第八章 イーダの失踪
第25話
「リシュカもまったく隅に置けないんだから」
「何が?」
洗面台で顔を洗っているとネラが後ろから抱きついてきた。お酒の匂いがぷんっと立ち込め、リシュカは顔をしかめる。ネラは昨夜、ずいぶん遅くに帰ってきていた。
「聞いたわよ。あのアルグレーン伯爵のお坊ちゃまを捕まえたんだって?」
「はあ?」
いったい、どれぐらい酔いつぶれてきたのか、顔色が悪い。大きな目も充血している。
お酒はほどほどにと言っていたのはどこの誰だっただろう?
リシュカはネラを引きはがしながらしかめっ面をつくった。
「アルグレーンって、エイナルのこと?」
「そうに決まってるでしょ」
「貴族とは聞いたけど、そんなにすごい家だったの?」
「知らないの? アルグレーン伯爵といえば、このあたりの人間貴族の中じゃ一、二を争う名家なのよ? まさか、そこの息子をねえ……」
「でも、三男と言っていたし」
「遊ぶのに一番良いじゃないの」
ネラはけろりと言う。
リシュカは呆れてため息をつく。
「本当にそんなんじゃないの。ちょっとバイト先で知り合っただけで、何でもないんだから」
「えー、そうなの?」
と言いつつネラはにやにやと笑っている。
もしかすると、いやもしかしなくてもまだ酔っぱらっているのかもしれない。
「ネラのほうこそどうだったの? ずいぶん遅くまで遊んでたみたいだったけど」
するとネラは途端に不機嫌になった。
「全然よ! はじめはよかったけど、ウリカが来てからみんなあの子に夢中で……」
今度は突然しくしくと泣きはじめた。
やはり、まだ酔いが抜けていないのだろう。おそらく、やけ酒でもしていたのかもしれない。魔法使いの中でもネラは酒豪で、以前失恋した時は、三軒の居酒屋の酒を空にしてしまい、店を潰しかけたことがあるが、今回はどこが被害にあったのだろう?
「たしかに昨日のウリカはすごく綺麗だった。あんなに美しい髪飾りやドレスもこのあたりじゃ見かけないし。やっぱりララ・ファーンは格が違うなって思っちゃった」
リシュカはウリカの姿を思い出してほおっと息を吐いた。昨日のウリカはおとぎ話から出てきた王女様のようだった。
「私たちはしょせん田舎者……宝石と石ころぐらい違うのね」
ネラは泣きながら言う。いつものポジティブさはどこかに忘れてきてしまったようだ。
「そこまで卑下しなくても……。せめて、宝石とガラス玉ぐらいじゃない?」
ネラはわっと声を上げる。なぐさめにはならなかったようだ。
「大丈夫よ。ネラは美人なんだから、自信持って」
「美しいだけじゃ駄目なのよ。ガラス玉はしょせんガラス玉……どれだけキレイでも宝石の前ではただのおもちゃなのよ。リシュカの水晶玉のように……」
「そこで水晶玉を出さなくても……」
ネラはさらに声を上げて泣きじゃくっている。水晶玉が買えなくなって泣きたいのはこちらの方だというのに。
ネラがこうなると、しばらくは情緒不安定な日々が続くだろう。真夜中に王子様を探しに行くと言って寝間着のまま飛び出していくのを食い止めなければならない日々がはじまるのだ。
リシュカはやれやれと肩をすくめた。
次の週末、リシュカはネラが目を覚ます前にこっそりと部屋を抜け出した。
夏至祭が近づいているというのもあって、ネラの神経はますます敏感になっている。リシュカがどこかへ行こうとするたびに、抜け駆けしようとしているのではないかと疑ってくるのだから厄介だ。
それどころか、黒猫が横切ったり、鳥が二羽並んで飛んでいるだけで泣き出してしまう。こればかりは魔法でも治せない。時間が解決してくれるのを待つしかないのだ。
無事に寮から出たところでリシュカはほっとため息をついた。
今日は、エイナルに頼まれたイーダ探しをはじめる予定だった。夏至祭のドレスを買うためにも、一刻も早く臨時収入を得なければならない。
