1章 「発芽」
第1話 「深東京仮想首都圏」
〜♪
どこかで聞き覚えのある耳障りな音楽が流れている。
手放していた意識を掴む。少しずつ瞼を上げ、視覚を取り戻す。
そして僕は覚醒した。
「(…どこだ…ここ…)」
僕は何処かの街の大通りに立っていた。
辺りは夜にも関わらず比較的明るかった。その原因は、大通りに面して並んでいるビルの外壁に設置されている夥しい数のネオンサインが、過剰に存在を主張していたからだ。
ふと街並みに既視感を覚え、記憶手繰り寄せると、目の前の光景と記憶が重なった。
「(……秋葉原?)」
そう、その場所は、秋葉原に全く同じと言っていいほど酷似していた。夜の街を照らすネオンサイン、そして、
全く人がいないことを除けば。
何故そんな街の大通りで立っていたのか、そもそも、秋葉原に似ているがここが何処なのか、全くわからない。取り敢えず、動かないことには何も始まらないと思い、僕は大通り沿いに駅に向かって歩き始めた。
頭の中で記憶のページを遡ったが、探せど答えは見つからない。すると、ある異変が起こる。大通り沿いに歩いていた筈なのに、いつの間にか僕はビルの合間の狭い袋小路に立っていた。
その袋小路には、今にもビルが動き出して僕を押し潰してきそうな、そんな不気味さがあった。僕は引き返そうと振り返る。すると、
目の前に人が立っていたのだ。正確には、人の形をした黒い影の塊のようなものが、そこに存在していた。
「…ho;hおgoejはrugij:puwe9tujvnisoefpwにhfoiりwhgoかっ84t0jkjw…」
その黒い影は僕に何かを喋り掛けてきた。
僕の脳は、今までにない程の警報を鳴らしていた。しかし、逃げようにも逃げ道が無い。
いや、逃げ道があったとしても、恐怖で身体は動かないだろう。
得体の知れない不気味な存在が突然目の前に現れて自分に喋りかけてくる。そんな状況で恐怖しない人間などいるはずが無い。
既に思考は完全に止まっていた。
黒い影は腕を振り上げ、僕に目掛けて振り下ろそうとした。
その視覚情報だけが僕の脳内を駆け巡った。
次の瞬間、なんの前触れも無く、火薬が破裂する音がビルの合間に響いたと共に、その黒い影は額に穴が空き、倒れた。そして夜の闇に溶けていった。
「危なかった…、君、大丈夫?」
今度は、大学生くらいの若い男性が拳銃を持って立っていた。
「新しい住人だね、ついてきて。」
男性はそう言って歩き始めた。
この男性の喋り方には、誰もが親近感を覚えて信用してしまいそうな魔力のようなものを感じる。正直怪しいが、今僕一人で行動するのは危険だ。武器を持っていないが故に、今みたいに再び外敵に襲われた時、僕には自衛手段がない。
ついて行って危なくなったら逃げよう。そんなことを考えながら男性の後に続く。
すると、男性は自己紹介を始めた。
「君、名前は?僕は林堂 優琉(りんどう すぐる)、新しい住人を居住区まで案内する案内人を務めてる。名前の呼び方は好きにして全然いいよ。」
「いつもだったら新しい人を迎えに行くのにもう少し時間が掛かるんだけど、今日は偶々秋葉原に用があってね。欲しい部品とが―」
「(…この人よく喋るな…)」
悪気はないのだろう、それにしても自己紹介させる気が感じられないマシンガントークを横目に、話すタイミングを伺っていると、
「あ、ごめん、僕が話してたら自己紹介できないよね。」
気付いてもらえて良かったと安心しつつ、僕も自己紹介をする。
「蒼花 音流(そうか ねる)って言います。」
「音流君ね…、うん、これからよろしく。」
「それじゃ、色々知りたいこともあるだろうし、一つ一つ説明していくね。」
そう言って、林堂さんはこの世界のことを教えてくれた。
知れたことをまとめると、ここは、『深東京仮想首都圏』、略称『深東京』と呼称されている現実の東京を模して造られたもう一つの東京。住人は、自身を合わせて21人いて、池袋にあるマンションに1人を除いた全員が住んでいる。
そして、先程の黒い影は『消滅(イレーズ)』と呼ばれている謎の生命体。様々なタイプが存在するが、全種に共通する特徴として、住人を殺害する事に執着している様な行動を取るという。
そういった敵対する生命体が存在する為か、この世界を訪れた住人には、自身の『心』を武器として具現化出来る力があるらしい。その話を聞いて、林堂さんが拳銃を携帯していたのも納得出来た。
池袋へ向かう道程、街を見渡すと意外にも都市全体の電力は動いており、駅では誰もいないにもかかわらず、しっかりとアナウンスが流れ、時間通りに電車が来る。無論、その電車も無人だ。働いている人がいないのに、駅以外にも都市の全てが正常に動いていたのだ。
まるで、都市が人間はもう用済みだと言っている様だった。
僕達は、秋葉原から池袋へ行くために電車に乗った。
電車の外はどこもかしこもネオンサインが様々な光を放っており、それがビルの外壁を照らし、幻想的な光景を創り出していた。
「僕、電車から見るこの景色好きなんだよね。」
突然、林堂さんはそう言った。僕に話し掛けているつもりなのだろう。しかし、それはただの独白にしか聞こえなかった。まるで、自身に言い聞かせている様な、そんな気がした。
「僕もこの景色、好きです。かなり。」
林堂さんは、返事をした僕を不思議そうに見つめていた。
