偽教授接球杯Story-4

 部屋の奥まった位置に、鹿の角、駱駝の頭、兎の眼、牛の口、魚の鱗、蛇の体、貝の腹、虎の掌、鷲の爪、そして蝙蝠の羽を持つ、巨大な竜がとぐろを巻いている。


「私のねぐらへようこそ、お嬢さん。無断でねぐらに立ち入ったことを怒ってなどいないよ。こんな夜更けに困っている女性を嵐の吹き付ける表に追い出すほど野暮ではないのでね」


 よく言う。その嵐は、お前が起こしているのだろうに。

 吸血鬼の眷属であるわたしが言うのもなんだが、伝承にしか聞いたことのない怪物を目の前にして、頭に浮かんだ軽口を返せるほどの余裕はなかった。


「何が目的だ……! 我々をどうするつもりなのだ……」


「おや。せっかく用意したご馳走を、召し上がっては貰えていない様子だね。私の目的が知りたいそうだが、ふむ。竜の血を浴びたものがどうなるか、聞いたことがないかね?」


 ないはずがない。吸血鬼がにんにくを嫌うのと同じほどに、あまりに有名な話だ。

 竜の血を浴びた英雄は、不死身の肉体を手に入れる。 


 だがことわたしたちの場合、たとえ不死身になれたとして、英雄になることはあるはずもない。吸血鬼にとっての力の根源たる血液を、生きた他の吸血鬼から取り入れるということは、その血の持ち主による支配を受けるということを意味するのだから。


 出来上がるのは不死身の操り人形だ。

 奴の目的は、我々を殺すことではなく、我々を駒として手に入れること。

 そしてその先にあるのは、自らを従僕に貶めた吸血鬼への復讐といったところだろうか。


 そこまで考えたところで、気が付いた。

 竜が自らを従僕に貶めた吸血鬼を憎んでいるであろう、という予想が背後の部下たちにも当てはまることにだ。

 元人間のレッサー・ヴァンパイアである彼らは、自らを吸血鬼化した吸血鬼に、強い恨みを持っている場合が多い。

 産まれてこの方太陽というものを知らぬ我々ヴァンピールと違い、陽の光というものに強い望郷の念を抱いているのだ。


 主人たる吸血鬼から離れ、独立して行動することの多い我々のような部隊において、部隊内のレッサー・ヴァンパイアとヴァンピールの比率は、レッサー・ヴァンパイアによる反乱を防ぐため何があってもヴァンピールが制圧できる力関係になるよう調整されている。


 だがその「何があっても」に吸血鬼化した竜からの寝返りの打診が含まれているかはかなり疑わしいところだ。部下たちが竜血によりどの程度力を増すかは分からないが、ただの人間とレッサー・ヴァンパイアの力の差を考えれば、楽観的な予想は出来ない。

 しかもそれは、目の前の竜が一切の手出しをしないという都合の良いことこの上ない前提の上での話である。


 部下が裏切れば勝算はわからない。

 時間切れでも死、裏切られた上で目の前の竜が手を出せば死。

 仮に部下たちをまとめ上げて離反を防ぎ、目の前の竜を打ち倒したとして、迫りくる夜明けという問題は何一つ解決しない。

 絶体絶命の状況というほかなかった。


「この建物は全ての部屋の全ての場所に、夜明けの陽の光が当たるよう設計されていてな。安心していい。竜隣は雲越しの陽光程度で灰になるほどやわではない」


 表面上は優しげな竜の言葉に、背後で押し殺されたざわめきが起きるのを感じる。

 レッサー・ヴァンパイアたちからすれば、単に支配者が変わるだけだ。彼らには主人に対する忠誠が刷り込まれているが、それとて生命の危機に瀕しては破られることも多いと聞く。


「さて、どうする? できれば返事は急いでほしいね。君たちの返事が早ければ、私たちは夜明けより前に別のねぐらに移動して、陽の当たらない場所で朝を迎えることもできるのだから」


 竜の首筋を睨む。

 伝承が正しければ、あそこに竜の弱点である、逆鱗があるはずだ。

 奴が吸血鬼としての再生能力も持ち合わせているとしたら、致命的な弱点を突いたところで倒せるとは思えない。

 我々が心臓に風穴を開けられても動き続けられるのだから、首の動脈を掻き切られたとして、それが致命打になると考えるのはあまりに愚かだ。


 だが竜隣が陽光を弾くというなら、あれを剥がしてその内側を陽光に晒せば、奴を殺すことはできるに違いない。しかしそれは、こちらの確実な死をも意味する。


 目の前の竜も、背後の部下も、夜明けまで待ってくれるとは思えなかった。

 今、行動を起こさなければ、行きつくところは最悪の結果だ。

 目いっぱいの虚勢を張って、わたしは大きく深呼吸してから口を開く。

 

「あー、実に魅力的な提案だ。魅力的な提案なんだが。ついさっき会ったばかりの男の誘いに乗るってのは、ちょっとどうかと思ってね。わたしたちはもう少し、お互いのことを知るべきだ。それであんたにひとつ聞きたいことがある。いいかな?」


 その圧倒的な威圧感に当てられて、わたしは重大な事実を、今の今まで完全に失念してしまっていた。


 奴が今現在も、大量の血を流し続けている、ということを。

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