しかし、彼女のことをよく知っていれば占い魔法で探すという手もある。けれど問題は、彼女のことをまったく知らないことと、水晶玉を買えと言われてもらったヒスイを舞踏会のドレスにかえてしまったことだ。ヒスイを質屋から出すためにもこのバイトは失敗するわけにはいかない。
まずはイーダのことを知るために彼女の実家を訪ねるつもりだった。
リシュカは気合を入れるために大股で歩き出した。ところが。
「行方不明のメイドを探しに行くんだろう?」
びっくりして振り返るとそこにウリカが立っていた。
あまりに驚いてリシュカは口をぱくぱくとさせる。
「どうしてそれを?」
ウリカはにやりと笑った。その不敵な笑みは昨日の上品なほほ笑みとは大違いだ。
「昨日話していただろう? アルグレーンの三男と。ずいぶん仲良くしていたじゃないか。お似合いだったぞ」
「えっ」
素っ頓狂な声がもれた。
「だ、だって、あのときは、あなた、まだ……」
広間の中にはいなかったはずだ。
「ああいう場所では秘密は筒抜けになるものなんだ。覚えておいたほうがいい」
ウリカは目を細めて笑った。
そんな、まさか。
本当に広間に魔法でもかけていたのではないだろうか。
リシュカは疑いの目でウリカを見たが、今日の彼女は相変わらずクールで澄ました様子だった。その表情が憎らしいほど美しい。
「そういえば」
ウリカがわざとらしい声を出した。
「あの屋敷の裏庭に変なまじないがかけてあったんだが、君は何か知ってるか? どうやら、「魔女たちの森」に続く抜け道になっているようだったが、あれは何だったんだろうな」
しまった、とリシュカは思った。
そのまじないを解くために舞踏会へ参加したのに、すっかりダンスに夢中になって忘れていたのだ。
「私が閉じておいたが、もし、あのまじないをかけたのがここの生徒だったら、もしかしたら校則違反かもしれないな」
ウリカはにやにやと笑いながら話している。実にわざとらしい。
「へ、へえ。いったい、だ、誰がそんなことを……」
ウリカ以上にひどい棒読みだった。これでは演劇祭の主役には選ばれそうにもない。
「もし、これが学校にばれたら、今度はどんな罰を受けるんだろうな、リシュカ? 今度こそ、退学だろうな」
「そんな!」
「最近は特に、人間の持ち物に損害を与えることはとても重い罪になっているんだ。知らないのか?」
「でも、損害を加えようと思ったわけじゃなくて、ただ抜け道に使っていただけだし、それにあのまじないをかけたときは誰も住んでいなかったし……」
「やっぱり、君だったな。なんとなくそうだろうと思ったんだ」
はめられた。思わず、「退学」の言葉に反応してしまった。
愕然とウリカを見つめると、彼女はからかうように笑った。
なんて憎らしい。リシュカは恨めしそうにウリカを見つめた。
「そんな絶望的な顔をする必要はないさ。ただ、秘密にするかわり、メイド探しを私にも手伝わせてもらいたくてね」
「ええっ?」
もっと大きな声で素っ頓狂な声を上げた。
「なんで……」
「田舎の生活は暇なんだ。面白いことがしたくてな」
リシュカは疑わしげにウリカをまじまじと見つめた。
絶対に嘘だ、と思ったが問いつめる勇気がなかった。
一体何が目的なのだろう?
ウリカはわざとらしく肩をすぼめてみせる。
「まあ、いいじゃないか。もちろん、報酬を分けろなんて言わないから安心してくれ」
「でも……」
「いいのか、早く行かないとネラが起きてくるぞ」
ウリカはなんでもお見通しなのだ。あの巨大な水晶玉で生徒たちをのぞき見でもしているんじゃないだろうか?
リシュカは腑に落ちないまま、仕方なく出発することにした。
「今日は良い天気だな」
とウリカは機嫌が良さそうに言った。
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