その会話を最後に、僕たちはただ電車に揺られるばかりで、車内に響く電車が走る音と街から聞こえてくる喧騒だけが、時が流れている証明だった。
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電車を降り少し歩くと、住民が住んでいると林堂さんが言っていた池袋のと或るマンションに着いた。
「ここが僕たちの住んでるマンションだよ、いい雰囲気でしょ?」
「確かに、いい雰囲気ですね。」
正直、普通のマンションにしか見えないけど。と思いながらも一応林堂さんに賛同しておく。ここで角を立てても何にもならない。何よりそうする理由もない。
「それじゃあ中で住人の登録をしようか。」
「ついてきて。」と言って、林堂さんはマンションに入っていった。僕も後に続いてマンション内に足を踏み入れる。
林堂さんは、管理人室に僕を招き入れた。部屋は狭かった。いや、本来はもっと広いのだろうが、狭く感じた。
何故なら、何の目的で使われるのか分からない機械や、オフィスに置いてある様なコピー機等の機械、作業用の道具が置かれているラック、そういった物が部屋を圧迫していたからだ。その中でも、一際我が物顔でこの空間を占領していたのは、部屋の広さにそぐわない大きさの資料棚だ。
そんな部屋を見回していると、林堂さんは慣れた手つきで資料の用意を済ませ、僕に声を掛けてきた。
「こんな狭い部屋に案内しちゃってごめんね、住人の情報を把握して報告書を書かなきゃいけないから…。」
「僕は全然大丈夫ですよ。」
僕がそう言うと、林堂さんは自身の横に椅子を用意して、「座って。」と少し申し訳なさそうに言った。
僕は林堂さんの隣に座って、質問に淡々と答えていった。質問は、名前、年齢、性別等といたって普通で、ほんの少し拍子抜けした。
そして、一通り質問が終わり、林堂さんがパソコンに入力し終えると、
「じゃあ次は『心』の確認だね。」
そう言って林堂さんは少し楽しみな様子で立ち上がった。
そういう僕も自分だけの武器を使えると思うと少し、いや、かなりワクワクする。昔からバトル漫画とかが大好きな僕にとっては、憧れのシチュエーションだ。
早速僕は『心』を具現化しようとした。しかし、
「…どうやれば…?」
『心』を具現化。そんな抽象的なことをどうやるのか分かるはずもなかった。
「ええっと…こう…目の前に出るようにイメージするというか…バーって。」
「(…いや…どういうこと…?)」
説明下手なのか…?と思いながらも、兎に角言われた通り目の前に出るようにイメージしてみようと、瞼を閉じる。
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僕は白い部屋に立っていた。壁も、床も、天井も、すべてが白い。目の前には人が立っていた。朝、鏡越しにほぼ毎日見る容姿だ。見間違える筈がない、こいつは僕だ。
僕らはお互い、自分を見つめていた。
見つめるのも、見つめられるのも吐き気がする。本当に憎たらしい顔だ。殺したいくらいに。
それは相手も同じだった様だ。まぁ、僕にとってそんなことはどうでもいいが。
目の前のクズは僕を嘲笑しながら口を開いた。
「おい、お前が視界に入るだけで不快だ。俺の前から消えろ、ゴミ。」
は?何だこいつ。
「は?それはこっちの台詞だよ。」
本当に憎たらしい。殺したい。殺したい。
既に完全に憎悪に思考を蝕まれていた。気付けば、僕の手にはナイフが握られていた。
「…なんだそのナイフ、それで何するんだ?俺を殺すのか?いいぜ、やれるもんならやってみろよ。」
殺してやる。
人が倒れる音がした。数秒後、白い部屋の中心が鮮やかな赤色で染まった。
その赤色は何度も飛び散って段々と床を、壁を、天井を彩っていった。
僕は満足するまで腕を振り上げてはそれを振り下げた。
そして、ナイフを持った真っ赤な少年と、少年だった真っ赤な肉塊が部屋に残されていた。赤い、赤い部屋に。
「それがお前の『心』だよ。」
五月蠅いクズだ。消えろ。
僕は肉塊の脳天にナイフを突き立てた。
そして部屋を見渡した後、
嗚呼、綺麗だ―。
いつの間にか部屋の隅に置かれていた青い花を見てそう思った。
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「…ね…くん…?」
…誰かが呼んでいる。誰だ…?
「…る…くん…だい…ぶ…?」
「(…この声は…林堂さんだ。)」
僕はゆっくりと瞼を上げる。垂れてきた汗が目に染みて痛い。
「だ、大丈夫…?」
林堂さんが心配した顔で僕の顔を覗き込んでいた。
「(…あれ…寝てた…?)」
僕はいつ寝てしまったんだ…?
何故か全身に嫌な汗をじっとりとかいている。それに、吐き気もする。
だが不思議と気分は高揚している。案外悪くない。
…?吐き気がするにもかかわらず『悪くない』なんて、『俺』はおかしくなったのか…?
「…莉音君…?もう出せてるよ…?」
そう言われて自身の手を見ると、青い花が彫刻された無機質なデザインのナイフが僕の手に握られていた。
「それが君の『心』だよ。」
「これが…僕の『心』…。」
一瞬視界にノイズが生じて、ナイフが鮮やかな鮮血に染まった様に見えた―。
深東京仮想首都圏 ねむる @Nemuru_06
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