第37話
「さあね。でも、死んだとも聞いてないね」
「生きてると思いますか?」
「彼女には未練があるからね」
「未練……」
「それがあると、あたしたちはなかなか死ねないんだよ」
「あなたにも未練があるんですか?」
「そりゃあ、たくさん。色んな男を泣かせてきたからね。ほっほっほっほ」
マリアばあさんは本気なのか冗談なのか分からない調子で言った。あまりこの話題には深入りしないほうがいいと「魔女の勘」が告げていた。
「もし、彼女が生きていたら、ララ・ファーンに行けば会えるんでしょうか?」
「どうだろうね。興味があるかい?」
「もちろんです」
「まあ、そうだろうね。あたしも無駄に長生きしちまったけど、一度ぐらいララ・ファーンを拝みに行っても良かったね。グラツィアルには良い男もたくさんいそうだしね。ほっほっほ」
リシュカが苦笑いを浮かべていると、エイナルが目を覚ました。
無理もないことだが、夢でも見ているかのようにぼんやりとあたりをうかがっている。リシュカに気がつくと、不思議そうな目でじっと見つめていた。まるで夢の中で再会してしまったかのように。
「あなたは灰色トカゲのハンバーグを食べて倒れたの。覚えてる?」
「ああ、そういえば……」
ようやくここが夢の中ではないと理解しはじめたようだった。
「ここは?」
「マリアばあさんの薬草屋、解毒してもらったの」
エイナルはマリアばあさんを珍しいものでも観察するようにまじまじと見つめた。やはり自分はまだ夢の中にいるのでは、と思っているかのような顔だ。
たしかに、人間からするとこういう魔女を目にする機会はめったにないかもしれない。それにしても穴が開くぐらい熱心に見つめている。
「ヤダね、照れるじゃないか。ふっほっほっほっほ」
とマリアばあさんが顔じゅうのしわを揺らしながら甲高い笑い声を響かせるので、エイナルはぎょっと身を引いた。
「魔法使いに興味があるなら、もっと慎重になることだね。人間は確かに知恵があるが、それが命取りになることだってあるんだからね。自分たちの知恵や知識を過信しないことさ。この世の中には、知らないことのほうが多いってことを忘れないようにすることが大事なことだよ」
エイナルはまだぼんやりとした顔をしていたが、マリアばあさんの話に神妙にうなずいていた。
「あたしもまた人間の恋人を作ってみようかね。ほっほっほっほ」
そして、ぽかんと口を開けていた。
「あんたはなかなかハンサムだから、代金は特別にまけといてあげるから安心しな」
マリアばあさんは言う。
そういえば、お金のことをすっかり忘れていた、とリシュカは青ざめた。
薬草屋を出るとフクロウの鳴き声が聞こえてきた。もうずいぶん遅くなってしまったようだ。
マリアばあさんに提示された金額はリシュカにとって目玉が飛び出るほどの高額だった。どこがまけてくれたのだろうか。
青ざめるリシュカを見てエイナルは自分で支払うと言ったけれど、そうなれば今回のことがバレてしまうかもしれない。
「たしかに、お小遣いじゃちょっと足りなさそうだからなあ……。母にバレて、外出禁止にでもなったら大変だ」
すっかり元気になったエイナルは困ったように首をかしげた。
「私がなんとか支払うから、心配しないで」
「どうして? それに、君一人で払える金額かい?」
それを言われると返す言葉がない。
出された金額は学費の約十倍だったのだ。さいわい、支払期限はないものの、払い終わるまでには何年、いや、何十年かかるだろうか……。
「僕もそろそろ、自分で働いてみたいと思っていたし、一緒に払っていけばいいじゃないか。だいたい、僕の治療代なんだから」
貴族のお坊ちゃんが働くなんて、と思いながらもリシュカはその言葉を聞いてうれしい気持ちを隠せなかった。
「また一緒にゴースト退治でもしようか」
「それは絶対にダメ」
残念そうに肩をすくめるエイナル。マリアばあさんに言われたことなど、すっかり忘れているようだ。
「そうだ、ゴーストと言えば」
リシュカはヤドリギの塔の話をエイナルに話した。
すると、彼は目を大きく見開いて、「それだ!」と言う。
「イーダは太陽神と会うためにヤドリギの塔に来るはずだ」
「いまでもマルルアモリスは太陽神に恋してるっていうの?」
「彼女はずっと流れ星となって夜の空をさまよって来たんだ。太陽神の姿を見ることも叶わなかった。むしろ、その思いは強くなっているかもしれない。そして、そのマルルアモリスの思念がイーダを太陽神に会いにいかせようとしても不思議じゃないだろう?」
「まあ……確かに」
むしろ肉体を離れた思いが理性の制御を失くし、純粋な執念となって悪さをするというのは珍しい話ではない。もしかすると、マルルアモリスもすでに彼女の理性はなく、ただ太陽神を思う執念として夜空を巡っている、と考えればあり得なくはないかもしれない。
「今はそれを信じるか手がかりはないだろう?」
「まあ、そうだけど」
「太陽神が降りてくると言われているのは、夏至の正午だ。そのときに、ヤドリギの塔で彼女を待とう」
つい先ほどまで死にかけていたとは思えないキラキラとした瞳でエイナルは言った。
リシュカは思わず見とれてしまう。
「どうしたの?」
リシュカははっとして目をそらす。なぜだか、胸がドキドキしていた。
「なんだか、前よりも顔の色がいいみたい」
「そうなんだ。すごく体が軽いし、気分も最高なんだ」
解毒の効果で他の悪いところも流れていってしまったのだろうか?
エイナルはスキップをするように意気揚々と前を歩いていた。
「リシュカ」
別れ際、エイナルが振り返った。
背後で月がまぶしく輝き、彼の銅色の赤毛をきらめかせていた。
「さっきは本当にありがとう。君は僕の恩人だね」
そう言って、エイナルはリシュカの手を取った。
「え? 命の恩人? むしろ、私のせいで死にかけたのに?」
リシュカは驚き、そして首をかしげた。
「まさか。好奇心で自分を殺そうとしたのは僕自身さ。魔法使いのことを知りたいと言っていたのに、考えが甘かったよ。僕は君と出会ってなくてもきっといつか自分で魔法使いのカフェに行って、毒入りのハンバーグを食べていたと思うよ。かけたっていい」
とエイナルは自信満々に言う。
「だから、今日、君がいてくれて良かったよ。不思議な薬草屋も知ることができたし。母は体が弱いからね。母に良い薬があるか今度聞いてみよう」
「そう、お母さん良くなるといいね」
「うん、ありがとう。そうしたら、母も魔法使いのことを良く思ってくれるかもしれないし」
「だといいけど」
「大丈夫だよ」
エイナルはにっこりと笑う。
この自信と魔法使いに対する信頼感はどこから来るのだろう?
その笑顔を向けられることはなんだか歯がゆい。
「とにかく、今日は貴重な体験ができたよ。イーダの新しい手がかりだってつかめたわけだしね」
「うん」
もうすぐ夏至とはいってもまだ夜風には冷たさが残っている。
エイナルに握られた手がじんわりと熱く、なぜか頬まで火照っているような気がする。
そんなリシュカに夜風が心地よく吹いてきた。
「夏至祭、楽しみだね」
エイナルが真っすぐな笑顔で言う。
リシュカはまだ夏至祭のドレスを準備していないことに気がついた。でも、新しいドレスを買うお金なんてない。
夏至祭にはドレスさえ着ることができればそれでいいと思っていた。でも今回は、なぜかドレスを新調できないことを残念に思った。
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