第39話
ヤドリギの塔は広場からは近くにあるように見えたが、森の中に入った途端にその姿は忽然と見えなくなってしまった。
驚いて太陽の塔を振り返り方位を確認するが、やはり消えたとしか言いようがない。
「迷子になりそうだなあ」
エイナルは不安げに言った。
「まっすぐ北に進んでいけば大丈夫。こういう森では迷う心が一番危険だから」
リシュカにとっては勝手知ったるミルフォルンの森なので、彼女は迷わずに森の中を進んでいった。夏至祭の陽気な音楽が森の中まで聞こえてくるためか、森の中でも明るい雰囲気が感じられる。いつもは、いたずらしたくてうずうずしている悪い妖精たちも今日はお祭りにでかけたのだろう。
「薔薇の繁みだ」
もう正午になろうとしていた。
目の前に真っ赤な薔薇が咲き誇っている。
「このあたりに塔があるはずなのに」
遠くから見ると、薔薇の繁みに囲まれて塔がそびえているのに、今はどうしたことだろう、影も形もなくなっている。おもらくこのあたりに特殊な魔法でもかけられているに違いない。
リシュカはあたりを探ってみたけれど、それらしきものは見当たらなかった。
「どうしたんだい?」
「たぶん、姿隠しのまじないがかかってるんだと思うんだけど、それらしい目印が見当たらなくて」
「へえ、姿隠しのまじない?」
「そう。姿隠しはたんなる目くらましの魔法だから、何か鍵となっているものがあるはずなんだけど……それがないとなると、森のめくらましか……それとも……」
「森のめくらまし?」
エイナルは熱心な生徒のように目をキラキラさせて聞いた。
「森自体がめくらましをかけることがあるの。それは、偶然できる場合もあるし、森が人を拒絶するために作られることもあるの。それから、人の感情が森に影響を与えることも」
「それは?」
「たとえば、とても悲しい出来事があったとき。人の悲しみが集まって、その場所を隠してしまうとか」
「マルルアモリスの悲しみとか?」
「それはあるかも」
「そういうときはどうするんだい?」
「それでも、何か方法はあるはずなんだけど……」
リシュカはマリアばあさんが、「薔薇の繁みを恐れずに進め」と言っていたことを思い出した。
目の前にあるいばらは棘も大きくて絡みつき、とてもその中を通っていけそうには見えなかった。
「どうしたんだい?」
「薔薇の繁みの中を恐れず進んで行けって、マリアばあさんが言ってたの」
「この中を? 痛そうだけどなあ」
エイナルは薔薇の棘を見て顔をしかめた。
薔薇は誰も手入れなどしていないはずなのに、赤い綺麗な花を咲かせていた。それは見事なくらいに。
リシュカは軽く触れてみる。
蔦はとても固そうで、棘は鋭利だ。
けれど、これも静かで薄暗い森の中にしては立派すぎる気がした。
「この薔薇がめくらましなのかも」
「これが? 本物みたいにしか見えないけど」
「でも、すごく立派だと思わない? 誰も手入れしていないのに。こんなに大きくて綺麗な花が咲いてる」
「たしかに……うちの庭の薔薇よりも立派だなあ」
エイナルは納得するようにうなずいている。おそらく、彼のお屋敷では庭師を何人も抱えていて、きれいな薔薇が咲いているのだろう。
「よし、行こう」
エイナルは力強く言った。
リシュカはうなずいて彼の腕を取った。
二人は大きく息を吸って、吐いた。
そして、薔薇の繁みに踏み入れた、と思うと、目の前に古びた灰色の塔がそびえていた。
二人はぽかんとそれを見上げた。
灰色のレンガが無造作に積み上げられた塔は下から見ると、木の幹のようにゆがんでいるように見えた。頂上はよく見えない。下部は薔薇の蔦で覆われていたが、こちらの薔薇は茶色く枯れかけていた。
「すごい」
エイナルがあたりを見わたしながら感嘆している。
周囲は広い空き地なっていて、小さな泉まである。その真ん中に、白い石でつくられた熊の彫刻が立っている。手にした大きな鮭の口から水が流れるという面白い趣向だ。
「これ、いいな。家の庭にも欲しいな……」
とエイナルはつぶやく。
あたりには色とりどりのラベンダーの花が咲き誇っていた。ラベンダーの香りがただよい、心が落ち着いてくるようだった。
「素敵な場所」
「たしかに、密会場所にはもってこいだね」
二人は目的を忘れたようにあたりに見入っていたが、密会している者はいないようだった。
それに、塔の木の扉はすっかり苔むして植物に覆われている。鍵穴は錆付き、とても開けられそうには思えなかった。
最近では、ヤドリギの塔の話なんて聞いたことがないし、すっかり忘れられた場所になっているのだろう。そうでなければ噂好きの女の子たちが知らないはずがない。
「開かないな?」
エイナルが扉を押したり引いたりするがびくともしない。
「これ、魔法で閉じられているみたい」
リシュカは触ってみて確信をした。たしかに錆びついているせいで開けづらくなっているようだが、扉に何か魔法がかかっているようだ。
「じゃあ、魔法で開けられるかい?」
エイナルがキラキラした瞳で聞いてきた。
「試してみる」
リシュカは人差し指をたてると、それを扉に向けながらくるくると回しはじめた。
「ウズマキ」
鍵穴の錆がぱらぱらと落ちた。
ところが、扉は開かなかった。
「今の魔法なの?」
「鍵を開ける魔法だけど、違うみたい」
「面白い呪文だね」
「最近は、分かりやすい呪文が流行ってるみたい」
魔法の呪文にも流行というものがあるらしく、近頃学校で教えられているものは、短く分かりやすい単語のものばかりだ。少し前には、長い文章のような呪文も流行ったことがあるらしいが、ある学生が呪文を唱えている間に大鷲にさらわれてしまうという事件があって以来、短いものが主流になったらしい。
そのあと、いくつか「開く魔法」を使ってみたけれど、どれも上手くいかなかった。高度な魔法で閉じられているのかもしれない。
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