうことかな? オレのことをどう思っているのか一度じっくりお話しする必要がありそうだ。情報の共有はとても大事。

 頼りないと思われていたら……立ち直れるかな、オレ。

 気を取り直して、


「クリスマスにプロポーズできなかったパパは、大晦日の夜にママにプロポーズをしました。『結婚しよう』と」

「うんうん!」

「そしたらママはカップそばを啜りながらあっさり『いいよ』って……」

「うん、ちょっと待とうか」


 頭が痛むのか、こめかみを押さえて、またもや娘の里音が話を制止する。


「どうしてママはカップそばを啜っているの!?」


 キッと睨まれた妻は平然と告げる。


「だって食事中にプロポーズされたんだもん」

「『だもん』じゃなーい! パパ! どうして食事中にプロポーズをしたの!? もっとロマンティックな雰囲気の時にしようとは思わなかったの!?」

「だって、美味しそうにカップそばを食べる里美さんを見ていたら、無意識に口走っちゃって、つい」

「無意識に口走ったのなら仕方がないね……って、なるかーい!」


 愛娘の鋭いツッコミが炸裂。

 まあ、あの日のことを思い返すと里音の言いたいこともよくわかる。実際、あの時は自分でも驚いたくらいだ。

 何気ない食事の時間でポロッと言葉が漏れて、今何を言ったんだ、と混乱している間にあっさりとプロポーズが了承されて……。

 できることなら過去をやり直したいと思っている。オレだってロマンティックな雰囲気の時にプロポーズをしたかったさ。


「で、その後は?」

「特にはないかな」

「二人で晩酌してたらいつの間にか年越ししていたくらいよ」

「えぇー! つまんなーい!」


 だから言っただろう? 面白くないって。


「前に話してくれたママが高校の卒業式にパパに渡したラブレターの話のほうが面白かった」

「ぐっ! その話は忘れなさい。ママの黒歴史だから……」


 心を抉られた妻は、テーブルに突っ伏して吐血する。

 彼女が若気の至りで書いたラブレターは、20年経過した今でも大切に保存してある。あのラブレターのおかげでオレは里美さんと結婚できたようなものだから。


「はーい。みんなー。毎年恒例のカップ麺の時間よー」


 良いタイミングで義両親が台所から戻ってきた。お義父さんとお義母さんがお湯と一緒に持ってきたのは、有名なカップ麺『赤いきつねうどん』と『緑のたぬき天そば』である。

 年越しそばならぬ年越しカップ麺。それが妻の実家の慣例なのだ。

 理由としては、『一年の最後の日まで料理をしたくない』というのと、シンプルに『美味しいから』らしい。

 お正月は豪勢な料理が並ぶので、若さが失われつつある中年の胃には『赤いきつねうどん』と『緑のたぬき天そば』くらいがちょうどいい。美味しいし。


「私お蕎麦がいい!」


 里音が真っ先に『緑のたぬき天そば』を選ぶ。

 大人組も好きなものを選んで、オレとお義父さんの男性陣が『赤いきつねうどん』で、お義母さんと妻の里美は『緑のたぬき天そば』となった。


「あ、でも、天ぷらよりも油揚げが食べたーい」

「じゃあ、パパのと交換するか?」

「交渉成立!」


 がっちりと握手して天ぷらと油揚げを交換。『きつねそば』と『たぬきうどん』の完成だ。

 現在小学6年生の娘は、一体いつまで父親のオレとこのようなことをしてくれるのだろうか?

 もしかしたら、今年が最後かもしれない。

 来年になって『キモい』とか言われたらどうしよう。泣くぞオレは。


「プッ! うふふふふっ!」


 突如笑い出したお義母さんに全員の視線が集まった。注目が集まってもなお楽しそうに笑い続けている。


「里美。あんた本当に素敵な人と結婚したわね」

「……そうよ。それがどうかしたの?」


 照れ隠しでムスッとした娘をビシバシ叩く母親。


「お父さんと似ている人を選ぶなんてねぇ! あはははは!」


 オレは思わずお義父さんと視線が合う。そして、お互いに気恥ずかしくて、会釈をして頬や頭をポリポリ。

 そんなに似ているだろうか?


「里音ちゃんは里美にそっくり。親子ねぇ。里美も小さい頃はお父さんと具を交換して『きつねそば』にしてたのよ。思春期になってしなくなったけど、その時のお父さんの落ち込みようったら! うふふふふ!」


 突然の妻の暴露に、うるさい、とお義父さんは小さく呟いて、耳が赤くなった顔をすっと逸らした。


「今も毎年必ず『赤いきつねうどん』を選ぶのよ、お父さんは。本当は蕎麦が大好きなのに」

「……うどんを食べたい気分なだけだ」


 素直じゃないんだから、とお義母さんは笑ってカップにお湯を注いでいく。

 お義父さんはツンデレなのかもしれない。

 数分間待って、全員で、いただきます、と挨拶をして食べ始める。今年最後の食事だ。

 すると唐突に、


「――なぁ、里美」

「ん? なに?」


 父から話しかけられて妻が顔を上げる。

 お義父さんは恥ずかしそうにそっぽを向きながら数秒沈黙し、


「……油揚げ、食うか?」


 ぶっきらぼうにそう言って、食べていない油揚げを差し出した。

 一瞬キョトンとして逡巡した彼女は、顔を赤くして小さく頷く。


「……食べる。天ぷらあげる。まだ入れてないから」

「おう」


 照れくさそうに父と娘は無言で具を交換し、麺を啜る。

 そのほのぼのした様子をニヤニヤ笑って眺めるオレたち三人。なんとも心温まる光景だった。


「ん。やっぱりこの味ね。と同じ……」


 妻は『きつねそば』に舌鼓を打って、懐かしそうに顔をほころばせる。


? もしかして、パパにプロポーズされたときもこの『きつねそば』だった?」

「ぐふっ! ケホッケホッ! ち、違うわよ!」

「パパ。どうなの?」

「ママの反応通りです」

「ですよねー。なるほど。これがママの思い出の味かぁ」


 母親と同じ『きつねそば』を食べて、里音はゆっくりと味わって飲み込む。

 綺麗な笑顔の花が咲く。

 こうして実家の味(?)が受け継がれていくのだろう。


「だ、だから違うの! 違うのよ、里音!」


 真っ赤な顔で否定する妻がおかしくて、家族全員が一斉に吹き出す。

 違うの、と叫ぶ妻も、最終的には笑いの輪に加わった。

 一年の最後の日を笑い声が絶えない温かな家族で囲う食卓。

 懐かしい思い出の味を啜りながら、オレはなぜか確信した。


 来年も良い一年を過ごせるのだろう、と――




<完結>








<後書き>

お読みいただきありがとうございました。

黒歴史であるラブレターの話はこちらです。


『二十年越しのラブレター』

https://kakuyomu.jp/works/16816700427287837375

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