第36話

「さすがにあたしも直接見たわけじゃないけどね。マルルアモリスが流れ星に変えられた後、マルルアモリスに横恋慕してたキトゥスが怒って彼女が書かれた本をすべて燃やしちまったのさ。さらに吟遊詩人を脅して殺そうとしたっていうんだから情熱的だね。あたしもそんなふうに激しく愛されてみたいもんだよ」


 キトゥスとは五人の魔法使いのうちのひとり「戦いの魔法使い」のことだ。さすがに好戦的な魔法使いだけあって失恋した後も激しすぎる。自分はそこまで過激に愛されるのは嫌だな、とリシュカは思った。


「それで、ルッゾとララ・ファーンが彼を止めようとしたのさ。でも、そのときルッゾは大怪我をして右手を失ったんだ。自慢の美しい右手をね。それで、彼は森の奥深くにもぐって姿を消しちまったんだよ」


 たしかに、ルッゾには「右手のルッゾ」と言うあだ名がある。彼の決まり文句は、「私の右手にかけて――」だ。

 リシュカは鼻をつまむのも忘れて聞き入っていた。


「噂ではララ・ファーンとルッゾは恋仲だったようで、怒ったララ・ファーンが危うく町をひとつ破壊しそうになったほどだったそうさ。その怒りに震え上がったキトゥスがそのまま星に帰ったっていうんだから相当なもんだったんだろうね。吟遊詩人も恐怖でその後何百年も声が出なくなったって話だよ」

「そんなことが……」


 勇敢なキトゥスの最期がそんな終わり方とはあまり信じたくないが。


「キトゥスはもういないけど、いつまでもあの時のことを歌わないところを見ると、吟遊詩人はよほど恐い思いをしたんだろうね」


 マリアばあさんは同情するように言った。

 たしかに、吟遊詩人の歌で最期が語られているのは「幻想の魔法使い」であるパグムラグリだけだ。他の魔法使いたちはどうしたのだろうとは思っていたけれど、そんな物語があったとは思いもしなかった。吟遊詩人が語らない物語がある、ということ自体想像すらしていなかったのだ。


「それとも、吟遊詩人にも何か思うところがあるのかもしれないね。彼だって、五人の魔法使いと長い付き合いだっただろうしね」


 吟遊詩人がいつ生まれたのかは誰も知らない。学者の中には吟遊詩人を「六人目の魔法使い」として扱う人、あるいは、彼こそが「最初の魔法使い」だと主張している人もいるくらいだ。


 マリアばあさんは火を止めた。

 液体が冷めるまでかき混ぜると、それは透明になり、強烈なにおいもピタリとなくなった。


「それでマルルアモリスのことがどこにも載っていないんですね」

「キトゥスが燃やしたせいでもあるし、何よりララ・ファーンがマルルアモリスを許さなかったのさ。学校や図書館は彼女が作ったものだからね。マルルアモリスのことが書いてある書物は学校や図書館には決して持ち込ませなかったんだよ。だから彼女のことが書かれた本は戦争や時代と共になくなっちまったのさ」

「なるほど」


 戦争には掟がある。決して、学校と図書館を戦場にしてはいけない、というものだ。太陽神が決めた掟で、その掟を破ると太陽の火で燃やされると言われている。なので、図書館にある書物は戦火から逃れることができるのだ。


 マリアばあさんは透明な液体をグラスにうつした。

 見た目はただの水のように見える。あんなにも色々なものを混ぜて一時はヘドロのようになっていたのに不思議だ。しかし、あの工程を見てしまうと、今は水のようにしか見えなくても飲むのは躊躇してしまうかもしれない。

