第23話

 一瞬、誰だか分からなかったが、人間の知り合いなど他にはいない。


「エイナル?」

「ずいぶん飲みっぷりのいい女の子がいるんだなあと思っていたけど、まさか君だったとは」


 エイナルは大きな声で笑った。

 思っていたよりも注目されていたらしい。穴があったら入りたい、とはまさに今だ。


「魔法使いはお酒が大好きというのは本当なんだね」


 エイナルは新しい学びを得たようにリシュカの顔を嬉しそうに観察していた。まだ二杯しか飲んでいないというのに、顔が真っ赤になりそうだった。


「しかし、君も来ていたなんて驚きだなあ。ドレスなんて着ているから誰だか分からなかったよ」

「それは、こっちも同じ」


 髪を後ろに撫でつけ、燕尾服を着こなした姿はとてもゴースト退治をしようとしていた人間には見えなかった。

 あの時は薄暗くてよく分からなかったが、明るい電灯の下で見ると、育ちの良さそうな穏やかな顔立ちをしている。赤毛の髪は綺麗な銅色で少し垂れ気味の目と青緑の瞳は真面目そうでまだあどけなさが残っていた。


「あっ、もしかして、魔法を披露してくれるのかい?」

「まさか!」


 エイナルの瞳が輝きだしたので、リシュカは必死に否定をした。

 彼はがっかりした様子だった。そういえば、あの夜、魔法をパーティで披露して欲しいとエイナルが言っていたことを思い出した。もちろん、すげなく断ったが。


「てっきり、気が変わったのかと思ったのに」

「だいたい、あなたがこんなところにいるなんて思いもしなかったんだから」

「ベルマン夫人は僕の叔母なんだよ」


 エイナルは笑いながら言った。

 ということは、もしかすると、エイナルも貴族なのだろうか?


「あなたも貴族なの?」


 彼は肩をすくめた。


「一応ね。でも、僕は三男だし、貴族なんて言っても気楽な立場だけどね」


 と苦笑いを見せた。


「だからゴースト退治に行ったりするのね」


 リシュカが言うと、エイナルはあわてて人差し指を口の前に立てた。

 どうやら、それはお互いに秘密のようだ。


「僕の家族、特に母は魔法をあまりよく思っていないらしくてさ。その話が母の耳に入ったら大変なことになるんだよ。きっと、どこか遠くの全寮制の学校にでも入れられちゃうかもしれないんだ。ミルフォルンの魔法学校に入りたいと父に頼んだ時、母は僕の頭がおかしくなったと思って他の街から医者を呼んだくらいだからね」


 エイナルはうんざりしたようにため息をついた。しかし、人間が魔法学校に入りたいと言い出したら魔法使いでも心配してしまうかもしれない、とリシュカは密かに思った。


「今は学校には通っていないの?」

「うん。家庭教師がいるからね。でも、僕は経営学とか数学じゃなくて、もっと違う勉強がしたいんだけど。たとえば、魔法とかね」


 エイナルはため息をつく。

 けれど人間なら役に立つのは当然、経営や数学のほうだろう。


「別に魔法なんて人間が学んでも面白くないと思うけど。役にも立たないでしょ?」

「そんなことないよ!」


 一瞬、辺りが静まりかえる。

 エイナルははっとしてごまかすように笑みを浮かべた。


「魔法は素晴らしいよ」


 まるでいたずらがばれた子供が言い訳をするようにエイナルは小声で言った。


「それに、役に立つものだけが勉強じゃないだろ? そんなのつまらないじゃないか」

「うーん、そうかな?」


 本当に彼は変わった青年だ。リシュカは呆れるよりも微笑ましく思った。

 人間は理屈屋という印象が強い。魔法を気味悪がり、魔法使いを警戒している人も多い。ステラクレードでは都会のような諍いこそないものの、魔法使いと人間が良好な関係かと言うと、そうでもない。お互いに適度な距離を保っているのだ。

 けれど、エイナルと接していると人間に対するイメージそのものまでが変わりそうだった。人間にもこんなに面白い人物がいるのか、とリシュカは興味が湧いていた。でも、人間の中では浮いているんじゃないだろうか? と心配にもなる。


