第31話


 町の図書館はシンプルだが頑丈そうなレンガ造りの建物で、かわりに細かい装飾をほどこした彫像が周りを取り囲んでいた。前庭の植木も几帳面に刈り込まれ、丸や四角、星型に開いた本の形をしている樹木まであった。

 中にはいると大理石が敷きつめられたエントランスホールにも、たくさんの彫刻や絵画が飾られ、革のソファに腰かけた人々が優雅にコーヒーを飲みながら新聞や雑誌を広げていた。

 その奥に入ると天井の高い広々とした図書室があり、身なりの良い人間たちが行儀よくテーブルに座って本を読んでいる。

 ページのめくれる音や誰かの咳払いがときおり聞こえるだけで、とても静かだ。


 リシュカは驚いた。

 魔法学校の図書館とはまるで違う。

 ボロボロの毛布にくるまって寝そべっている者も、頭に鳥の巣ができていることにも気がつかないで本をむさぼり読んでいる者もいない。もちろん、勝手に歩き回っている本もここにはいなかった。

 棚に並んでいる本もきれいに整頓されている。

 きっと、本の間に蛇やトカゲが挟まっていることもないのだろう。


「人間はやっぱり真面目で清潔で整頓好きなんだ」


 リシュカが感心したように小声で言うと、エイナルは不思議そうに首をかしげるだけだった。

 その反応を見てリシュカは笑う。


「魔法学校を見たらびっくりするかも。どこもかしこも本とか動物の羽とかまじないの道具とかよく分からないものでいっぱい散らかっているから」

「どんなに驚かされてもいいから、一度見てみたいもんだなあ」


 エイナルはうらやましそうに言った。おっかなびっくりしながらも目を輝かせるエイナルの姿が目に浮かぶようだった。


 二人はまず天文書を紐解いてみた。

 エイナルが持ってきた堅苦しそうな本にはどれも精密な図やイラストがたくさん載っていて、小さな文字でページがぎっしりと埋まっている。

 たしかに彼の言うとおり、人間の観察力と精密さには驚くばかりだった。そしてさらに驚いたのは、文章が読みやすくまとめられているということ。

 魔法使いたちは感覚的に生きている者が多いので、そのアバウトなことと言ったら魔法使い同士でも呆れてしまうくらいなのだ。走り書きや落書きのような本は珍しくもなく、なぜか後ろから書いてあるものや、オリジナルの暗号文で書かれたもの、魔法がかけられているものも多く、数ページしかない本を読み解くのに何百年もかかっているなんてことも珍しくはない。いや、本を開くだけに何百年かかったという話もよく聞くぐらいだ。


「魔法使いの本を読むのは難しそうだなあ」

「だから魔法使いの本好きは変わり者ばっかりなの。普通じゃ読めないようなものばっかりだから。しかも、読み解いた本にさらに魔法をかけて読みにくくする人もいるんだから」


 そのため、魔法書を読む専門の「本読み」という職業すらあるほどだ。


「ますます興味がわいてきたよ。本当に魔法使いって面白いな。僕もそういう本を読んでみたいよ」


 エイナルは笑いながら言う。

 課題の本にいたずら魔法がかけられていて噛みつかれたり、本を開いたとたんにページが真っ白になってしまい補習を受けさせられたことのあるリシュカには、それを面白いと思ったことはなかった。それどころか、思い出すだけでも腹が立つようなことばかりだったけれど、エイナルの無邪気な笑顔を見ていると、そんなことも面白いことだったような気がしてくるから不思議だ。


「ほら、ここだよ」


 エイナルが開いたページには、確かに紫の流れ星のことが書いてあった。

 ただし、『三百年に一度見ることができる珍しい流れ星』と書かれているだけで、それ以上詳しいことは載っていなかった。『なぜ紫色に光っているのかは謎である』とそっけなく書かれている。


「天文学はまだまだこれからの学問だからね」


 エイナルは弁明するように言った。


「あ、これなんかどうかな?」


 エイナルが次に開いた本には、先ほどと同じような説明の後に、紫の流れ星にまつわる伝承として、大陸各地で伝えられている話が載っていた。

『紫色の流れ星に願い事をすると、普通の流れ星よりも願いが叶いやすい』などと書かれている。


「人間って流れ星にお願い事をするの?」

「えっ、魔法使いはしないのかい?」


 エイナルはなぜかがっかりしたように言った。


「流れ星が流れている間に三回お願い事をすると叶うって言われているんだよ」

「へえ、結構お手軽なのね」

「結構、難しいよ……」

 とエイナルは言った。


 二人はその後も流れ星の伝承について読んでいった。


「東南の国では流れ星が人の魂だと思われているそうだよ。流れ星は誰かが死んだ証だってさ。なるほどなあ……本当に流れ星ひとつとっても色んな伝承があるんだね」

「私たちのところでも、神様の子供を連れてくるなんて言われてるけどね」

「へえ!」


 エイナルは興味津々に瞳を輝かせた。


「単なる神話からの連想に過ぎないけど」


 とリシュカは冷めた調子で言う。


「神話って、この前、吟遊詩人が歌っていた「はじまりの歌」のことだよね? ――あの歌、本当に素晴らしかったなあ……」


 エイナルはうっとりとため息をついた。


「吟遊詩人の歌はレコードにはないからね。今まで多くの人が録音に挑戦したけど、全然うまく行かないらしいんだ。そういう魔法でもかかっているのかな? 五年前は運悪く別荘に遊びに行っていて聞けなかったし、もう死ぬまで聞けなかったらどうしようかと思っていたけど……ああ、本当に聞けてよかったよ」


 とまた深いため息をついた。


「ろくおん?」

「音楽を蓄音機で記録することだよ。レコードって見たことない? 平たいドーナッツみたいな形の。あれに、音楽を記録するんだ。そうすると、いつでも好きなときに音楽を聞けるんだよ。吟遊詩人の歌をレコードで聞けたら素晴らしいと思わないかい?」


 得意げに言うエイナルにリシュカは眉をひそめた。


「音楽を記録するなんて、そんな無粋なこと」


 軽蔑したように言うと、エイナルは親に叱られた子供のような表情をした。


「えー、無粋かなあ……」

「彼が歌うから意味があるんでしょ?」

「もちろんそうだよ。だから彼の歌を録音するんじゃないか」


 リシュカは首をかしげる。

 そういえば、人間の経営するカフェで箱にラッパがついた機械を見たことがある。黒く真ん中に穴の書いた円盤がくるくると回り、音楽が流れていた。どこに楽団がいるのだろうと不思議に思ったが、あれがレコードというものだったのだろうか?

 音楽を記録するなんて、どうしてそんなことができるのか分からないが、奇妙な感覚だ。

 確か、どこかの魔法使いが鉱石の中に自分の声を閉じ込めるという魔法を発明していたが、人間も魔法みたいなことができるなんて驚きだ。


「あなたたち、本当に魔法を使えないの?」


 そう聞くと、エイナルはキョトンとした後で楽しそうに笑った。


「人間の不思議な道具は魔法みたい」

「そんなふうに言われるとうれしいな。もっと魔法使いと人間が協力したら面白いことができそうなのにな」

「そうかも」


 人間と一緒に何かをするなんて今までリシュカは考えもしていなかった。まったく別の生き物だと思っていたから。

 けれど、今はこんなにも楽しい。

 エイナルの話を聞くのはとても新鮮だった。彼とおしゃべりする時間が短く感じるほどだった。

 今まで感じたことのない喜びにリシュカは戸惑いつつも、もっと人間のことを知ってみてもいいかもしれない、と思うようになっていた。

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