第十章 マリアばあさんの薬草屋

第33話

 エイナルのほうでもやはり新しい収穫はないようだった。


「大昔のおとぎ話にそれっぽいものはあったけど、どれもモチーフにした程度のもので彼女自身のことを書いた話はなかったよ」


 エイナルは肩をすくめる。

 彼の目の前には紫色をしたリンゴ酒が置かれている。

 やはりはじめの一口はためらっていたが、味は気に入ったようですでにグラスの半分が減っている。

 そして、その前にはメニュー表が広げられている。


「よし、決めた。僕は『魔女に殺された灰色トカゲのハンバーグ』を頼むぞ」


 メニュー表をじっとにらみつけながらエイナルが威勢よく言った。まるで世界を救うために立ち上がることを決意した村の少年のように。

 しかし、そんな一大決心も次の瞬間にはしぼんでしまったようだ。


「でも、本当に灰色トカゲの肉じゃないよね?」


 弱気な声でエイナルが尋ねる。


「灰色トカゲって書いてあるんだから、そうじゃない? 違うときは、「風」ってついてると思う」

「でも、灰色トカゲって珍しいトカゲなんだよね? ハンバーグにしてもいいのかな?」

「灰色トカゲは毒トカゲの中じゃ毒は少ないほうだし、舌にぴりっとする感覚がくせになるからって、結構人気みたい。でも、それは新作メニューだから美味しかどうかは分からないけどね。ここ、当たりはずれがあるから」

「君も灰色トカゲを食べたことあるの?」

「あるけど、私はそういう毒系の食べ物は好みじゃないの。ちょっと苦いし」

「そう……」


 エイナルは再び口をへの字にしてメニュー表とにらめっこをはじめてしまった。

 リシュカは蜂蜜入りの真っ黒ラベンダー酒を飲んでいた。


「私はカエル合唱団のプリンアラモード。ニョロニョロバッタのパンケーキも。バニラアイス追加で」

「ニョロニョロバッタ……?」


 エイナルが恐ろし気に眉をひそめた。彼はそれが何か聞こうとしたようだったが、思いとどまったようだった。


「最近僕は、知らないほうが幸せなことをあるんだと学んだんだ」


 とエイナルは独り言のようにつぶやいた。


「とりあえず、あの紫の流れ星がマルルアモリスだったと仮定したとして、だ」


 ナイナルはリンゴ酒を飲み干していった。

 ウェイターを呼び止めて二杯目も注文する。そして、ついに覚悟を決めたのか、「魔女に殺された灰色トカゲのハンバーグ」も注文した。


「今までの話をまとめると、紫の流れ星になったマルルアモリスを君が魔法で落としてしまい、その欠片をイーダが海で拾った、と考えられる」

「そうなるかも」


 リシュカは苦笑いをうかべる。


「それで、イーダはどこに行ったの?」

「それだよ」


 エイナルは声を落として周囲をうかがった。さいわい、店内はカエルの声が響いていて、他の客の声も聞こえてこない。


「その欠片はマルルアモリスの欠片なわけだろう? つまり、彼女の魂の一部でもあるわけだ」

「うん……たしかに」


 こんな話を大真面目にする人間はエイナルぐらいしかいないんじゃないだろうか、と心配になるぐらい彼は真剣な様子で話していた。


「それが、イーダに取りついたとしたら?」


 実際、妖精やゴーストの宿った石というものは存在する。そして、それを知らずに手に取った者が呪われてしまうことも少なくはない。特に人間は簡単に取りつかれてしまい、下手をすると命を落としてしまうこともあるという。


「もしそうなら、彼女は……」


 と考えてリシュカははっとした。

 塗れたような黒っぽい髪に、若い女の子。

 二人は顔を見合わせる。


「そう、ベルマン男爵の屋敷にいたっていうゴーストは彼女のことだったんじゃないかな」

「たしかにそれならつじつまは合うかも……」


 ゴーストではなく呪われた人間だったのなら、はっきりとした姿で自由に移動することができる。


「でも、彼女はどこに行ったの?」

「イーダにマルルアモリスの魂が宿っているとするなら、マルルアモリスが行きそうなところにいるかもしれないけど」

「マルルアモリスが行きなところ?」


 さっぱり分からない。彼女に関する資料や情報があまりにも少なすぎるからだ。


「それに、マルルアモリスに関係するような場所がこの辺りにあるとは思えないけど……」

「でも、ウリカはここにマルルアモリスがいると知っていてわざわざララ・ファーンから来たわけだろう?」

「それなのよね。だいたいウリカがミルフォルンにやって来たのは私が星屑集めの魔法を使った次の日でしょ? どうして、ステラクレードに落ちたって知ったのかな」

「そこは、ララ・ファーンの魔法使いだから……」


 二人は押し黙った。


「とにかく、マルルアモリスのことをもっと調べないと難しいか」

「そうね」


 二人が神妙な顔で考え込んでいると、炭のような真っ黒なハンバーグが運ばれてきた。トカゲの形になっていて、まさに焼け焦げになって死んでいるみたいだ。

 エイナルは眉をひそめるのをぐっとこらえ、「わあ、おいしそうだな」と棒読みで言った。

「そう?」とリシュカは首をかしげる。


「見た目はいまいちかも。炭みたいで地味だし」

「君の食べているものだってひどいじゃないか」


 エイナルは非難するように言う。

 リシュカの前には緑色をしたパンケーキが置いてある。厚みがあり、触ってもいないのに常にクネクネと動いていた。


「たしかに、ニョロニョロというよりクネクネよね」

「いや、そういうことじゃなくて……」


 パンケーキを一口切り取ってフォークに差すと、まるで食べられるのを嫌がるかのようにその欠片はよりいっそうクネクネと動き出した。

 リシュカがそれをバニラアイスクリームと一緒に口の中に入れると、エイナルはひっと悲鳴を上げた。


「これを食べるときは絶対にバニラアイスと一緒のほうが美味しいの」


 リシュカはとろけるような笑みで言った。


「うん、覚えておくよ……たぶん、食べることはないと思うけど」


 エイナルは小声で言う。


「おいしいのに」

「まあ、僕のだって……大切なのは味だから」


 エイナルは敵を前にした戦士のようにハンバーグにナイフを入れた。しかし、固くてなかなか切れないようだ。ようやく切れると、中から血のような赤いソースが流れ出してきたので、エイナルは再びひいっと短い悲鳴を上げた。


「へえ、地味かと思ったら、なかなか凝っていていい感じかも」


 感心したように言うリシュカをエイナルは複雑そうな表情で見る。

 エイナルは小さく深呼吸をした。

 そして意を決して一切れのハンバーグをフォークに差して口の中に放り込む。エイナルは無表情のまましばらく口の中で噛んでいた。そして少し表情が和らいだかに見えた次の瞬間、顔を真っ青にして口を押さえた。


「はずれかあ。最近の新作は当たりばっかりだったから、そろそろかなあとは思っていたけど」


 リシュカは呑気に笑い、やわらかいプリンを一口食べた。まだ温かいプリンが口の中にとろりと広がって彼女は幸せそうに頬を押さえた。

 それをエイナルが涙目をしながら恨めしそうに見つめていた。

 まだ口をきくこともできないらしい。舌が痺れているのかもしれない。

 エイナルはリンゴ酒を一気に飲み干した。

 そして、ふうっと息を吐いて落ち着いたかと思うと、彼の顔色が青や黒に変わった。

 そして、次の瞬間、口から黒い泡を吹きだしながらテーブルに倒れたのだ。

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