 そんなことは当然知らないエイナルにマリアばあさんは液体を飲ませる。

 リシュカは緊張してそれを見守ったが、見た目に変化はないようだった。


 次に、マリアばあさんがエイナルのまぶたに手を触れて何か呪文のようなものをつぶやきだした。

 すると、エイナルの顔が急に真っ赤になった。

 リシュカは驚いて言葉を失う。

 けれど、マリアばあさんは気にする様子もなく、呪文を唱え続けていた。

 今やエイナルの顔はリンゴを通り過ぎて火にくべられた鉄のように赤く燃えている。そのうちに頭のてっぺんから煙が出はじめた。

 リシュカは生きた心地がしなかった。

 もし、火炙りの刑に処されることになったら自然へ帰ろう。

 そう決意した時、「ぽんっ」と何かが爆ぜる音がした。

 と思うと、エイナルの肌の色がみるみるうちに戻っていった。すっかり赤みが引くと、むしろ以前よりも健康になったのではないかと思うぐらい髪も肌もつやつやとしている。


「毒が抜けたよ。しばらくすれば目を覚ますはずさ」


 リシュカはほっとする。これで火炙りにされなくてすみそうだ。


「本当に、ありがとうございます」

「あんまり人間を振り回すもんじゃないよ。あたしたちと違って、人間はタフそうで案外弱いものだからね。それに、あたしも何人も人間の男と付き合ったけど、彼らのほうが早く年を取るし、必ず先に死ぬ。分かっていても、恋人を見送るのはなかなか堪えるものさ。十三人目に付き合った人間の男はしがない靴職人だったけど本当に良い男でねえ。彼を看取った後はもう人間とは付き合えないと思ったね……」


 マリアばあさんは天井を見上げ、深いため息をついた。


「でも、そのあと二十七人の人間と付き合ったけどね。ふおっほっほっほっほっほっほっほっほ」


 と彼女の笑い声が部屋中にこだました。


「アハハ……」


 リシュカは適当に笑うしかなかった。


「……あ、あの、それで、ヤドリギの塔の話は……?」

「ああ、そうだったね。ほら、太陽の塔の北に古い塔があるだろう?」


 リシュカは思い浮かべる。


「ああ、薔薇の繁みに埋もれたボロボロの塔のことですか?」

「そう、それがヤドリギの塔さ」


 確かに太陽の塔から北へ入ったところに古びた灰色の塔がある。周囲は薔薇が生い茂り、塔自体も廃墟と呼んでもいいくらい朽ち果てた様子だ。何のために建てられたものなのか、何に使われていたものなのかまったく知らなかったし、名前すら知らなかった。


「そこでマルルアモリスと太陽神が密会していたんですか?」

「そのうちの一つと言われてるところさ。あたしも覗いたわけじゃないから、本当かどうかは知らないけどね。ほっほっほ」


 とマリアばあさんは笑う。


「こんな何もないところでですか?」

「だからこそ、だよ。こんな田舎の何にもない森、密会するにはおあつらえ向きの場所じゃないか」

「まあ、たしかに」

「いいかい? さっきも言ったけど、ヤドリギの塔へ行くには薔薇の繁みを恐れちゃいけないんだ。殿方の腕を取って勇気をもって進んでいくんだよ。いいかい?」


 マリアばあさんは顔じゅうのしわを揺らしながら笑う。本当に、昔はそんなにもモテていたのか、疑わしい。


「は、はあ……」

「そういえば、マルルアモリスの流れ星が通るのは今年だったね」

「それもご存じでしたか」

「そりゃあ、長いこと魔女をやってりゃね。死にぞこなった結果さ。ほっほっほ」


 マリアばあさんは歯のない口を大きく開けて笑っている。

 一万年以上生きているという噂はほんとうなのだろうか? 本当だとしても驚きはしないかもしれないが、なんとなく、それを尋ねるのは恐ろしいような気がして聞けなかった。


「ララ・ファーンも大変だよ。お転婆な妹を持つとね」

「まさか、彼女が生きてるなんて言いませんよね?」


 リシュカはエイナルの顔を見ながら言った。

 寝息が聞こえてきそうなくらい穏やかな表情だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る