第30話

 リシュカはハーブティーにミルクを混ぜた。その様子をエイナルが真剣なまなざしでじっと見つめている。そして、黄緑色の液体が黄金色に変化すると、エイナルは身を乗り出して食い入るようにその様子を見つめていた。


「色が変わった!」


 エイナルは驚いて声をあげた。


「そんなに珍しいこと?」


 ミルクやハチミツを入れて色が変わる飲み物なんて一般的といってもいいくらいだったので、リシュカはエイナルの驚きように首をかしげた。


「そんなの、手品以外で見たことないよ。それは魔法なのかい?」

「まさか」


 リシュカは笑う。


「こういうハーブティーなだけよ」

「へえ……どういうハーブなんだろう?」

「例えば、有名なものだとシマシマカモミールとか、真っ黒ラベンダーとか、カタツムリのシッポとか、これは青虫ローズね」

「うーん、ハーブティーはこっちにもたくさんあるけど、聞いたことないなあ」

「そうなんだ。有名なのに」


 リシュカはもう一滴ミルクを垂らす。すると、今度は透明になった。

 エイナルはハーブティーを神妙な顔つきで見つめていた。


「魔法使いの世界には魔法じゃなくても不思議なものがあるんだな……」

「人間だって、デンキみたいな不思議な道具をたくさんつくっているし、料理も凝ったものがたくさんあるのに」

「そういうものにはちゃんと仕組みがあるからね。不思議じゃないんだ」


 リシュカは天井を見上げる。吊り下がっている緑のランプはデンキだろう。リシュカにしてみれば、こちらのほうがよっぽど不思議だった。


「不思議が不思議として存在しているのが、魔法の世界の魅力なんだ」


 エイナルが言う。


「不思議は不思議でしかないけど?」

「人間はそれを解明しないと気が済まない人種だからね。不思議を信じることは許されないんだ」


 リシュカにはピンとこない。不思議を信じなかったら、どうやって自然の中で生きていくのだろうか?


「こっちの世界では不思議を信じているとおかしい奴だと思われるんだ」


 首をかしげているリシュカにエイナルは笑う。


「じゃあ、あなたは?」

「もちろん、おかしい奴だと思われてるよ」


 と楽しそうに言った。

 そんな彼と楽しくお茶をしている自分もまたおかしい奴なのだろうか、とリシュカは思ったけれど、悪い気はしなかった。


「それで、イーダのことだけど――」


 ともかく、リシュカは昨日のことを話した。


「じゃあ、ウリカの言うことを信じればイーダはまだ生きているってことか」


 エイナルは安堵したように言った。


「そうみたい。でも、だとしたら、イーダはどこに行ったんだろう? ウリカは意味深なことしか言わないし。訳が分からなくて」


 リシュカは昨日の怒りを思い出して口をへの字に曲げた。


「まあ、彼女が無事でいてくれるならそれでいいよ。もし、万が一のことがあればオリバーは後を追いそうな様子だからね」

「そんなに?」

「僕らも驚きだよ。少し前まで恋愛小説を鼻で笑ってたようなヤツなのに」

「まさに、恋愛小説みたい」

「これで少しは僕の趣味を理解してくれたらいいんだけど」

「エイナルって恋愛小説が好きなの?」


 エイナルははっとして、顔を赤らめた。


「まあね。君は?」

「私は、小説ってあまり読んだことがなくて。こっちには神話やおとぎ話ならあるけど、恋愛小説みたいなものはほとんどないし」

「魔法使いの小説家っていないのかい?」

「聞いたことないかも」

「魔法使いが書いた小説ってだけで面白そうなのに」

「そう思っているのはエイナルだけじゃない?」

「そんなことないよ……たぶん」


 エイナルは力なく言う。

 そしてやっと自分のハーブティーにハチミツを注いだ。

 すると、彼のハーブティーはピンク色に変わった。

 エイナルはぎょっとカップの中を見つめたが、すぐになんでもないふうに笑顔を作った。


「オリバーの話に戻すと、彼は家督を弟に譲っても良いとまで言ってるんだ。上手くいくかどうかは分からないけど、できるかぎりは応援したいと思ってるよ。友達だからね」


 エイナルはカップに口をつけた。

 わずかに唇が震えていたが、一口飲み込むと、


「おいしい!」


 と感嘆の声をあげた。

 まるで絶望の中から希望の光を見つけたように。


「魔法使いの飲み物も悪くはないね、見た目をのぞけば、だけど」

「そう? 見た目も楽しいほうがおいしいと思うけどな」


 リシュカはツノガエルの卵ゼリーを口に入れた。

 それをエイナルが眉をひそめて見ていた。


「とにかく、イーダを探すには紫の流れ星がヒントってわけだ」

「何か知ってる?」

「流星群の日、僕は天文倶楽部で天体観測をしていたからね。もちろん、紫の流れ星は見たさ。あれは、三百年に一度しか見ることができない貴重なものだからね」

「三百年に一度?」

「そうだよ。詳しいことは僕にも分からないけど、三百年ごとに紫色をした流れ星がやってくるって言われているんだ。だから、楽しみにしてたんだ。君はそのこと知らなかったの?」


 リシュカはうなずく。


「そんな話、はじめて聞いた」


 フェルセン氏が三百年前に見たとは言っていたが、三百年ごとに見ることができるなんて話は聞いたことがなかった。

 昨夜、調べていた本の中にもそんなことはどこにも書いてなかった。

 人間たちが知っているのに、魔法使いの書物にないなんてことがあるのだろうか?


「へえ、魔法使いでも知らないことがあるんだなあ」


 リシュカは少し不機嫌になってハーブティーを一口飲んだ。


「じゃあ、今度は僕たちの図書館で調べてみようか?」

「人間の?」


 露骨に顔をしかめたリシュカを見て、エイナルは苦笑いを浮かべる。


「人間は寿命が短いからこそこまめに記録をつけているし、魔法が使えないからこそ、観察や分析にも正確さや精密さを常に求めるんだ。人一人の知識量は魔法使いには叶わないかもしれないけど、だからこそ、僕たちは知識を保管し伝えていくことを大切にしているんだ。僕たちの図書館だって君たちに負けないくらい立派なものなんだよ。そんなに人間を馬鹿にしないでくれよ」

「別に馬鹿にしたわけじゃないんだけど……」


 リシュカはバツが悪い思いがしてうつむいた。

 たしかに今、人間の知識を下に見ていた。人間が知っていて魔法使いが知らないということに怒りさえ覚えた。

 最近は、人間の発明したものが魔法使いの世界でも当たり前のように使われているというのに、人間の知識なんて大したことないと無意識に思っていたのだ。

 人間を侮っている気持ちが自分の中にもあったことに気がついてリシュカは恥ずかしくなった。


「ごめんなさい」

「いいんだ。たしかに、魔法使いのほうがすごいんだから。でも、僕たちにも役に立てることがきっとあるはずだよ」


 エイナルはにっこりと笑う。

 彼のまっすぐな優しさが胸に堪えた。

 自分はやっぱりすごい魔法使いなんかじゃない、とリシュカは思った。

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