第29話
翌日の日曜日は、エイナルと約束をしていた。イーダの実家を訪ねることは言ってあったので、その報告をするためだ。
「ナメクジの隠れ家通り」にあるカフェ「カエルのよだれ屋」で待ち合わせをすることになっていた。
「ナメクジの隠れ家通り」はその名の通り、裏通りのさらに裏通りを行ったところにあるアジサイの裏から入ることができる隠れた場所にあった。
年中陽が射さないせいか、冬のように冷たく薄暗い。狭い道ですれ違う人々は誰もが無言で、足音を立てるのもはばかられる。見落としてしまいそうな文字のない小さな看板。外からでは何屋なのか分からない店ばかりだった。
「カエルのよだれ屋」はその中でも比較的まともな店で、看板にはカエルがコーヒーを飲んでいる姿が描かれている。「ホウキとちりとり屋」のフェルセン氏に教えてもらったリシュカのお気に入りのカフェだ。
「こんなところに通りがあるなんて知らなかったよ」
エイナルは茶色のロングコートと帽子を脱ぎながら言った。変装のつもりなのだろうが、夏至が近いこの季節にそんな格好をしていたら、かえって目立っていたのではないだろうか。
「迷わなかった?」
「もちろん。僕は家の中を探検するのが好きだったから、裏道を見つけるのは得意なのさ。兄さんたちはよく迷子になっていたけどね」
エイナルは嫌みのない笑顔で言った。
彼は自分がどれだけお金持ちなのか分かっていないのかもしれない。普通、自分の家で迷子になることはないのだ、と教えたほうがいいのだろうかと思ったが、リシュカは笑顔でうなずくだけにした。おそらく、彼の周囲の人間のほとんどが自分の家で迷子になれる類の人たちだろうから。例外は自分くらいだろうか? とリシュカはふと思った。
「しかし、この店ひどい名前だね」
エイナルは苦笑いを浮かべながら不安そうに店内を見回した。
まるで洞窟の中のようなごつごつとした石の天井に、薄暗い緑色のランプ、いたるところにカエルの置物が置かれていて、ゲロゲロ鳴いている。雨音もしていて、ときどき豪雨になることもある。そのせいか、心なしかじめじめと湿っている気もする。
「私のお気に入りの場所なの」
「へえ。ミルフォルンの生徒もよく来るということ?」
「それはどうかな? 私はまだここで知り合いに会ったことはないけど」
「そうなんだ?」
「私たち魔法使いはみんな秘密のお気に入り場所を持っているものだから。ここはそういう場所なの。だから、友達にも教えたことはないの」
「秘密のお気に入り場所かあ、素敵だね。でも、それを僕に教えてもよかったの?」
そう言われてリシュカは少しはっとする。
たしかに、なんとなく知り合いにバレたくなくてこの店を選んだけれど、ここはネラや友人たちにも教えたことのない秘密の店だ。一人でゆっくりしたいときに来る店なのだ。それをエイナルには何の抵抗もなく教えてしまったことを自分でも奇妙だと思った。
「二人きりで内緒の話をするにはうってつけだから……」
「なるほど、僕たち二人だけの秘密ってことだね」
エイナルは嬉しそうに笑った。
「人間と魔女が秘密の捜査をするなんて小説みたいでわくわくするね」
「わくわくできればいいけど」
そう言いながら、リシュカも楽しそうに笑った。
しかし、エイナルがメニュー表を開くと、彼は複雑な表情をしてかたまった。
「カエルのげっぷココア、毒トカゲのウィンクコーヒー、カメレオンの悲しみフロート、ガラガラヘビの辛々ポタージュ……」
エイナルはぶつぶつとメニューを読み上げている。ここはそこまで怪しい店ではないと思っていたけれど、もしかしたらその認識を変えた方がいいのだろうか、とリシュカは思った。
「名前はあれだけど、まともなものもたくさんあるから」
「ということは、まともじゃないものもあるってことだ」
エイナルは好奇心と恐怖が入り交じったような顔で笑みを浮かべた。解毒剤と一緒に食べなければいけないのはどのメニューだっただろうか、とリシュカは考えていた。
「もし、魔法の食べ物を食べて何かあったら、どうすればいいんだろう? うちの主治医に治せるかな?」
「直接かけられた魔法じゃなければ一日で消えると思う。魔法使いなら」
「魔法使いなら、ね……」
「でも、毒入りや心臓が止まるメニューはここには少ないし、髪がピンク色になったり、猫のひげが生えるのはなかなか面白いの。でも、ミドリアオムシのゼリーを食べて肌が緑色になったときはちょっと気味が悪かったかも。なんか臭かったし」
「へ、へえ……」
エイナルは笑おうしたようだが、その顔はひきつっていた。
どうやら、人間には面白いことではないようだ。
「人間の食べ物には髪や肌の色が変わったりするものはないの?」
「そんなのあるわけないよ……妖怪じゃないんだから……」
「ヨーカイ?」
「妖怪。化け物のことだよ。摩訶不思議で気持ち悪くておかしな生き物のこと」
「つまり、魔法使いも化け物ってこと?」
「いや、違うよ! そうじゃない。ただ、人間はその……普通は髪や肌の色が簡単に変わったり猫のひげが生えたりはしないってことなんだ……」
エイナルはあわてて否定をする。
「そうなんだ……じゃあ、肌の色が変わる食べ物を人間が食べたらどうなるんだろう?」
「すごく興味はあるけど……さすがに遠慮しようかな……」
さすがのエイナルもこれには及び腰のようだ。
魔法使いと人間は見た目は似ているけれど、やっぱり違う生き物なのだろう。こうして話していると何も変わらない気がするのに不思議だ。
いつまでもエイナルがメニュー表から頭を上げないので、今日のところは無難にアマガエルのハーブティーを頼むことにした。それと、リシュカは好物のツノガエルの卵ゼリーも。
「うーん、仕方ないな」
エイナルはほっとしたような残念そうな複雑な表情をしてうなずいた。
ところが、運ばれてきたハーブティーを見て、エイナルは一瞬、顔をしかめた。それがアマガエルのような黄緑色をしていたからだ。
「さっぱりしていて美味しいの。見た目も爽やかでしょう?」
「そう……だね……人間の店ではこんな色の飲み物は見たことないけど」
「人間は鮮やかな服を着ているから、食べ物ももっと奇抜なのかと思ってたけど違うんだ?」
「食べ物と服は全然違うかな……」
「そういうもの?」
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