「でも、こんなところで君に会えるなんて幸運だったよ」


 気を取り直したエイナルは周囲を見回して声を秘めた。


「実は、僕もホウキとちりがみ……」

「ホウキとちりとり屋」

「そう、そのホウキとちりとり屋に行こうかって悩んでいたんだ」


 リシュカは眉をひそめた。

「ホウキとちりとり屋」は表立ってはガラクタ屋だが、人間からの依頼を受けて魔法使いがその仕事を受けるという橋渡しをする隠れ屋的な店だ。顧客には貴族も多くいるそうだが、どういうツテなのかは謎だった。


「どうして?」

「ちょっと人探しをしてほしくてさ」


 エイナルは部屋の端に視線を向けた。


「あそこに、焦げ茶色の髪をした男が立ってるだろ?」


 視線の先には、焦げ茶色の髪をした青年が物憂げな様子で壁にもたれかかっていた。手にしたぶどう酒のグラスを飲もうとするわけもなく、揺らしながらじっと中身を見つめている。その陰鬱な様子に誰も声をかけられない様子だ。


「彼はオリバー・ボリシュと言って、僕の友人なんだけど、彼の恋人がいなくなっちゃったんだよ」

「いなくなった?」

「行方不明ってこと」

「えっと、なんだっけ、そういうのは警察の仕事なんじゃないの?」


 人間の法律を破ると、警察という人たちが飛んでくるのだと言う。

 リシュカはよく知らないが人間たちの問題をなんでも解決してくれる恐い人たちのようだ。町中で見かけたことはあるが、たしかにみんな同じ金ボタンの黒い制服を着て、鋭い眼差しであたりを観察していた。目が合うと、怪訝そうにじろじろと見つめられたことを思い出した。


「それが、事情があってこっちじゃ大事にできないんだ」


 エイナルはリシュカを柱の陰に誘導した。

 そして、いっそう声をひそめてリシュカの耳元でささやいた。


「じつはその子、イーダって言うんだけど、オリバーの家のメイドだったんだ。でも、彼の父親に関係がばれて彼女はクビになったんだ。彼女はその後、実家に帰ったみたいなんだけど、オリバーはあきらめきれなかったらしくて、数日前、隙を見つけて彼女に会いに行ったそうなんだ」


 エイナルは続けて言う。


「ところが、イーダが行方不明になってるって母親に教えられたらしい。それ以来、あの調子なんだよ。彼はボリシュ家の長男なんだし、やめとけってみんなで反対してたんだけど、まさかそんなに熱を上げてるとは思わなかったからさ。それで、かわいそうだから、彼女を探してあげて欲しいんだ」

「私が?」

「うん、だって君はすごい魔法使いなんだろう?」


 エイナルの声は自然と大きくなっていた。

 今度はリシュカが周囲を気にする番だった。


「いや、だから、私はそんなんじゃないから」


 リシュカはまたあわてて否定する。こんなことなら、きちんと訂正しておけばよかった。それにもの探しを得意とするのは、占いが上手い魔法使いだ。残念ながら、リシュカには占いの才能はない。


「そんなことないさ。だって、君が見せてくれた魔法、夜空から星を……」

「分かったから!」


 リシュカはエイナルの口をふさぐように手をかざした。


「分かったから、その話は内緒にして?」


 エイナルはきょとんとした顔を見せたが、何を察したのか一人でうんうんとうなずいた。


「ああ、いいよ。魔女と秘密を共有するのも悪くないからね。いや、実に光栄なことだよ。だって、魔女に認められたってことなんだから」


 とても勘違いをしているようだが、やはり訂正する気になれない。いや、でもちゃんと訂正しておかなければまた厄介なことになるだろうか?


「それに、どうせ魔法使いに興味があるやつなんてほとんどいないしね」


 とエイナルは肩をすくめた。

 やはり貴族の間で魔女と付き合うのが流行っているという話は嘘だったのだろうか? 急にネラが心配になった。


「とにかく、君が引き受けてくれてよかったよ。実は、ララ・ファーンの魔法使いに頼むことも考えてたんだ」

「ララ・ファーンの魔法使い? 知ってるの?」


 リシュカは驚いて聞く。

 この町でララ・ファーンの魔法使いと言ったら当然一人しかいない。

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