第32話

「……そういえば、吟遊詩人の歌といえば、流れ星の歌もあったよね」

「そんなのあったっけ?」

「ちょっと待ってて」


 と彼が持ってきた分厚い本には、「最新版! 吟遊詩人の歌全集」と書かれていた。


「何これ?」

「何って、吟遊詩人の歌を書き起こしたものじゃないか」

「人間って……」


 リシュカは呆れてため息をつく。


「だって、仕方ないじゃないか。僕たちは彼の歌を聞く機会が圧倒的に少ないんだから」


 エイナルはいたずらがバレた子供のように肩をすくめた。


「それは分かるけど、文字にしたって良さは全く分からないでしょう?」

「そんなことないよ。歌詞だけでも想像が広がるからね」

「ふーん?」


 リシュカの気のない返事にエイナルは苦笑いをする。


「僕たち人間はできることが限られているからこそ、あらゆることからたくさんの想像をするんだ。どんな些細なことからもね」

「だから、面白い道具や素敵な服を作ることができるの?」

「そうかもね」


 魔法を使ううえでも想像力はとても大切なものだ。リシュカは人間の想像力にも少し興味がわいた。もしかしたら、魔法にも役に立つことがあるのかもしれない。


「……それで、流れ星の歌って?」

「たしか、マルルアモリスの話じゃなかったかな」

「マルルアモリスの歌? ――私、聞いたことないかも」

「僕だって実際に聞いたことはないけどね。……っと、あったあった、これだ」


 とエイナルが見せたページには、「マルルアモリスの恋」とあった。



 小さな恋人マルルアモリス

 紫の色の豊かな髪に、無邪気な瞳

 彼女は多くのものに愛された

 彼女はみんなの小さな恋人だった

 しかし彼女は物足りなかった

 もっと激しく愛されたいと願った

 ある日

 彼女が湖で顔を洗っているとき

 彼女は恋をした

 水面に映るまばゆい光

「ああ、これほど激しく愛されたい!」

 彼女は太陽神ソルに恋をした

 孤独の神は彼女と戯れた

 彼にとっても彼女は小さな恋人だった

 けれど小さな恋人は小さな恋では満足できなかった

 あるとき

 二人の秘密を灰色の鳥が月の女神に密告した

 ルーナは怒り

 マルルアモリスを流れ星に変えて

 永遠に夜空に閉じこめた

 灰色の鳥はソルに罰せられ

 ヨタカと名付けられて

 夜にしか鳴けない鳥となった



「紫色の髪……」

「そうか」


 エイナルは身を乗り出して顔をぐっと近づけてきた。

 青緑色の瞳がきらきらと輝いている。リシュカは思わずドキリとする。


「マルルアモリスが紫の流れ星の正体だったんだ!」


 そんなことはお構いなく、エイナルは興奮したように言った。

 リシュカは思わずあたりを見る。

 幸い、近くに人はいないようだが、これだけ静かな空間ならばどこまで聞こえているか定かではない。


「待ってよ。これはただの神話でしょ? そんなことあるわけないでしょう?」


 リシュカは最大限に声を落としてささやいた。


「あるよ」


 エイナルは怒ったように断言をした。


「だって、ララ・ファーンだっているじゃないか?」

「は?」

「グラツィアルに」


 なんの疑いもなく言うエイナルの顔を、リシュカはぽかんと見つめた。


「いるわけないでしょ?」

「え、どうして?」


 エイナルは心の底から驚いた顔をする。


「ララ・ファーンの魔法学校で今も教鞭を取っているんじゃないのかい?」


 リシュカは額を押さえた。

 人間の想像力は予想以上だ。


「いったい、彼らの神話を何万年前の話だと思ってるの?」

「でも、魔法使いに寿命はないんだろう?」

「そうだけど、ほとんどの魔法使いはこの世界に満足するか、飽きるかすると自然に帰っていくものなの。何万年も生きてる魔法使いなんて聞いたことないんだから。早いと百年くらいで帰ってしまう人もいるし、多いのは三百年から五百年くらい。長い人で千五百年くらいかな」

