第41話

 そう言われてのぞきこむと、たしかに二人の先客がいた。

 リシュカとエイナルは驚いて身を潜めた。

 ウェーブがかった黒く長い髪をした女性がうなだれるように座り込んでいる。そして、それを明るい紫色の短い髪をした少女が見下ろしていた。

 少女は高く腕をあげる。

 その瞳は離れた場所から見てもぞっとするほど冷え冷えとしていた。

 そして、その細い腕を振り下ろそうとした。


「ウリカ!」

「イーダ!」


 リシュカとエイナルは同時に名前を叫んでいた。

 しまったと顔を見合わせたときには遅かった。

 ウリカは鋭い視線で振り返った。


「やはりお前たちか。扉に鍵をかけておいたのに」


 ウリカは悪態をついた。

 ここまで登ってきた魔法が自身が教えたものだと知ったら、もっと腹を立てたことだろう。


「私に任せろと言っただろう。こいつは私が何とかするからお前たちはさっさと帰れ。いいな」

「なんとかって、彼女に何をする気?」

「傷つけてもらっては困るんですよ。彼女の恋人はずいぶん繊細な奴だから」


 エイナルもおずおずと口をはさんだ。

 しかし、それらをウリカは鼻で笑った。


「じゃあ、青マントの魔法使いと人間に何ができると言うんだ? どうやって体を乗っ取られた人間を治すつもりなんだ?」


 二人は口をつぐんで、ちらりとお互いを見た。

 そう言われると、イーダを見つけることばかりに気がいって、彼女を正気にする方法など考えていなかったことに気がついた。


「ほらな」


 ウリカは二人の表情を見て、呆れたようなあざけるような顔で言った。


「こいつは体だけじゃなく、すでに魂も乗っ取られているんだ。悪いがあきらめてくれ」

「あきらめるって」

「そんな……」


 ウリカは振り上げていた手を下ろした。

 イーダが苦しそうな声をあげて、のどをかきむしるような動作をした。


「特に、頭と心臓」


 ウリカは上から順番に指をさす。

 イーダは顔をゆがませて頭を押さえたかと思うと、次に胸やのどを押さえてのたうち回った。

 そののどからはひゅーひゅーと壊れた笛のような音をもらしながらこの世の者ではないような声を発していた。


「ウリカ……もっと穏便に……だってイーダのお母さんに帰ってくるって言ったじゃない」


 リシュカは声が震えた。

 エイナルは顔を手で覆っていた。人間には刺激が強すぎるのだ。


「無傷で、とは言ってない」


 ウリカは冷たい声で言う。

 植物園や舞踏会のときのウリカとは別人のようだ。

 いや、どのウリカが本物なのだろう?


「こいつはただのゴーストとは違うんだ」


 縄で縛り上げるようにウリカが手を引く。

 すると、イーダの体が宙に浮いた。


「マルルアモリスなんでしょう?」


 リシュカが言うと、ウリカの手が止まった。


「あなたの探していたものってマルルアモリスのことなの? イーダの中にいるのはマルルアモリスなの?」

「その名前を呼ぶな!」


 ウリカが叫んだ。

 そのとき、ぐったりと力を失っていたイーダが目を開いた。

 濡れたような美しい瑠璃色の瞳にリシュカは思わず息をのんだ。


「そう。私はマルルアモリス」


 彼女が風のような声で言った。

 黒い髪が陽に輝いて紫色に変わっていく。


「名前を読んでくれてありがとう」


 彼女の体から光があふれた。

 周囲の霧が晴れていく。

 愛らしい口元、憂いと幼さと繊細さを含んだ瞳、桃のように甘いピンク色の頬。

 彼女はにっこりとほほ笑んだ。

 小さな恋人。

 マルルアモリスは目覚めた。


「愛を」


 彼女はそう言って天を仰いだ。

 ちょうど真上に太陽が昇っている。

 マルルアモリスは両手を伸ばした。


「動くな!」


 ウリカがはっと我に返り止まっていた手を動かしたが、マルルアモリスの伸ばされた手には、まばゆい太陽の光が照らされ、青白い指先が発光しているように見えた。


「温かい」

「それは、愛などではない!」


 とウリカが叫んだ。


「こんなに温かいのに?」


 いぶかしげにマルルアモリスがウリカを見る。

 その美しい瞳は狂気に輝いて、リシュカは自分に向けられたわけでもないのに、ぞっとして身動きがとれなくなってしまった。


「そうだ。太陽神は私たちの父だ。それは、お前が望む愛ではなく、慈愛なんだ。何度言ったら、分かるんだ」


 ウリカは幼い子供に言い聞かせるようにゆっくりと言った。

 けれど、マルルアモリスは駄々をこねるように首を振った。


「そんなの嘘! 私は特別なの! いつもそうやって、お姉さまは私をいじめるの。お姉さまばっかり、いつも私のものを独り占めにして」

「お姉さま?」


 リシュカとエイナルは顔を見合わせ、そして同時にウリカを見た。

 ウリカは感情の読めない瞳でマルルアモリスをじっと見つめていた。


「私は何一つお前のものなんて奪っていない。この世にあるものはすべて平等に与えられているからだ。お前がそれに気がついていないだけで」

「そんなの、嘘よ」

 

 マルルアモリスは美しい淑女のような見た目とは裏腹に、まるで反抗期の子供のようだ。彼女は大きな丸い瞳でウリカをにらみつけた。


「私には何もなかった。全部、お姉さまが手に入れてしまった」

「手を伸ばせばあったものばかりだ。伸ばそうとすらしなかっただけだ」

「そうやっていつも難しいことを言って、ひどいわ」


 ウリカはため息をつく。


「お前は本当に成長しない」

「すぐにそうやって子ども扱いをする!」


 マルルアモリスが叫んだ。

 紫色の髪が大きく広がった。


「ララ・ファーンお姉さま。あなただって私を愛してくれなかったくせに!」


 マルルアモリスは魔法を放った。

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