「でも、生きようと思えば生きられるんだよね?」

「そうだけど、魔法使いは自然に逆らうような生き方は基本しないの。私たちは自然の一部から作られたものだから。だから、不自然に長生きする人なんていないと思う」

「そんな……でも……」


 エイナルはがっくりとうなだれた。目に涙まで浮かべている。


「だいたい、この歌だって本当の話かどうか分からないし。それに、本当に吟遊詩人が歌ったものなの? マルルアモリスの歌があるなんて聞いたことないけど」

「そんなことを言われても、確認しようがないよ……」


 エイナルはうなだれたまま、うらめしそうにリシュカを見た。


「君ってさ、魔法使いのくせに夢がなさすぎるんじゃないかい?」

「あなたのほうこそ、人間のくせに魔法使いに夢を見すぎじゃない?」


 二人はしかめっ面でにらみ合った。


「とにかく、今はこれくらいしか手がかりがないんだし、とりあえず、マルルアモリスについて調べてみようよ」


 エイナルはムキになったように言う。

 釈然としないリシュカだったが、たしかに今はこれぐらいしか手がかりはない。


「それなら、私はミルフォルンに戻って調べてみる」

「OK。じゃあ、僕はこのままここで調べるよ。明日も会えるかい?」


 明日はもう授業がはじまってしまう。


「夜なら、なんとか」


 しかし、リシュカは構わずに言った。


「よし。じゃあ、明日の夜、あのカエルのカフェでいいかな?」


 彼女はうなずいた。

 一週間もとても待ってはいられない。

 それに、次の週末には夏至祭がはじまってしまう。ウリカが帰ってしまう前に何か手がかりを見つけなければいけない。

 それにウリカの様子からして夏至祭までに何かをするつもりに違いない。それが何かは分からないけれど……。

 考えれば考えるほど分からなくて、知りたくて仕方がない。

 リシュカは大急ぎでミルフォルンに帰った。


 リシュカはリブローム女史の感激したまなざしを背後に受けながらマルルアモリスについて調べてみた。

 しかし、不自然なくらいに彼女について書かれたものがなかったのだ。

 よく考えてみれば、歌だけでなく、他の四人の魔法使いの伝承はよく耳にしたが、マルルアモリスの話は聞いた記憶がないことに気がついた。

 念のため、リブローム女史にも確認してみた。

 彼女はひとしきりリシュカの勉強意欲を褒めたたえたあと、笑顔のまま思案していた。


「そう言われてみると、人間の本には彼女をモデルにした物語がいくつかあるようですが、魔法使いの本にマルルアモリスのことが書かれているという話は聞きませんね」


 リブローム女史は困惑気味に答えた。


「それは、ここが田舎だからってことですか? 他の、例えばララ・ファーンにはそういった本があるんでしょうか?」


 リシュカが尋ねると、リブローム女史はびっくりしたように目を丸めた。そして、絶望したように両手を頬にあてて天を仰いだ。


「ああ、そんな……私もできることならララ・ファーンの図書館に行ってみたいのですが……そうしたら……きっと、たくさんの魔法の本が……いえ。いえ、いえ、ミルフォルンの図書館だって……ええ、そうです。ここだって、十分に本はありますよ……私の大切な子供たちが……あの子たちを裏切ろうとするなんて……」


 とさめざめと泣きはじめてしまったので、リシュカは慌てて退散した。

 食堂でもさりげなく聞いてみたけれど、やはりみんな、「そういえば知らない」という答えばかりだった。

 首席の先輩も神話が好きな女の子も太陽神を崇拝する先生も答えは同じだった。


 これはどういうことだろう?

 紫の流れ星だけでなく、マルルアモリスのことまで書かれていないなんて。

 彼女は偉大なる最初の魔法使いの一人であり、誰もが名前を知っている伝説の魔法使いだ。それゆえに、知っているような気になっていたのも事実だが、そんな彼女の伝承が一つも残されていないというのは、どう考えても不自然だった。

 まるで歴史から消されようとでもされているみたいだ、とリシュカは思った。


 マルルアモリス。

 太陽神に恋をした小さな恋人。

 いったい、どんな人だったのだろう?

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